被災地支援レポート 3 (2012.1~2012.3)
陸前高田市立図書館資料レスキュー活動に参加して(田中ヒロ)
七ヶ浜町図書センター(宮城県)再開館支援活動レポート(田中清水)
「Help-Toshokan 宮城ツアー」に参加して(利光朝子)
第1回被災地の図書館を見て聞いて知るツアーレポート(畠中朋子)
陸前高田市立図書館資料レスキュー活動に参加して
田中ヒロ(NPO法人共同保存図書館・多摩(多摩デポ))
3月17~19日の3日間、日本図書館協会のHelp-Toshokan活動の一環として行われた岩手県陸前高田市立図書館の郷土資料救済支援活動に参加することができた。
陸前高田市立図書館は、昨年3月の大震災・津波で建物も資料も全壊・流失したが、その後資料がBM車庫に積んであり、その中には貴重な郷土資料・地域資料も含まれることがわかり、今回の活動になった。
躯体だけが残った図書館のBM車庫にうず高く積み上げられた図書類の山を掘りくずし、残すべきものを選別するという作業で、岩手県立図書館、岩手5大学のきずなプロジェクトのメンバーに多摩デポの5人が加わり、3日間でのべ48人が参加した。
白い防塵服に身を包み、マスク、防塵メガネ、防塵キャップ姿、それでも喉はいがらっぽく、目もショボショボ、手袋も防塵服も泥と埃にまみれての作業だった。特に3日目は資料を吹き飛ばすほどの強風で、この地の冬の厳しさを実感させられた。
最年長の私は、作業にも配慮していただいて主にリスト書きを担当したので肉体労働は少なかったが、うず高い本の山を掘り起こす作業もしっかり経験させてもらった。山の外側の資料の乾き具合や、内側のものがだんだん湿気を帯びてカビも発生、果ては完全に土の塊、ブロック状態になったものまで、この目で確かめることができた。図書館以外の人にとっては確かに「ゴミ」としかみえないだろうなと思いつつ、これは!というものを掘り起こし、少しでも乾燥させるため図書館の1階部分に広げて並べていく。岩手県立図書館の方々には、資料の選別に際して残すべきかどうか適切な判断をしていただきありがたかった。
掘り起こされた資料の土や砂を払いつつリストに記入していく。歴史的な郷土資料は当然のことながら、老人会や商工会婦人部などの記録、学校の記録など、この地域の人が、たしかにここで生活していた「あかし」が救い出されたことに、とても大きな意味を感じ、図書館は地域の「記憶」をきちんと残すところ、ということを改めて実感した。
今回保全した資料(約400冊)は、陸前高田市立図書館の失われた資料群の回復及び蔵書の再構築をはかる取組みにつなげるため、岩手県立図書館で修復または復元のための適切な方法を検討することになると聞いている。その第1段階がようやく終わっただけで、これからまだまだ先の長い作業だ。東京でこのような災害に見舞われたら・・・ということにも思いを馳せつつ、これから何ができるか考えていきたいと思っている。
七ヶ浜町図書センター(宮城県)再開館支援活動レポート
田中 清水(練馬区立稲荷山図書館)
東日本大震災以降、東北地方を訪ねることができていなかったが、今回、急なボランティアの募集に予定が合い、3月17日~18日、七ヶ浜町図書センター再開館支援活動に参加させていただくことになった。
七ヶ浜町は全く訪れたことがなく、被災の状況も何もわからなかったため、調べてみると、昨年の震災で人口約2万人のうちの100人弱が亡くなり、約6500世帯の1割程度が仮設住宅や仮設住宅扱いの賃貸住宅で今も生活をしているということだった。(七ヶ浜町ホームページによる)
当日の作業開始時間が早いため、前日の夜から宮城県に入った。かなり昔に旅行をしたことはあったが、今や東京から仙台まで2時間以内で着いてしまうことに驚いた。これならば、今後も何らかの支援活動に参加するのは、時間的には結構容易ではないかと感じた。
朝、車で宿から七ヶ浜町図書センターの再開場所に向かった。図書センターは、元々の建物が地震で使えなくなったため、近くの生涯学習センターの軽運動場(小さな体育館)内で再開する。震災前の町の様子を知らないため、また、震災後1年を経ていることもあり、途中車の中から見ただけでは、被害の様子はよくわからなかった。海岸線近くの低地が更地のようになっていたのが、たぶん震災の影響だろうと想像されたぐらいだった。
生涯学習センターに到着すると、駐車場の前に建ち並ぶ仮設住宅や、建物の前で炊き出しの準備をしている人たちが目に入った。学生を乗せたボランティアのバスも到着していた。センターの中は何となくざわざわとした雰囲気があり、拠点として様々な人が出入りしている様子が感じられた。生涯学習センターは高台にあって、津波の被害は免れたようだが、建物の壁には多数の亀裂があった。
今回の作業内容は、書架の移動と図書の配架だった。宮城県図書館職員、宮城県内の図書館関係者、ボランティアセンターを通じて参加した学生たちと一緒に作業を行った。最初はどう動いたら効率がよいのかわからず戸惑ったが、場所の定まっている書架で配架作業に集中していると、宮城県図書館職員の指揮の下、いつの間にか書架の移動が完了し、全体のかたちが出来上がっていた。<あとは全ての本を所定の位置に配架すればよいのだが、10冊ぐらいずつの本を束にしている紐をほどきながら分類順に並べていく作業は、結構大変だった。本はある程度分類ごとにまとめて置かれていたが、この分類は並べ終わったと思うと、後からその分類の本の束がいくつも出てきたりした。また、地震対策で書架を全て3段以下にしていることと、震災前の図書センターに比べ軽運動場が少々狭いため、書架に対して本の量が多く、並べ終わった後で選別して引き抜き、その分をまた移動させるという作業が続いた。1日目の午前中は、はたして2日間で終るのだろうかと心配になったが、次第に要領を得て全員が分担・協力して作業に集中し、2日目の終了時間には予定の姿を完成させることが出来た。
"労働"をした2日間だった。2日目の終わりに少し体調を崩して皆様にご迷惑をおかけしてしまったが、心地よい疲れだった。素敵な図書館職員の方々と若い学生たちと一緒に働くことができた貴重な時間だった。
町の状況について話を聞く機会はほとんどなかったが、センター近くの瓦礫の山、建ち並ぶ仮設住宅、炊き出しに並ぶ人々を見て、平穏な生活に戻るにはまだまだ時間がかかるのだろうと実感した。自分に何が出来るのかは正直よくわからないが、今後も状況を見続けていきたい。そして、機会があれば何度でも、何らかの支援に協力していきたいと思う。
「Help-Toshokan 宮城ツアー」に参加して
利光朝子(柏市立図書館)
3月2日~4日、宮城県図書館での「みやぎ図書館フォーラム~震災復興と図書館~」を皮切りに、登米市、気仙沼市、南三陸町、石巻市、名取市と宮城県内の被災地と図書館を回った。日図協の方々、被災地を熟知されているsaveMLAKプロジェクトの岡本さんの丁寧な案内で、とても有意義な、「重い」ツアーだった。
<図書館を訪ねて>
登米市立迫図書館から気仙沼市立図書館へ
登米市は内陸なので、津波被害はなかったものの揺れは大きく、図書館も増築部分のつなぎ目に亀裂が入り、そこから空が見えたという。それでも、5月18日の開館再開後は石巻からも利用者が来た。津波の被害がなかったのでマスコミから注目されず、ボランティアも入っていない状況で「援助格差」が象徴的に現れているとのことだったが、家屋が倒壊した後の更地が目立ち、道路や歩道の亀裂・隆起が放置されていた。今後の復興が案じられる。
気仙沼図書館も、海を見下ろす高台にあったので津波を免れ、3月30日にはいち早く再開したが建物の傷みはひどい。外壁や2階部分の壁がくずれ、児童室は柱にひびが入って立ち入りできず、プレハブ児童室が整備中だった。一日も早い抜本的な修理が望まれる。BMが水没してしまい、三島市で廃車になって南アフリカに送られる予定だった車両が復活運行中、との明るい話題もあった。
南三陸町図書館
旧志津川簡易裁判所を改修した由緒ある建築だった図書館は、資料とも完全に流され跡形もない。館長も亡くなられている。避難所になったベイサイドアリーナの一角に仮設の町役場等の公共施設とともに図書館振興財団寄贈のプレハブの仮設図書館・ライオンズクラブ貸与のトレーラハウス事務室棟が建っている。寄贈による資料は7千冊ほどで配架方法、寄贈資料の選別など、経験のある職員が少ない中で課題が多い様だった。都内某区立図書館から数箱の寄贈資料が来ていたが、どう考えてもこの図書館の蔵書にはなりそうもない資料が多かった。寄贈は資料費で送るのが一番だろう。
石巻市図書館
やはり高台にあり、震災時自然発生的に避難所になり、3月11日には140人が避難していた。臨時職員だった方が一名、当日帰宅後行方不明になっている。5月に避難者が50人程度になり、6月7日に一階部分のみ開館し、10月に全館オープンとなった。2階には避難した方が生活しながら、1階は開館するという柔軟な対応が興味深かった。
車庫に眠っていた立派なBMを修理して、仮設住宅の談話室・集会所にも配本している。
名取市図書館
建物に多くの亀裂が入って使用禁止となり、仮設プレハブとBM2台を閲覧室として、5月10日に臨時開館した。ユニセフの支援で「ウッドブロック構法」「ユニット式書架」による、木の香りが漂う「どんぐり子ども図書室」が1月6日にオープンした。復興支援住宅・高齢者施設入った複合施設の中に図書館をつくる計画があり、震災前から念願だった新図書館建設が実現しそう、との嬉しいお話も館長さんから聞くことができた。復興図書館のモデルとなって欲しい。
<被災地の大きさ>
名取市立図書館見学の後、山元町の沿岸の被災地を訪れた。津波の跡の広大な「更地」と「がれき」が続く。今回の旅で一番の衝撃だったのが、テレビや新聞では感じられない「被災地の大きさ・広がり」だった。
気仙沼港、南三陸町の図書館があった志津川地区、日和山から見渡した石巻の風景など、よくテレビ・新聞に取り上げられる場所はもちろんのこと、バスの車窓から見たそれらをつなぐ地域にも延々と津波の跡が続く。そこに当たり前にあったはずの人々の暮らしを思い、ただただ茫然とするばかりだった。気仙沼で目にした、土台だけになった「家の跡」に残された唯一暮らしの香りがする「風呂桶」が頭に浮かぶ。
宮城から帰って一週間過ぎ、昨日は3月11日。テレビに映し出される記憶に新しい被災地を見ながらも、そこで何を感じたのか、まだ言葉にできない自分がいる。
<忘れないこと>
「物見遊山」のように感じられるだろう私たちのために、多くの宮城県内の図書館の方が時間と労力をさいてくださった。本当に申し訳なく、感謝に耐えない。
ホテルでの交流会や図書館見学までお付き合いいただきいただいた宮城県図書館の企画管理部長の和賀さん、企画管理部次長の高橋さん、そして中心となって被災地の図書館の支援にあたっている熊谷さんの姿に「県内の図書館を支援する」という本来の県立図書館の役割を実感した。
休日も殆ど無い中、やはり交流会までお付き合い頂き、ご自身の思いや仮設住宅での暮らしを語ってくださった南三陸町図書館の及川館長、ご自分で撮った写真で津波の様子を話してくださった南三陸町図書館の山内さん、お二人に聞いたことは忘れられない。
石巻の日和山公園で訪れる人に話しかけ、被災体験を語る高齢者の方を何人かお見かけした。忘れて欲しくない、伝えたいという思いを感じた。これから、私ごときに何ができるかわからない。でも、とにかく「忘れないで」いよう。そしてこれから何十年と続くだろう、「復興」の過程で、できることがあったら反応する、「心の臨戦態勢」を保っていたいと思う。
第1回被災地の図書館を見て聞いて知るツアーレポート
畠中朋子(国際交流基金関西国際センター図書館)
平成24年1月21日(土)から23日(月)にかけて、岩手県沿岸部の被災図書館の状況を見て回るツアーに参加させていただいた。これまで直接被災地へ行くことをしていなかったが、直接自分の足で立ち自分の目で見て今後の支援について考えてみたいと思い、参加させていただいた。
1日目は岩手県立図書館に集合。県下図書館の被災状況、現在の状況についてお話を伺った後、館内案内を受ける。去年10月に公開された震災関連資料コーナーも見学させていただいた。
2日目は宮古市の田老地区へ向かう。田老公民館内1階の田老分室は津波被害を受け、15センチ浸水した。ヘドロで床は変色し、海水によって書架は錆びてしまっている。水損した郷土資料などは修復中。無事だった資料は別室に保管し、現在は田老総合事務所内の会議室で図書館サービスを行っている。
次に山田町へ向かい、役場内の山田町立図書館でお話を伺う。町は津波被害を受けており、震災後職員は避難所運営にあたった。図書館職員も一人亡くなられている。図書館は津波被害を受けてはいないが、町内に保管されていた新図書館のための資料が流出してしまっている。
次に大槌町へ向かい、中央公民館でお話を伺う。町は甚大な津波被害を受け、大槌町立図書館も資料とともに壊滅した。現在は協力団体とともに移動図書館サービスなどを行っている。
次に釜石市の釜石市立図書館へ向かう。こちらは高台にあるため津波の被害はないが、地震被害が大きい。資料が落下し、施設設備の破損により郷土資料が汚損された。復旧工事がまだ完了しておらず館内には足場が組まれたままだが、その中でも可能な範囲で図書館サービスを行っている。
3日目は大船渡市へ向かう。三陸公民館は津波が直撃し、公民館1階にあった図書室も壊滅した。3階の天井まで破壊されており、どれほどの高さの津波が来たのかと愕然とした。高台にある大船渡市立図書館へも伺ったがこちらは津波被害はなく、震災後避難所となり職員は運営にあたっていた。
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釜石市立図書館
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大船渡市三陸公民館図書室。
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次に陸前高田市へ向かうが、見渡す限り瓦礫と廃墟だけが取り残されている平地に呆然とする。陸前高田市立図書館だった建物の外枠と、移動図書館だった車の塊が残されている。破壊の跡はすさまじく、津波は建物の内部へ侵入した後瓦礫とともに壁を突き破って外へ流出したことがわかる。職員は全員が行方不明。陸前高田古文書研究会の方と、教育委員会の方からお話を伺った。
沿岸部を走ることにより土地の地形を知ることができた。地形の違いにより被害は同一ではなく様々であること、よって必要とされる支援の内容も異なり、またそれは時間の経過によっても刻々と変わっていくこと。復興計画が決まらないと図書館の方向性も決まらず、それによっても支援のあり方は変わっていくこと、などがわかった。
現地では圧倒的な業務量と人的な不足によって大変に苦労されており、自立的組織的な援助には助けられていると聞いた。一方問題になっているのが大量の寄贈本で、保管管理する場所や、整理する人間がいないことで大変に困っているというところも多かった。これから町の復興にともなって新しく生まれ成長していく図書館を育てていくような長期的な支援をお願いしたい、というお話を聞いた。
このような機会をいただけたことに感謝している。この経験を忘れず、今後の支援活動にいかしていきたい。