令和6年9月に能登半島で発生した豪雨について
この度、能登半島地震の被災地にて大雨により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げ、一日も早く平穏な日々に戻る事をご祈念申し上げます。
日本図書館協会及び図書館災害対策委員会も微力ではありますが、支援を模索し、対応してまいります。被災情報並びにお困り事がありましたら、メールにてご一報いただければ幸いです。
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第104回全国図書館東京大会 第11分科会 出版流通 記録

1990年代から2010年代までの出版流通を総括し、2020年代を展望する。

 日  時  2018年(平成30年)10月20日(土) 午前
 場 所  オリンピック記念青少年センター センター棟310室

基調講演:
出版流通の何が変わったのか-1990年代と2010年代 
      永江朗(フリーライター,日本文藝家協会理事)
報 告1:書店の視点から出版流通の変化を考える
      -出
版書店業界と図書館界の、長い確執からの脱出
      福嶋 聡(ジュンク堂書店難波店店長) 
報 告2:図書館の視点から出版流通の変化を考える
     -貸出重視、整理委託、選書
委託、電子図書館
      湯浅俊彦(立命館大学文学部教授) 
パネルディスカッション
 永江 朗(フリーライター,日本文藝家協会理事)
 福嶋 聡(ジュンク堂書店難波店店長)
 司会:湯浅俊彦(立命館大学文学部教授)

概要


 日本の出版流通は曲がり角に立っている。
 戦後、一貫して成長を続けた出版界は、1996年に成長のピークを迎えた。同年の推定販売金額は2兆6563億円、内訳は書籍の1兆931億円、雑誌が1兆5632億円だった。それが2017年には全体で1兆3701億円にまで減少した。出版業界の縮小が物流ルートに転換を迫っている。日本の出版流通は雑誌の物流ルートに書籍が便乗しているので、雑誌の減少が大きく影響している。
 次に、販売システムも変化している。1990年代の取次の情報システムや書店におけるPOSシステム導入、2000年代のAmazonの日本進出、2010年代には出版コンテンツのデジタル化、書誌情報・物流情報のデジタル化がさらに進んだ。
 中でも、Amazonは1994年に創業者ジェフ・ペゾフが、アメリカでインターネット書店を始めた会社が全世界に展開したもので、2000年に日本に進出した。2017年の売上額は1兆3000億円と、ネット通販最大手に急成長し、出版物の販売でも大きなシェアを占めるまでになった。
 歴史的経緯の理解を踏まえ、出版社、取次、書店のゆくえについて検討を加えることで、2020年代の出版流通の方向性と図書館との関係について、参加者とともに展望したい。
                                       (瀬島 健二郎)

基調講演

出版流通の何が変わったのか
 -1990年代と2010年代 
   
   永江朗(フリーライター,日本文藝家協会理事)


1975年/2015年

 1975年と2015年。このふたつの年を比較してみよう。 1975年、出版物の推定販売金額は9766億円。そのうち書籍は4889億円で、雑誌は4877億円だった。2015年の推定販売金額は、書籍が7419億円で、雑誌が6446億円、合計1兆5220億円である。推定販売部数を見てみよう。1975年の書籍は6億3222万冊、雑誌は19億8620万冊。2015年の書籍は6億2633万冊で、雑誌は14億7812万冊である(『出版指標年報』より)。
 1975年と2015年の、書籍の推定販売部数はほぼ同じである。しかし、雑誌は約5億冊、26%ほど減っている。
 総務省や厚生労働省のデータによると、1975年の総人口は1億1194万人で、そのうち15歳から64歳までの清算年齢人口は7581万人。一方、2015年の総人口は1億2660万人で、せいさん年齢人口は7682万人。1975年と2015年。ふたつの年の書籍販売部数と生産年齢人口はほぼ同じである。総人口は2015年のほうが多いが、それは65歳以上の人口が887万人から3395万人へと増えているからだ。
 1975年と2015年。この40年の間に何が起きたのか。
 話をイメージしやすいよう、いわゆる「まちの本屋」-チェーン店ではない個人経営の中小零細店ーの視点で考えてみたい。

80年代、CVS、郊外型書店、複合型書店
 
 70年代に登場したコンビニエンスストア(CVS)は、当初こそ早朝から深夜までの営業だったが、やがて24時間営業があたりまえになった。やがてCVSはその多種多様な扱い商品のなかに雑誌やムック、書籍なども含めるようになった。「まちの本屋」にとっては、雑誌の売上の多くをCVSに奪われた。
 80年代に入ると家庭用ビデオ機器が普及。レンタルビデオとの複合型書店が全国に広がった。書店専業だった店の業態変換もあったが、新規参入も多かった。また広い駐車場を備えた郊外型書店も増えた。レンタル複合店や郊外型書店の主力商品は雑誌と文庫とコミックで、「まちの本屋」からこれらの売上と顧客を奪っていった。

90年代 新古書店の登場

 
1990年、神奈川県相模原市にブックオフ1号店が開店した。いわゆる新古書店(中古書店、リサイクルショップ型古書店とも)。ブックオフは従来の古書店とはいくつかの点で異なっていた。まず、ドラッグストアチェーンのマツモトキヨシを参考にしたといわれる広くて明るい店舗。販売価格を定価の半額とし、陳列後、一定期間を経ると100円均一とするわかりやすい値付け。買取価格も1冊単位で明らかにした。このことは、これまでブラックボックス化しがちだった古書の売価・買価を明瞭化すると同時に、俗に「修行十年」といわれた古書店の仕事をマニュアル化し、パート・アルバイトでも可能にした。ブックオフはまたたくまに店舗数を増やし、いまでは「街でいちばん大きな書店がブックオフ」という地域も珍しくない。ブックオフの登場は「まちの本屋」から文庫やコミック、文芸書、実用書、タレントエッセイなどのベストセラー本の売上と顧客を奪った。

2000年代 林立するメガストア
  
1990年代は大規模小売店舗法等による出店規制が徐々に緩和されていく時代であり、大都
市を中心に広大な売場を持つ書店が登場してきたのもこの時代だった。2000年に大店法が廃止されて大規模小売店舗立地法(大店立地法)ができると、全国の大都市に1000坪以上のメガストアが次々と登場することとなる。メガストアはその強い集客力と商品調達力で「まちの本屋」から配本と顧客と売上を奪っていった。
 メガストアによる書店の淘汰は出版物の販売を根底から変えていった。単純化して述べると、10坪の「まちの本屋」100店舗と1000坪のメガストア1店舗では、売り場面積こそ同じ1000坪だが、全体における書籍・雑誌のジャンル別占有率はまったく異なる。1990年代は日本経済がバブル崩壊から長期不況入っていく時代だが、長らく書低雑高(書籍の売上よりも雑誌の売上のほうが高い)と呼ばれていた状況に陰りが見えてくるのがこのころからである。ちなみに、『出版指標年報』によると、書籍の推定販売金額のピークは1996年(1兆931億円)、雑誌のそれは1997年(1兆5644億円)。推定販売部数のピークは、書籍が1988年(9億4379万冊)、雑誌は1995年(39億1060万冊)である。よく出版物の売上のピークは96~97年といわれるが、書籍の販売部数はすでに89年から減り始めていたのである。
 書籍の発行部数は一般に思われているよりもはるかに少ない。たとえば過去に芥川賞を受賞したことがあるそれなりの知名度の作家でも、初版部数はせいぜい数千部である。2001年時点での新刊書店の数は全国に2万1千店だった。つまり大半の書店には、純文学はじめマイナーなジャンルの新刊は並ばない。一方、都会のメガストアにはそうした本でも数冊から数十冊は平積みにされる。「まちの本屋」が淘汰される一因である。

ネット書店の登場

 2000年ごろからネット書店(オンライン書店)が多数登場する。すでに90年代なかばからサービスを開始していた紀伊國屋書店をはじめ、TRC系のbk1や独ベルテスマン系のBOLなどが次々と参入した。そして2000年、アマゾンが日本でのサービスを開始する。ネット書店の影響について当時の書店界は楽観的だった。曰く、日本では取次による流通網が発達していて全国津々浦々にまで書店があるので通販の必要がない、書物は実物を確かめて買いたい人が多いので通販にはなJまない、定価販売が一般的な日本でアマゾンに優位性はない、と。しかし予想に反してアマゾンはサービス開始直後から急速にシェアを広げていった。
 アマゾンが成功した理由はなんだろう。まずインターネットの利用者が急激に拡大していったことが挙げられる。通信事業者がブロードバンド機器を積極的に販売し、それまでのダイアルアップ説独から常時接続へと通信環境が変わったことが大きい。同時にコンピュータも高性能かつ低価格化していった。ネット書店の登場は、極端にいうなら、自宅のPCモニター上に無限の在庫を持つ書店が開店したようなものだった。
 本は実物を手にして買いたいという欲求が消費者にあるのは各種アンケートなどでもたしかだが、そもそもその実物の本が「まちの本屋」にはなかった。注文しようとすると「1週間から2週間ほどかかります」と書店員にいわれるなら、ネット書店で買おうと考えるのも無理はない。日本の出版流通システムはすぐれている(から消費者も満足している)というのは、出版業界関係者の思い込みにすぎなかったのだ。
 その後、アマゾンは個人が出品できるマーケットプレイスなどを通じて古書にも手を広げていった。消費者からすると同じ本でもアマゾンなら新刊書、古書、洋書とさまざまな選択肢から選べることになる。アマゾンは売上額を公表していないのでさまざまなデータから推測するしかないのだが、おそらく書籍の売上額は年間1000億円台の後半。仮に1500億円だとするとなら日本の書籍の4~5冊に1冊はアマゾンで販売されていることになる。
 ネット書店は「まちの本屋」から書籍の売上を奪った。もっとも、その影響は限定的だろう。そもそも多くの本は「まちの本屋」に配本されていなかったのだから。だがネット書店という無限の在庫を持つ書店が仮想的に出店したことで、消費者の「まちの本屋」に対するイメージや期待は相対的に低下した。

2010年代 電子書籍と「まちの本屋」

 2000年代に入ってから、電子書籍も少しづつ「まちの本屋」から売上を奪っていった。まずは電子書籍とカーナビ。高校生や大学生が使う辞書は紙から電子に変わり、カーナビは道路地図に取って代わった。何度も“電子書籍元年”ということばが喧伝されたが、そのたびにオオカミ少年のような扱いを受けた。しかし2010年代になるとその影響を否定できなくなった。
 アップル社がアメリカでiPhoneを発売したのは2007年。スティーヴ・ジョブズが「電話を再発明する」と発表したとき、ことの重大性に気づいた人は少なかった。iPod(携帯音楽プレイヤー)とインターネット端末と携帯電話が一体化したからといって何がどう変わるのか、と思った人が大半だった。しかし、スマートフォンは「まちの本屋」から雑誌の売上を奪っただけでなく、本を読む時間も奪った。
 2014年、NTTドコモが電子雑誌の定額読み放題サービスのdマガジンをはじめる。それと前後して携帯電話のキャリア会社などが次々と同様のサービスをはじめる。100を超える銘柄の、それも大手出版社から発行されるメジャーな雑誌が月々数百円の料金で読み放題となるサービスはこれまで例のないものだった。なかでもdマガジンはキャリアを超えて、つまりauやソフトバンクなどのユーザーでも使えるようにしたところが画期的だった。あっという間に契約者は300万人を超えた。いうまでもなく、それらは「まちの本屋」から雑誌の読者と売上を奪っていった。
 だが、インターネットとスマートフォンが「まちの本屋」から奪ったのは、注文取り寄せの書籍の売上や雑誌の売上にとどまらない。人びとが情報を得たり娯楽のための手段としての書物は、インターネットに取って代えられてしまった。
 話は前後するが、2010年、公共図書館の個人向け貸出冊数が新刊書籍の推定販売部数を上回った。図書館の貸出しと新刊書の販売との相関関係/と因が関係について、たしかなことはまだわからない。だが昨年(2017年)の図書館大会において文藝春秋の社長が述べたように、出版社や書店のなかには図書館の貸出しが新刊書の販売を阻害している面があると考える人びともいる。

視点を変えると違う40年が

 小さな「まちの本屋」にとってこの40年は「むしられっぱなしの40年」だった。 CVSに雑誌を奪われ、レンタル複合店や郊外型書店に文庫・コミックを奪われ、ブックオフにベストセラーを奪われ、メガストアとアマゾンに専門書などの注文・取りよせを奪われ、dマガジンにも雑誌を奪われた。しかし、立場を変えると別の40年が見えてくる。たとえば出版社にとって、CVSや郊外型書店の登場はそのまま販路の拡大を意味した。電子書籍の登場も出版社にとってマイナスとは限らない。紙版のコミックス(マンガ単行本)の市場は収縮しているが、電子書籍のそれを合わせるとここ最近はプラスに転じている。
 昨今、カフェを併設した書店が増えている。購入前の本をカフェスペースに持ち込める書店もある。意地の悪い見方をするなら、本の魅力で客を集め、飲食を提供している。そこでは、本は店舗の装飾品であり、集客の道具である。もちろん多くの店主は、少しでも市民が本位触れる機会をつくるために、そして本屋を続けるためにカフェを併設している。
 出版業界では”業界三位一体”ということばが使われてきた。出版社・取次・書店の利害は一致している(だから一丸となって諸課題に取り組まなければいけない)という意味である。しかし、21世紀に入ってこの神話は崩壊した。3者(あるいは図書館も含めて4者)の利益は、一致するときもあれば相反するときもある。2020年代はそれがいっそう明確になるだろう。


報 告 1

書店の視点から出版流通の変化を考える
 -出版書店業界と図書館界の、長い確執からの脱出 

     福嶋 聡(ジュンク堂書店難波店店長)


 1996年以降、出版販売総額は右肩下がりを続けた。多くの出版社が倒産に追い込まれ、書店数は往時の3分の2へと減少した。20年以上にわたる、長い出版不況は、景気循環のサイクルでは決してなく、構造的なもの、歴史必然的なものとさえ感じさせられる。
 「構造不況」に対して、出版・書店業界は速やかにさまざまな施策を打って対処すべきであった。だが残念なことに、業界が最も熱心だったのは、「犯人探し」である。「重要参考人」として名指しされたのが、図書館である。出版書店業界は、図書館を「無料貸本屋」と呼び、読者にタダで本を提供することで自分たちを脅かしていると非難した。特に、利用者からのリクエストを盾に、ベストセラー、売れ行き良好書を多数買い求めていることを問題にした。
 日本図書館協会が1963年に発表した『中小都市における公共図書館の運営』(『中小レポート』)によると、”公共図書館の基本的、本質的機能は資料の提供である”。
 図書館側は貸出しこそ市民が最も望み、あらゆるサービスの基礎であると反論、「情報化」を連呼してコンピュータ導入えお推奨し、「〇〇支援」こそ図書館の活性化と謳う時流を批判した(『図書館の発見』前川恒雄・石井敦 NHKブックス)。この本はさらに、”利用が多い本は複数の本をもっていないと利用者を長く待たせることになる。複本をそろえる図書館をやり玉に挙げる人がいるが、市民は本を読もうという気持ちが冷えない間に、図書館から本を借りて読む権利がある”と、当時図書館が出版書店業界を苦境に陥れた「諸悪の根源」といわれた「複本」についても、弁護しいる。
 「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択、1979年改訂)は次のように言う。
  1.日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維
   持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すな
   わち表現の自由の保障が不可欠である。(略)
  2.すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する。この権
   利を社会的に保障することはすなわち知る自由を保障することである。図書館は、まさにこ
   のことに責任を負う機関である。
 図書館は、民主主義を確立し、守るための政治的存在なのである。一方、出版・書店業は、民主主義を支える言説を生産・流通させる経済的存在である。出版という営為の政治的/経済的側面である両者は「車の両輪」なのだ。どちらかがどちらかに優先するものではない。
 ところが、出版・書店業界の、図書館に対する誹謗・攻撃は熾烈を極めた。
 2014年7月、第21回東京国際ブックフェアで開かれたシンポジウムに登壇した文藝春秋前社長の平尾隆弘氏は、出版社のビジネスモデルがベストセラーや文庫の収益にいかに依存しているかを説明、「それが崩れることは、やがて書物そのものの衰退をもたらす」と訴えて、「ベストセラーの複本や、文庫の購入を控えてほしい」と、図書館側に「ど真ん中直球」を投げ込んだ。
 その年の2014年11月に『本が売れないというけれど』(ポプラ新書)を上梓した永江朗氏は、翌年初め、『新潮45』2月号の特集”「出版文化」こそ国の根幹である”で、作家の林真理子氏と新潮社常務取締役石井孝昂氏から、「波状攻撃」を受ける。二人が攻撃するのは、『本が売れないと・・・』の次の箇所である。
 ”しばらく前「図書館栄えて物書き滅ぶ」などと騒いだ作家や出版社があった。図書館がベストセラー を多数そろえて貸し出すので、出版社や作家の儲けが減るという主張だ。ずいぶん下品な物言いだ。”
 この同じ箇所に対して林氏は「果たして本当に下品なことだろうか」と反発し、石井氏は、「本を消費する側の論理だけで、生産する側の事情にいささかの配慮もない」と批判する。
 この箇所に続けて永江氏は、”だったら本屋のない街に本屋を作ってくれよ、自分が住む都会を基準にものごとを考えないでくれよ”と本屋も図書館も無く、人びとが本と接する機会に恵まれない地域を憂える本意を説明しているのだが、その部分には触れられていない。そもそも。新潮社は、ベストセラーの購入・貸出しや「複本」問題に、もっとも強い批判を浴びせてきた出版社である。
 昨年(2017年)10月の第103回全国図書館大会第21分科会「公共図書館の役割と蔵書、出版文化再生のために」で、再び文藝春秋の松井清人社長が訴えた。
 ”文庫や新書も図書館で読めるという読者の意識を変えるきっかけとして、図書館での文庫の貸出しをやめていただきたい”。「アウェー」でも怯むことはなかった。
 文藝春秋、新潮社の言い分が理解できないわけではない。私自身も本を売る側の人間だから、図書館の貸出しが少しでも本の売れ行きを鈍らせることは危惧している。
 だが、それでも、こちら側(出版・書店業界)の理由で、あちら側(図書館界)の施策に、無闇に口出しすべきでは無いと思うのだ。経済が政治を支配しようとするような言動は、必ず控えなくてはならない。
 では、どうするのか? 協力するのである。経済(出版・書店側)が政治(図書館界)と対立するのではなく、手を組むのである。
 出版業界と図書館界の人が並ぶシンポジウムなどでは、最終的にこのような議論で収まることが多い。問題は、総論賛成のその結論がなかなか実現されないことである。
 自身図書館のハードユーザーであり、出版・書店業界と図書館はもっと連携できるはずで、またそうすべきだと思ってきた私にとって、勤務先であるジュンク堂書店難波店の近くに、大阪市立中央図書館があったのは幸運であった。この館の5階に、立派なホールと言ってもうう300名近くを収容可能な「大会議室」があることを知っていた私は、すぐに連絡して快諾を得た。
 会場使用料は無料である。東洋経済新報社の担当者は喜んだ。ジュンク堂書店難波店でも、店頭でのトークイベントは行っているが、スペース的にも最大の50名位が限界だ。
 大切なのは、図書館と書店にもメリットがあるということだ。図書館は、藤原和博氏という大阪市とも縁の深い著名人を呼ぶことが出来る。われわれは、藤原氏の著書を多くのファンに販売することができる(もちろん、講演後にロビーでサイン会もする)。講演直後というタイミングは、参加者の購買意欲が高まっている。そして、そのことで、出版社はイベントに要する費用を、リーズナブルなものとして計上できる。
 その後、何度かこうした実践を行い、概ね成功だった。出版社も書店も図書館も、本を読者に届けることを目的としている。三者の仕事は、そのためのプロモーションといってもいい。その存在理由を共有する三者が、いがみ合うのではなく、それぞれの得意分野(図書館は場所の提供と集客、出版社は著者とのパイプ、書店は販売スキル)を自覚、相互に認識しながら協力し合うこと、いま出版物が直面している苦境を突破するために、それが何より大事なことだと信じる。

報 告 2

図書館の視点から出版流通の変化を考える
 -貸出重視、整理委託、選書委託、電子図書館 

     湯浅 俊彦(立命館大学文学部教授)

1.出版流通システムの変化と公共図書館の役割


 人類の長い歴史の中で出版メディアの生産・流通・利用・保存の様式は時代と共に変化し続けてきた。本報告では、日本における1970年代から始まった近代出版流通システムの変化を概観し、主に1990年代から現在までの特徴的な出来事に焦点を当てながら、出版流通における公共図書館の役割を検討し、2020年代に向けた出版界と図書館界の新たな取組みを模索する。

2.日本の出版流通の変遷

2.1 日本の出版流通システム


 日本の出版流通は取次や書店を中心に、そのほか多くの担い手によって支えられている。また今日ではインターネットを通じて出版物を販売するオンライン書店やデジタル・コンテンツをオンラインで読者に提供する電子出版のような新しい出版流通システムも生まれ、流通経路はますます多様化する傾向にある。


2.2 出版流通経路の多様化

 出版流通経路は図1のようにさまざまなものがある(湯浅俊彦「出版流通と販売」『出版メディア入門』第2版、日本評論社、2012年、所収)。

 このうち、出版社ー取次ー書店ー読者という取次経路がこれまで主流な経路となっていた。1970年代から始まった出版流通における大きな変化は、コンビニエンスストア、新古書店、インターネットカフェなど、出版物を入手・閲覧するルートは多様になり、1990年代半ばには既存の書店経営は悪化の一途を辿り、全国の書店数は減少することとなった。とりわけ、アマゾンなどの紙媒体の出版物をインターネット通販するオンライン書店、アマゾン「Kindle Store」、アップル「iBook Store」、グーグル「Google Play Books」といった電子書店によって、近代出版流通システムは大きく変容することになったのである。

3.公共図書館と出版流通とのかかわり


 公共図書館もまた出版流通の一翼を担っている。図1に示す読者の範疇には一般読者だけでなく、図書館や学校・企業という機関ユーザー経由で著作物を利用する読者が存在するからである。また、図1には図書館流通センター(以下、TRC)の存在が示されている。
 TRCは図書館総合支援企業として1979年に設立され、1982年にはTRC MARC発売開始、1996年には福岡市総合図書館において国内初の館内業務委託を開始している。『公共図書館の論点整理』(勁草書房 2008年)第5章に収められている小川俊彦「公共図書館の委託」によると、TRC設立は、⑴  1979年、日本図書館協会は1億円近い赤字と、3000万円分相当の滞貨、そして2000万円の未収入金を抱える。⑵ 弥吉光長はこの事業を出版界の協力を仰いで新会社「図書館流通センター」(TRC)に移管、というように出版界の援助によって行われたことを述べている。
 日本の図書館界と出版流通の関係にはこのような歴史的経緯があり、日本図書館協会が事業に失敗し、財政的に破綻したために、日本の出版界が援助し、現在のTRCが誕生したことは、もっと注目されてよいだろう。
 つまり、日本の出版界の売上が低下している今日、図書館界は出版産業の持続的発展を図るため、これを援助し、新しい協同の取組みを開始すべきであると筆者は考える。

4.出版界と図書館界の取組むべき道とは

 日本の出版流通の世界では現在、これまで出版の要であった取次の営業赤字、雑誌市場からの鉄道弘済会の撤退など、近代出版流通システムそのものが崩壊する危機に直面している。そこで新たな出版流通システムを創出するために、出版界と図書館界が協同で取組むべき道を考える上でヒントとなる論点をここに列記する。

4.1 出版市場としての図書館 

① なぜ日本では図書館が市場として認識されていないのか。

② 出版社は図書館による買替え需要をどのように見ているのか。 
③ 出版社は図書館の複本購入をどのように見ているのか。
④ 図書館は出版社のショーウィンドウ的機能をはたしているのか。
⑤ 図書館の貸出実態データは出版社に役立つのか。
⑥ 図書館と書店との間にあるのは、競合関係なのか。相乗効果なのか。
⑦ 図書館の資料費を増加させることはできないのか。
⑧ 図書館の電子書籍貸出サービスの進展はどうなっていくのか。

4.2 読書基盤としての図書館

① 図書館の選書機能は読者に何をもたらしているのか。

② 図書館の開架は読者に本との出会いをもたらしているのか。
③ 図書館は出版情報を読者に提供しているのか。
④ 図書館は読書センターなのか、情報センターなのか。
⑤ 図書館で育った読者が書店の購入者になっていくのか。
⑥ 図書館が新たな知を切り拓いているのか。
⑦ 図書館は地域の出版物に積極的に関わっているのか。
⑧ 図書館で電子出版コンテンツをどのように読むのか。

 以上の論点に留意して、当日のディスカッションを行いたいと考えている。

パネルディスカッション
【パネリスト】
  永江 朗(フリーライター,日本文藝家協会理事)
  福嶋 聡(ジュンク堂書店難波店店長)
【司会】
  湯浅俊彦(立命館大学文学部教授)


湯浅俊彦(司会):会場の質問にお答え頂きます。

質問:新刊発行点数が増え売上額が減っているとの事だが、コミックでも同様の傾向か?

永江朗:漫画も同様です。出版科学研究所等の統計では、いわゆる「コミックス」=新書サイズのコミック単行本は雑誌として扱います(ただし、同一コンテンツでもコミック文庫本や愛蔵版などは書籍扱いです)。ここ2~3年、紙のコミックスの販売額は減り続けていますが、電子版は増えているので、紙と電子を合わせたコミックス全体としての減少は止まりつつあります。

質問:「再販制は無い方が良い」と言っている出版社や書店の人もいる、との事でしたが、もう少し詳しくお話し頂きたい。書籍の販売価格を柔軟に設定できる様になる、以外にメリットはあるか?

永江:本音というのは取材でマイクを向けてもなかなか出てきませんが、酒が入ると漏れてくるものです。ある大手書店チェーンの幹部は、「再販制がなくなると、出版社間の淘汰が進み、グループ化していくだろう。そうなると書店の業務はやりやすくなっていい」といっていました。また、ある書店経営者は、「いまのシステムでは、意欲のない書店にまで配本するため、意欲のある書店に必要な本が回らない。価格も含めてどんどん競争して、やる気のある者だけが残るという淘汰のシステムがあってもいいのではないか」と話していました。日本の再販制は、実質的には「1円たりとも値引きは許さない。いちど決めた定価は、未来永劫値引きを許さない」という、硬直的な運用状況が続いてきました。時限再販や非再販をもっと柔軟に使った方がいいと私は思います。昨年(2017年)の雑誌の返品率は44.7%で、半数近くの雑誌が返品され断裁されています。昨年の雑誌の発行金額は1兆円ほどですから、金額にするとおよそ5千億円分を断裁して捨てているわけです。古紙にして再生しているといっても、それにもエネルギーを使うわけですから、出版産業というのは環境破壊的な産業であるという自覚を持つべきでしょう。そういったことも含めて、出版界はもっと積極的に、再販制の弾力的運用に取り組むべきだと思います。

福嶋聡:図書館と出版社・書店の連携では、一番の問題はお互いにもっと知りあう事が必要だろう。出版社は市場の大きさから言って東京中心にものを考えているのは間違いないと思うので、そこを動かすには、やはり声を上げて行くしかないのではないか。
 各地域にはゆかりの著者の方や、さまざまな著者のファンがいらっしゃるので、お互い知り合っていくことが一番大事かな、と思います。講師の著者とのコンタクトに関しても、地元の書店を通じてでも良いし、ナショナルチェーンの書店は全国にまたがっているから、心ある人が話を持って行けば、邪険にはしないと思います。

質問独立系の書店についてはどうでしょうか。

福嶋:例えばB&Bさん(Boook & Beer)、は凄く面白いと思います。僕もビールを飲みながら本を探したいな、という時があるので。大型チェーン店とそういうお店は役割、雰囲気が違いますから、私はそういうお店の方が自分が見る分には、好きです。
 今、ジュンク堂書店、丸善さんも含めてコードで本を管理していますから、どこの店に行っても探すのには簡単ですが、支店に行って本棚を見ても同じ並びなので、面白くない。あれっと思うような置き方をしている店は、その事によって本の新しい見え方があるのと思うので、凄く面白いです。そういう新しいお店はどんどん出てきていただければ、と思います。

質問それぞれの出版社、図書館、書店に、それぞれ独自の専門性は今も有ると思いますか?

福嶋:確かに、かつては専門性が有ったと思うのですが、データ等を通じて仕事をすることが多くなっているので、これはもう、湯浅さんがおっしゃったように、「本屋の人間、こんなに本を読まなくっていいのか?」ということ、これはある意味では今も変わらない。実際、好きで本を読んでいる人間は沢山いますし、その辺りはもっともっと評価というか、仕事につなげていければという気がします。その意味では、出版社、書店、図書館は共通しているので、本を読んでいるか、好きであるかどうか、好きであれば仕事は面白い、そうでなければ仕事は面白くない。好きであることは大事にしていきたいと思っています。

質問現場の書店員が本日のような話を聞いたり話し会う機会は、現在有るのでしょうか?

福嶋:現場の書店員の方がここに来ていらっしゃるからの質問です。
 先ほど湯浅さんが話された書店トーク会という例が、かっては有ったけれど今は無い、というわけではないと思うし、逆にそういうことは色んな方が着実にやって行かれれば良いと思う。何より大事なのは、書店には色々色がありますので、得意な事をお互いに知り合っていく事ではないか、という気がします。その意味では、誰もが全ての書物について通暁することは不可能ですから、あ、その事でしたら他社であろうが、誰それさんに聞けばいい、という事を自分が聞くこともあれば、お客さんに話すことができる、そんな事で繋がりあって行けたらと思います。
 具体的に言うと、大阪で言うと駅の上にある蔦谷書店にはイベントスペースがあることが、僕はうらやましい。僕は自分の店では店内の一角に無理やり丸椅子を置いてイベントしている。だったら、蔦谷書店でイベントを逆にコーデイネイトするか、何なら僕が行ってしゃべってもいい、そういうイベントが出来たらな、と実現はまだですが思っています。もっともっと書店同士が交流すべきではないか、と思っています。それは会社に対する裏切りでもなんでもなく、そうすることによってこの業界が活性化すれば良いな、と思っています。

司会:ここから、図書館と出版社との連携についての実例を伺いたい。福嶋さんのジュンク堂難波店と大阪市立図書館との連携は、書店と図書館との連携ですね、継続的に行われているのか、どういう展開をしそうですか?

福嶋:単発です。お互いに都合があって、図書館に予定がある時は僕らは行けないし、空いてて丁度良いなという時は行ける。こちらにネタが無いといけないし、何かあればご相談できるという位の関係です。

司会:配付した資料に、明日1021日神戸市立中央図書館の「本を届ける-出版の世界と図書館」という講演会の案内があります。こういう事をやろうと相談していた書店が閉店してしまって残念だったし、こういうことを言ってる間にも書店がつぶれていく。
 私は神戸市立図書館協議会の委員をしているが、神戸市には有名な海文堂書店が閉店(2013年閉店)して神戸市の久元市長も非常にがっかりされた。1995年の阪神淡路大震災以降、神戸市では沢山の書店が閉店したのですが、図書館として出版メディアを支えていくという活動の中で何かできないかという事で、図書館協議会のテーマにして、議論ばかりでなく何かやりましょうという事で、私が企画を立てたのが「本を届ける-出版の世界と図書館」という明日の講演会です。
 ここでは、神戸市に本社があり出版活動をされているエピックという会社の奥間祥行社長に「1冊の本が生まれるまで」の話をして頂いて、それに、以前三ノ宮のジュンク堂書店サンパル店という、非常に特徴的なお店に勤務されていた事から福嶋聡さんにお話していただく。
 福嶋さん、書店と図書館、売るのと貸す、あるいは館内閲覧の違いですが、講演会をやっていないですが、何が生まれると予想されますか?

福嶋:僕は図書館と書店では、流れている時間が全然違うと思う。書店は、平積みがあり、多面出しとかしますから今、何が読まれているかは非常に分かりやすくえり抜きできる。一方で単行本の新刊本は4~5年で売り切ってお終い。先ほど永江さんがおっしゃっていた、新刊政策の逆です。長く売る所はめったに無いですから、調べようと思っても本が無い。かなり前ですが、お客さんから東京佐川事件について調べたい、と言われてもそんな本は無いです。あるいは、リクルート事件の本も無いのではないでしょうか。
 永江さんとの関わりで言うと、1980年代のセゾンの栄光の時代は、永江さんが書かれた本位しかないのではないか(『セゾン文化は何を夢みた』朝日新聞出版 2010)。実は、そういうブックフェアをしようと思っても、本が無いです。ある時に、その時代を描いた山口泉さんの小説のフェアをしようと思って、セゾンとその時代は朴正煕大統領が暗殺された時代(1979年暗殺)ですから、韓国は民主化運動の盛り上がりと弾圧の時代ですけど、どちらも本が無いです。そんな本は図書館に行けばいくらでもあるだろうなと思いました。本当に相補的です。逆に図書館の棚で、今これはということ、それは良いものでも悪いものでも、別にして、2年ぐらい前であれば書店の雑誌売り場は朝日新聞バッシングの雑誌ばかりだった、それが風景になっていた。そういうことが起こっているということが、新刊本屋で良く分かると思います。
 それが良い悪いは別にして、現実はこうなんだということは、いわゆるヘイト本のこと、或いは変に日本を称揚する本の事を含めて、それが売れているという事を書店の店頭は如実に表しているわけですから、中心に流れている時間が違うということ、そこを相補的にやりたいな、と思う。ですから、図書館の方には良く書店の店頭においで下さい、この辺が旬ですよ、これから売れていきますよ、という話を書店員はしたがっていますから、是非そんな話をしましょう。

司会:ありがとうございます。永江さん、書店でのブックフェアという事になると、1970年代に「シュールレアリズム展」等、冊子を作ったり、地方・小出版流通センターが西武でブックフェアをしたりしました。書店のブックフェアは図書館とどういうスタンスの違いがあるのでしょうか?

永江1970年代の初めから半ばくらいにかけて、東京・吉祥寺の弘栄堂書店が「シュールレアリズム」などをテーマに次々とブックフェアを開いたのが、書店独自のテーマ性をもったフェアの先駆けだといわれています。それ以前は、書店のフェアというと出版社仕込みのものが中心で、いわば目録フェアでした。1980年代になると、後のリブロ、西武百貨店の書籍売場(西武ブックセンター)が恒常的におこなうようになりました。「イベント」と呼んでいましたが、書店がテーマを決めて、出版社を横断的に本を集め、お客様に見せていく。そこには、書店は単に本を売る場所ではなくて、文化を発信する場所でありたいという意識がありました。ベースには堤清二/辻井僑という、詩人・小説家であり経営者でもある二つの人格を持った人間の考えもあったでしょう。それが、読書界のニューアカデミズムブームを含めて上手くシンクロしたことによって、1980年前後から書店の役割がちょっと変わり、本を売る場所から色んな情報に接する場所、文化を作って行く空間へと変わっていった。書店の現場では、「本を売る事自体がクリエティブなことなんだ」という従業員の気持ちに支えられていた。
 しかし、よく考えると、当時の書店員には余裕がありました。デパートは6時閉店でしたし、毎週1回、定休日がありました。我々リブロの従業員は、6時に閉店して、645分までが就業時間。ちょっとだけ残業して、あとは仲間と飲みに行って、本の話をしたり、次の芥川賞や直木賞の予想をしたり。私はヘーゲルの『精神現象学』やフーコーの『言葉と物』の読書会をしたこともあります。それは余裕があったからできたことです。ところが90年代以降、とりわけバブル崩壊後は、定休日もなく、営業時間は長く、人減らしもどんどん進んでいます。中規模店でも常時いる正社員は1人か2人で、短時間のパート・アルバイトでなんとか営業しているという書店が珍しくありません。まあ、公共図書館も似たようなところがあるかもしれませんが。現場の労働条件の劣悪化が、書店にしても図書館にしても、読者から見て施設をつまらなくさせてしまっている大きな原因ではないかと思います。

司会:ありがとうございます。今のお話の中で出て来た出版物をある題で集める時に、出版社の目録しかなかった。『日本書籍総目録』(日本書籍出版協会)と「これから出る本」(日本書籍出版協会)が出版され始めたのは1977年だった。それまでは、書店はフェアを開く際は、出版社目録を集めてそれを見てシュールレアリズム関係があるとテーマに沿う本を探していた。弘栄堂書店吉祥寺店の鈴木邦夫さんに書店トーク会にゲストで来てもらった時に、いかに苦労したかを詳細に語って頂きました。
 『出版年鑑』これも今、話題ですねえ。『出版ニュース』が休刊する事により、どうなって行くか。あれは書目を1行ずつ書いている、非常に重要な文献ですね。書店の人が出版社まで行って、『ユリイカ』や『現代思想』のバックナンバーにシュールレアリズム関係がいっぱいあるじゃないか、これを集めてブックフェアをしようなどと、相当苦労していたわけです。
 そういう仕掛けとかは、基本的に図書館とは少し流れる時間が違うと福嶋さんは話されましたが、共通の要素が結構あるのではないか、と思いました。
 例えば、具体的な話をしたいのですが、大阪でOsaka Book One プロジェクトというのがありまして、これは朝井まかてさんが2015年の受賞者(『すかたん』講談社 2014)になった時に、大阪府立図書館で講演会をすることになりました。府立図書館でその時担当していた人が参加されているので、図書館でのフェアの取組について、参加者の方から実例を紹介していただきたい。

参加者:先ほどから何度か出ていますが、私も大阪の版元さん、取次さん、書店さんとこういうことをする事になって、場所が無いという話を聞きまして、図書館が忘れられているな、と思いました。図書館を使って下さい、図書館はたぶん皆やりたがると思いますよ。毎年、行う賞なので是非色んな図書館でできますよ、という話をさせて頂き、大阪府立図書館で行いました。その時、別の図書館2ヶ所位から、こういう集まりがなかなか無いという話しでした。

司会:ありがとうございました。本屋大賞の大阪版のようなもので、1冊の本を決めて、それに各取次、トーハン、日販(日本出版販売)さんなど、それにジュンク堂書店、紀伊國屋書店などの書店が集まり、その本を売って売って売りまくろうというプロジェクトです。著者の朝井まかてさんを招いて、私も参加したのですが、私の元ゼミ生が日販に入って1年も経ってなかったのですが、日販の大阪支店の営業にいて担当になって来ていた。日本出版学会の関西部会の会合に来ていた時に、TRCの大阪府立図書館委託業務統括責任者の方が居られて、その場で講演会場が決まって、非常に良かった。
 福嶋さんがおっしゃっていた大阪市立中央図書館の話しにしても、私がお話した大阪府立中央図書館にしても、イベントを行う際に、入場料を取れないとか、その場で販売がしにくいとか、色々課題があるかと思うのですが、ごく最近『書店に恋して-リブロ池袋本店と私』(晶文社2018)が、昨日、紀伊國屋書店新宿本店で18冊積んでいて、早速その場で買ったのですが、著者の菊池壮一さん、いらっしゃってますか?
 元リブロ社員で、現日比谷図書文化館図書部門長をされています。

菊池壮一いろいろな経緯があって、3年前リブロ池袋書店が西武百貨店と契約の続行が出来なくなって止めなきゃいけなくなり、私が最後の責任者だったので、誰か責任を取らなければならないかなと思い、翌年に止めました。その後、少しぶらぶらしていたのですが、書店じゃない目線でこの業界を見てみたいと思い、それで働かせて頂いてます。

司会:日比谷図書文化館では1階に本を売るスペースがありますが、あれはどういう経緯ですか?

菊池日比谷図書文化館には日比谷カレッジと称する講座があり、区からも認めて頂いてお金を取ってやっているのですが、講師の方々の本を1階のカフェで売っています。

司会:永江さん、TSUTAYA図書館と称される複合的な図書館で本を販売している事に批判が強いです。図書館界には本を販売する事を批判する人も結構いると思います。書店が本を売る、図書館が本を貸す、その間に、図書館が著者を招いたイベントとか工作教室を行う事もある。そこで本を売る売らないとなった時にその棲み分けをどのようにお考えですか?

永江自治体によっては、公共施設での商行為を制限していることもあるでしょうが、ただ、一昔前に比べてかなり柔軟になってきているようにも感じます。それは指定管理者制度とも関係があるのかもしれません。某県某市の図書館をコアとした複合型施設で講演したときは、地元の書店が机を出して私の著書の販売していました。公立の大型ホールでのコンサートなどでも、演奏した音楽家のCDの販売は珍しくありませんよね。商行為と公共図書館がまったく相容れないということはないでしょう。ある図書館では、館内で検索をすると、所蔵していない本は他館から取り寄せることができるし、市内の書店から購入することもできる。図書館と書店とがシームレスに繋がっている所も増えている。やろうと思えばいくらでもできると思います。
 地方では著者を招くイベントを行いたくても伝手がないという悩みがあると聞きます。そういう場合は日本文藝家協会にご連絡をいただければ、協会に所属している著者ならご紹介できます。もちろん、日程などさまざまな都合で作家が断る場合もあるでしょうが。日本文藝家協会が出している『文藝年鑑』に名簿が載っていますから、それを見て協会に電話をしてくれればお繋ぎします。遠慮せずにどんどん電話を頂ければと思います。

司会もう少し、柔軟にすれば良いのではないかという事ですね。
 それから、先ほどの私のゼミ生ですが日販が図書館選書センターを東京の麹町に作ろう、という事になった時に、自分で手を挙げて移りました。あそこは学校図書館向けの展示スペースがあり、恒常的に図書館向けの資料を取次が積極的に売って行こうとしている。というのは、書店の売上額が下がることにより、相対的に図書館の地位が上がったのではないかと思う。
 皆様にお配りした資料に『図書館年鑑』2018(日本図書館協会2018)の図書館資料費の部分がありますが、2016年度の資料費の実績が256億円62百万円とあります。この数字はどうでしょうか。“ちっさい“ですよね。明らかにちっさいと思います。出版界で言う所の売上からすると、ここにある3,215の図書館総数が束になって256億円なのか、1年間で、しかもこれは多様な資料ということで、決して図書だけではないのですが、この辺を一寸、福嶋さんは、図書館のこういう資料費の面について、話していただけますか。

福嶋:僕は現場から考えますから、ある時期図書館の方は気の毒だな、と思ったことがあります。というのは、書店は、売上さえあげれば人も増やせるし支店も出せる。図書館の場合は予算ですね。これは大きく違うかな、という気がします。訴える相手が違う。書店は読者に訴えかけていけばいいが、図書館の方は行政に訴えていかなければならない。全く訴え先が違うので、その辺のご苦労が分からないのですけども、書店の販売予算と図書館の予算も質が全く違うので、多い少ないも分からないのが本音です。

司会はい、いわゆる大学図書館と公共図書館を比較した場合でも、公立大学の図書館に居た人が、公立図書館に人事交流で異動になる事があります。大学図書館から公立図書館に移った人から聞いた話だが、公立図書館で2,000円の図書を買おうとしたら高額図書と言われてのけぞってしまった。「高額図書だから慎重に検討しないといけない」と止められたそうです。それぐらい落差がある。資料費の問題は、そういうかなり大きな課題だと思う。

永江昨年のこの分科会のシンポジウムで、時間切れとなってしまった所につながります。公共図書館はそれぞれの議会に対して利用状況とかを説明していく責任がありますが、その時、行政の側が評価する尺度としては、貸出冊数や利用者数といった数字しかないというのが現状だと思います。具体的にどういう本がどのように利用されているかとか、どういうレファレンスが行われているか、ややおおげさにいうと一人の市民が図書館を利用することでどんなふうに幸福になったかといった質の部分について、議会が図書館を評価したり判断したりというのができない。それは、非常に問題であると思います。図書館側からも利用者数・貸出冊数だけではない評価のモノサシを提案していかなければならないと思います。
 文庫本の貸出しや複本購入に出版界からいろんな批判がありますが、図書館の現場からすると、数字の上がりやすい資料を優先して置きたくなるというマインドも、議会対策という中では出てくるであろうと思います。
 これからの図書館のスタッフに求められるのは、司書としての知識・見識や発想力・行動力だけでなく、予算を獲得してくる行政マンとしての能力だと思います。それは単純にどれだけ予算を取るかではなく、予算を獲得するために、行政・都道府県・市町村議会議員にアピールすることも含まれます。批判の多いTSUTAYA図書館ですが、そこはうまいと認めなければならない。議会対策としての図書館のあり方としては、とっても上手にやっていると思う。ただ「図書館の予算が増えればいいね」と空を見上げているだけでは、予算は絶対に増えません。予算を増やす為にはどうするかを、あの手この手で考えていかねばならない。図書館の予算が増えれば、出版界にとっては売り上げが支えられる、一人一人の書き手にとっては次の作品を書く支えになるわけですから、とにかく予算獲得から、と思うわけです。

司会続けて、いわゆるベストセラーとか、本屋がむしられっぱなしとかの所で出ていましたけれど、図書館におけるベストセラーの取扱いについて、どの様にお考えですか?

永江書き手も一様ではありません。「複本には反対だ、図書館は貸出猶予をして欲しい、文庫本も貸出さないで欲しい」という書き手もいるし、「図書館が購入することで下支えされているので貸出猶予なんてとんでもない、図書館には積極的に新刊を購入して欲しい」と思っている書き手もいます。
 また、作家もいろんな種類がいて、書くことだけで食べている専業作家もいれば、作品が読まれることでセミナーの客を増やす、集客装置としての本を大量に書いている作家もいれば、大学などの教員をしながら書いている作家もいる。いろんな人がいて、一人一人立場がと意見がいます。
 図書館と出版社、書き手の問題を語るとき、私たちはあまりにも新刊だけに目を奪われているのではないかと感じることがありました。昨年、山形県川西町の井上ひさし遅筆堂文庫に招かれて講演をしました。その際、会場の方に最近読んだ本、いま読んでいる本について、一人ひとり話してもらいました。驚いたのは、新刊をあげる人がほとんどいなかったこと。多くは、20年前、30年前に出た本を挙げていました。その本をどうやって入手したかを聞くと、「家に以前からあった」「古本屋で買った」「人からもらった」という答えが多い。出版業界の内部にいると、本といえば新刊を意味し、過去6ヶ月以内に出た本の事だけをかんがえてしまいがちです。しかし、一般の読者にとって本は、10年、20年、50年という長さで存在している。先ほど福嶋さんが「流れる時間が違う」と話されましたが、まさにその通りで、出版業界の内部の時間と一般の読者にとっての時間とを、うまく掬い上げていくのが図書館ではないかと思っています。

司会非常にうまく説明して頂いて、良くわかりました。会場からもう1人だけ複本問題で、『模倣犯』(上・下 宮部みゆき 小学館 2001)が大変に沢山図書館に置かれているではないか、と当時、NHKの「クローズアップ現代」で「ベストセラーをめぐる攻防」(2002年11月7日放送)で悪の代名詞のように取り上げられました。その町田市立図書館の関連の方に、2002年と今が、同じなのか違うのかをお話し願います。

参加者おそらく、以前はベストセラーを何十冊も置いていたが、最近は予算が減ってそうした買い方はできなくなっている。もう少し多様な本をどのように確保していくかに視点は移っていっているが、議論は深まっていない。図書館の側も出版にエールを返すという事になかなかなって行かない。

司会ありがとうございました。その時は、糸賀雅児先生が出演し、丁度、明と闇という感じで、神奈川県立図書館(横浜)と神奈川県立川崎図書館はとってもいい事をしている。一方で、町田市立図書館は同じ本を50冊も買っている、といった描き方をしていた。実際は、町田市立図書館がレファレンスをしていないわけでもなんでもないわけで、非常にバイアスのかかった取り上げ方だな、と思いました。
 ちょっと時間が無い中ですが、2002年4月には朝日放送で「誰が書店を殺したのか」が放送され、11月にはNHKで「ベストセラーをめぐる攻防」が放送された。それから、議論が深まってないのが問題で、図書館と書店、出版社、こういった所をめぐる問題について、もう少し具体的な連携の例の中でとらえていく方が、何か抽象化した議論をしているよりも良いのではないか、明日は福嶋さんと私が神戸で話すことが、第一歩かなと思っています。
 最後に、本日登壇している方に一言ずつ、まとめの言葉を頂いて閉会したいと思います。

永江出版業界の未来というと、つい悲観的になりがちですけど、本がなくなることはありえません。では、その本をどう残すのか、ということだけが課題です。書店や図書館や、あるいはさまざまな施設が、どう役割分他をしていくか、どう協同していくかが課題であって、呑気に足を引っ張ったり攻撃していられるような状況ではない。やれることは何でもする、というくらい開き直らないと2020年以降はもたないと思っています。

福嶋:まとめではなく、一寸さっき思い出した事が、私は複本の件で書店員にあるまじき事をしているんです。戸田市に住んでいる時、近くの分室にお世話になっていた。ネットで見たらベストセラーが50人、100人待ちなんですね。その時、ふと『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告』(菅谷昭子 岩波書店 2003)を読んで、全然レベルは違うんですけれども、公共図書館は行政ではなくて市民が創る図書館だという事、僕はアメリカフリークでもなんでもないんだけど、そこは少し日本も学んでも良いのではないかと思って。じゃあ、僕は何ができるかと思ったら、本屋ですから特に売れている本が気になって、そのような本は図書館では100人待ちで借りられないので、それは書店で買います。買って何回も読み返さないような本なら、図書館にあげに行きます。単にあげるだけです。そんな事から、お互いに協力し合って、家には本が溜まらないし、書斎のような気持にもなれるし、そんな事からひょっとしたら利用者の方、我々から言えば読者の方ですが、意外な所から近くなれる方法があるのではないかいう気がします。それだけお伝えしたいと思いました。

司会ありがとうございました。この後、第18分科会、「出版と図書館」という分科会は、今年は「地域の読書をほりおこす」という事で、まさに図書館と地域書店、出版社との連携、出版文化を支える地域の読書を支えるためにという事例をちゃんとやります。山梨県の事例を通して地元書店との取組が話されますので、是非、ご参加下さい。

(以上)

参加者数:150名

運営委員:小熊美幸(国立国会図書館)

間部 豊(帝京平成大学現代ライフ学部)

湯浅俊彦(立命館大学文学部教授)

吉野友博(元荒川区立南千住図書館)

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