「図書館員のおすすめ本」本文

これまでに『図書館雑誌』で掲載した「図書館員のおすすめ本」を,こちらのページで掲載しております。

※ 一部は非公開としております。執筆者の所属は,発表当時のものです。

名画の中の料理

メアリー・アン・カウズ著 富原まさ江訳 エクスナレッジ 2018 ¥2,200(税別)

 皿に美しく盛り付けられた料理は,キャンバスに描かれた絵画のようだ。この本はまさにそんな一冊である。
 書名から,名画に描かれている料理を解説した本だと思いきや,そうではない。有名なものから無名のものまで,料理に関するさまざまな絵画やレシピだけではなく写真や日記,詩や散文からの引用なども紹介されている。
 例えば,マネの絵「アスパラガスの束」にはプルースト著『失われた時を求めて』からの引用と,画家ジョージア・オキーフによるワイルドアスパラガスのレシピが添えられている。セザンヌの「3個の梨」にはセザンヌ自身の梨のデザートレシピ,マネの「レモン」はチリの詩人パブロ・ネルーダの詩と共に載せられている。
 天才ピカソやレシピ本を出版するほど料理好きだったというダリの絵画やレシピ,エピソードも多い。
 前菜から始まり,スープ,卵,肉などと続きデザート,飲み物で終わる章立ては,まさにフルコースで料理を味わっているようだ。
 各章の最初で著者が紹介しているエピソードも興味深く,次に続く作品がより楽しめる内容になっている。
 取り上げられている作品は,19世紀から現在までの食べ物にまつわる文学や詩の引用,レシピ,静物画,写真と多岐にわたるが,その組み合わせが絶妙で,読みながら本当に料理をしているような,料理を前にしているような,画家や詩人たちと食事を楽しんでいるような気分になってくる。
 出てくる料理は主にヨーロッパやアメリカの人々にとっての家庭の味であったり,ごちそうであったり,中には日本人である私には想像もつかないようなものもある。気になるレシピに挑戦してみるのもいいかもしれない。

(緒方仁子:福岡県立太宰府高等学校)

コメニウス「世界図絵」の異版本

井ノ口淳三著 追手門学院大学出版会発行 丸善出版発売 2016 ¥2,800(税別)

 「コメニウスは,十七世紀前半の動乱に生まれた天才である」(『児童文学論 下巻』福音館書店 2009 p.96)。児童文学者の瀬田貞二は,コメニウスをこう高く評価した。
 16世紀末のチェコに生まれ,教育者,聖職者などとして生きたコメニウスの78年の生涯は平坦ではなかった。子どもの頃から家族を相次いで失い,異端とされた宗派であったために祖国を追われ,欧州各地を転々とする一生であった。60歳直前のときには全財産を焼き尽くされるという惨劇にもあった。が,その直前に印刷所に届けておいた文書がその後の欧州の教育,児童文化に大きな影響を与えた『世界図絵』の原稿だったのである。
 「コメニウス以前の中世教育は,体罰が教育の方法だと疑いもなく行われていた。それは子どもを性悪説的な観点で捉えていた結果でもある」(工藤左千夫他著『学ぶ力』 岩波書店 2004 p.107)。その時代に,コメニウスは「子どもたちは絵を見ることが好きである。そしてその中から物事を自由に空想し創造する能力をもっている」(『学ぶ力』 p.108)と『世界図絵』の序文で宣言した。これは,子どもの観方を「性悪説」から「性善説」へと根底から転換する画期的な考え方であった。
 『世界図絵』は「18世紀には聖書に次ぐベストセラー(千野栄一)と言われ」(本書 p.4),「コメニウス以降ジョン・ロックやルソー,カント(中略)などを経て,近代教育と児童文化は開花する」(『学ぶ力』 p.108)ほどの潮流を起こした。
 世界初の絵入りの教科書,絵本の始まりという点からもその出版の意義は極めて大きい。
 本書は『世界図絵』以降,各国で出版された270種類以上もの「異版本」の研究書であり,元祖『世界図絵』への論讃である。最初に日本語に翻訳したのが18世紀に薩摩からカムチャッカに漂着した少年ゴンザだったという点も興味深い。

(橋爪千代子:立川市多摩川図書館)

大丈夫,働けます。

成澤俊輔著 ポプラ社 2018 ¥1,400(税別)

 総務省が2018年6月に公表した5月の労働力調査によると,完全失業者数は158万人となっているが,本書の著者によると,“働きづらさ”を抱えている就労困難者は3000万人と考えられている。“働きづらさ”には身体障がい,知的障がい,発達障がいもそうだが,引きこもり,難病,DV被害者や破産者など,理由は多岐にわたる。本書はそんな働きづらさを抱える就労困難者支援をするFDA(Future Dream Achievement)の活動が綴られている。
 第一章では,5人の働きづらさの体験を一部マンガにして説明をしている。気持ちに余裕がないとき,忙しいと感じているときなどは,マンガで書かれているものも図書館利用ではよく好まれるので,程よい構成に感じる。
 第二章ではどんな人や出来事がきっかけで就労困難者になるのか,第三章では,著者の生い立ちに触れている。実は,著者の成澤さんは,網膜色素変性症という病気で視覚障がい者でもある。また,働く過程でうつ病や髄膜脳炎となり,自身も就労困難者となっている。
 FDAではトレーニングを積み重ね,就職をサポートしている。そんな中で著者がくりかえし「大丈夫だよ」と声をかけ,就労困難者も自分ができること・できないことを理解し,会社もそれを理解し受け入れる。そんな相互の関係を築き上げていくことが,長く働き続けられることにつながる。
 仕事にのめりこみすぎてうつ病や双極性障がいになった人など,だれにでも“働きづらさ”を抱えることはありえる社会になっている。正社員になって働いたことのない人が初めて正社員となり,プレッシャーでうつ病になることもあるそうだ。もはや,私たちはこの“働きづらさ”のある社会から目を背けることは出来ない。「大丈夫」と,多様性を受け入れることが必要なのだ。

(村上さつき:大崎市図書館,日本図書館協会認定司書第1089号)

偉大なる失敗 天才科学者たちはどう間違えたか

マリオ・リヴィオ著 千葉敏生訳 早川書房 2015 ¥2,400(税別)

 チャールズ・ダーウィンやアルベルト・アインシュタイン。天才と呼ばれるような科学者たちの偉大な業績と偉大な失敗をご存じだろうか。
 本書はダーウィンから始まり,さまざまな科学者たちの業績と過ちをたどりながら,最後にアインシュタインの過ちを考察している。天才アインシュタインが犯したとされる「最大の過ち」とは何か。一般的には,相対性理論に宇宙定数を導入したこと(後に削除されている)をアインシュタインは「最大の過ち」と悔やんだと言われている。しかし著者は,その逸話に疑問をなげかけている。①最大の過ちの話の出所が,自分の話を盛ることで有名な人物の発表であること。②アインシュタインが残した私信や論文をチェックした所,「最大の過ち」とそれに類する言葉が使われていないこと。この2点から著者は,アインシュタインは宇宙定数を最大の過ちと考えてはいなかったと結論づける。では,最大の過ちとは一体何なのか。ぜひ,本書を読んで確かめてもらいたい。
 彼らの過ちには,私たちでも日常的にやってしまうような過ちが含まれている。業績だけではなく,過ちに着目することによって,天才科学者たちがただの人であったことも伝わってくるので,伝記のように読むこともできるだろう。過ちを丹念に検証するため,著者が文献にあたる様子も本書の読みどころの一つだ。参考文献や原注はもちろん充実している。科学者同士の議論の説明があるので,手紙や発表された論文を利用して,科学者たちが活発な意見を交わしていたことが伝わってくる。自分の関心のある章のみを読むつもりが,ついつい他の章も読みたくなり,最終的には全部読んでしまう。そんな,人に読ませる構成となっている。なお,本書は文庫版も販売されている。選書の際のご参考までに!

(松本佳奈:広島県立図書館)

故宮物語 政治の縮図,文化の象徴を語る90話

野嶋剛著 勉誠出版 2016 ¥2,700(税別)

 旅先としてますます人気上昇中の台湾。雰囲気のよい書店やおいしい料理に気軽に出会える魅力溢れる島である。しかし,九州ほどの大きさの台湾は,「島」なのか,「国」なのか,「中国」なのか,と問われてみると,困惑し口ごもってしまうのが正直なところである。
 本書は,朝日新聞で中華圏報道を重ねた元記者が,東アジア最高峰の博物館・故宮(台北)の長年の取材を通して示す過去から将来にわたる台湾像である。日本という第三者の視点がかえって像をくっきりさせている感がある。王朝継承と歴史の正統を何よりも重視する中華世界において,過去の文明の集積である故宮文物は日本での想像を大きく超える価値があるという。よって,国民党の蒋介石は,日中戦争時,戦禍を避けるため王朝遺産の眠る故宮(北京)から文物を南方に避難させ,終戦後共産党との内戦に敗れるとその一部を台湾へと運び込んだ。結果として文物は北京と台北に分離し,二つの故宮は政治対立の象徴となった。しかし,台湾の成長に加え近年著しい中国の経済成長は,これまでの双方対立に,解決なしの現状維持という解決法をもたらす可能性を感じさせるという。決して予断は許さないが光である。
 ところで,本書を取り上げた隠れた理由は,巻末の故宮(台北)の歴代役職者インタビューで語られる運営方針の変化や職員の意識が,日本の公共図書館を考える上で面白いと感じたからである。政権と故宮が一体であるのは措くが,市民に比べ伝統中華世界重視の気風が強い職員,広くアジアに故宮を位置づけ多元化を目指す民進党時の院長,セールスに長じても文物理解の浅い院長を好まない職員など,単純に割り切れず胸がずきずきする。
 著者の『台湾とは何か』(ちくま新書 2016)を併読すると理解が進み,日本への新たな視点も加わると思う。あわせて小籠包を味わえばさらに理解が深まるに違いない。苦しく,楽しい時間である。

(鈴木崇文:名古屋市山田図書館)

南極建築1957-2016

LIXIL出版発行 2016 ¥1,800(税別)

南極が舞台のアニメ『宇宙よりも遠い場所』を見て,オーロラ,ペンギン,砕氷船…など,今まで知らなかった南極に興味を持ったとしよう。多くの人は,なんとなくの興味だけで終わるのだろうが,そうしたときにこそ,ぜひ図書館の書架を眺めてほしい。「南極の本だ」と手に取った一冊から,興味が広がっていく。
 今回,紹介するのは『南極建築1957-2016』。NDCだと526(各種の建築)に分類されることが多いので,そこに南極の本が置かれているとは,気が付きにくいかもしれない。
 終戦から10数年後に行われた南極での基地建設は手探りで行われた。初期案では円形の建物も考えられていたが,現場からの組み立てやすさの要望もあり四角い形に改められる。建築家・浅田孝はパネルを組み立てる方式を考えた。「日本初のプレファブ建築」とされる。本書には組み立てマニュアルを兼ねた設計図面集の一部も掲載されている。この建物は工芸品と語り継がれた。
 南極には高床式の建物が多い。スノードリフトと呼ばれる雪の吹き溜まりへの対策である。近年は船も大型化し運べる資材も増えた。エコや生活の快適さを考慮した建物が主流で,昭和基地の自然エネルギー棟は,2011年のグッドデザイン賞を受賞した。
 日本以外の南極の基地も写真で紹介されているが,デザイン的にも目を引く建物ばかりで,機能性も含め,国ごとの特色もうかがえる。
 本書は,南極の建築の歴史を軸に,写真,イラスト,解説,証言などでまとめている。多方面から読みやすく書かれているので,ここから関心が広がることもあるだろう。図書館が出会いの場であるのなら,こんな本もあることを知ってもらいたいと感じた。上記のアニメや南極が舞台の映画などを見ても,これまでとは違った楽しみが生まれるだろう。

(高田高史:神奈川県立川崎図書館)

健康格差 あなたの寿命は社会が決める

NHKスペシャル取材班著 講談社(講談社現代新書) 2017 ¥780(税別)

 センセーショナルな題名だ。寿命とは訪れるものではなく,社会から決められるものなのか。
 寿命に影響を及ぼすものとして何を思い浮かべるだろう。例えば生活習慣病やがんであれば,食事と運動などの生活習慣や遺伝的要因と考えるのではないか。そして生活習慣病になるということは,自らの健康管理を怠ったゆえの結果であり,中高年の問題と考えはしないだろうか。
 本書において,30代で糖尿病を発症し寝たきりに近い生活を送らざるを得なくなった女性の例を始め,これは中高年だけではなくすべての世代の問題であり,「所得」「雇用形態」「家族形態」「地域」といった個人の責任のみに帰すことができない要素が寿命に結び付く健康格差となっており,命の格差ともなっていることが示されている。
 テレビ番組の制作過程の取材に大幅な追加取材を加えて執筆された本書は,貧困や健康上の困難を抱えた人,医療者,自治体職員のほか研究者の声を取り上げている。また番組中の「自己責任」か否かについての討論の様子が紹介されており,読者自身がこの問題をどう捉えるのか問われることとなるだろう。いずれにせよ健康格差を自己責任論で切り捨ててみても,結局は自分自身や社会全体に帰ってくるということだけはわかるのだ。
 図書館で働くということは,少なからず超高齢化社会,雇用問題,貧困,社会的孤立といった問題の渦中にいる人々と向き合うことなのだということを忘れてはならない。また,区民全体の野菜摂取量を増加させた足立区の取り組みの成功例や,人々や組織のつながりを「資源」ととらえるソーシャル・キャピタルと健康との関連等が示されており,未来に希望をつなげるために自分自身あるいは職業人としてなすべきことについて,考える一助となるであろう。

(谷口美和:ふじみ野市役所)

捨てられないTシャツ

都築響一編 筑摩書房 2017 ¥2,000(税別)

 本書は,70枚のTシャツとその持ち主の話を連載したメルマガの記事をまとめたものだ。各文章にはTシャツの名前と写真,持ち主の年齢,性別,職業,出身地がそえられる。「ホノルルマラソン 68歳男性 小説家 京都府出身」という具合。プロフィールだけで誰だかわかりそうなプロの書き手も登場するが,9割は一般の人である。
 「私の自慢のTシャツ」というのとはすこし趣が異なる。自分とTシャツとの出会いをあっさり書く人あり,Tシャツの話より自分の生い立ちや恋愛のすったもんだのほうが長い人あり。体型が変わってしまい今では着ることができない,今は寝巻きになっている,たまに取り出してニオイを嗅ぐだけ…だがとにかく捨てられない,そんなTシャツが登場する。
 「まえがき」で本書の編者都築響一は「これはもしかしたら,Tシャツという触媒から生まれた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』なのかもしれない」(p.12)と書いている。このプロジェクトはポール・オースターがラジオ番組で「作り話のように聞こえる実話」を全米から募ったものだ。集められたのは,この世界のどこかにいる(いた)名もなき他人がこの世界を自分とは違うように生きている(生きた)という話。それだけなのだが妙に残る。ひょんな事で思い出す。捨てられないTシャツというテーマで語られた70人の話も妙に残る。
 排架待ちのブックトラックで本書を見た時に,読んだことはないのに内容を知っていると思った。しばらく考えて,「家の者が,Tシャツが捨てられないとかいう本を読んでいる」という話を知人から少し前に聞いたことを思い出した。いつか,この話を聞いた時に座っていた木の丸椅子のかたさや,ほの暗い部屋の様子とともにふと思い出し,「なんだっけあの本」と探しに行く気がしている。

(上杉朋子:豊中市立岡町図書館,日本図書館協会認定司書第1122号)

歌う鳥のキモチ

石塚徹著 山と溪谷社 2017 ¥1,400(税別)

 鳥の声は2種類に分けられる,と聞いてすんなりと頷くことの出来る人は,余程の鳥好きに違いない。一つは「さえずり(歌)」で,繁殖にかかわる比較的複雑な声のことである。主に幼鳥時代に学習によって獲得するもので,ウグイスの「ホーホケキョ」が代表的な例である。多くの種類はオスだけが歌う。もう一つは「地鳴き(普段の声)」で,オスもメスも発声する。身の危険を知らせる,など本能的に発せられる声のことである。本書は主にクロツグミの「さえずり」に言及している。
 まず,鳥の種類によって持ち歌のレパートリーがあることを地道な観察によって突き止めている。さらには,さえずっているオスが独身なのか,既婚者なのかを,その歌のレパートリーと回数,鳴く時間帯で区別することもできる。「さえずり」は遺伝ではないため,環境によって持ち歌にアレンジを加え,変化させることがあることも証明している。そこには,一羽につき100回以上の鳴き声を録音し,一回一回の声紋を分析し,鳴き方の特長をひとつひとつ書き出してカウントするという,地道で膨大なデータ解析から成る裏付けがある。そのため,著者は山林で出会うクロツグミを,声だけでどの個体かを聞き分けることもできる。
 その結果著者は,オス鳥たちが自分の遺伝子を後世に残すために,歌を磨き,本来一夫一妻であり育雛に熱心な彼らが,妻の抱卵期に平気で縄張りを越え,近隣のメスに近づく,という事実を発見することになる。既婚メスも自分の遺伝子を残すために,より魅力的な声を持つオスの呼びかけにちゃっかり応じている。オスが二つの巣の間を,それぞれのメスに対して愛の歌を歌いながら行き来しているうちに,二羽のメスの距離が近づきすぎ騒動が勃発,などという修羅場も…。鳥たちの美声は私たちにとっては癒しであるが,その裏には,人間顔負けの命がけのドラマが隠れていることに,思わずにやりとしてしまう。

(鏡 円:東京都府中市立中央図書館)

あやつられ文楽鑑賞

三浦しをん著 ポプラ社 2007 ¥1,600(税別)

 文楽は敷居の高い伝統芸能の一つで,積極的に観劇に行くのは余程好きな人だろうと推測する。私は小学校か中学校かの芸術鑑賞で見たときには文楽というものに違和感しかなかった。生身の人間で演じればいいものを,なぜに人形と義太夫と三味線で演じるのかと。それが大人になり自分の意思で舞台を見ると,なぜか違和感はどこかへ行ってしまった。私も“あやつられ”るように文楽鑑賞にはまりつつある一人だ。
 本書は楽屋取材やしをん流の作品解説で,文楽の魅力を伝えてくれる一冊だ。三味線の鶴澤燕二郎(六世燕三),人形遣いの桐竹勘十郎,義太夫の豊竹咲大夫への楽屋取材を通して芸や伝統,演者の日常や人柄などを垣間見ることができる。
 文楽作品は惚れた腫れたのドラマのような内容や時代物など,江戸時代から庶民が楽しむもの。何百年も前に創作されたのだから,登場人物たちの感覚や発想,行動が今とはまったく違う。それにツッコみつつ,堅苦しく見なくても自由に楽しめばいいというのが著者の語り口調でよくわかる。また,演目には歌舞伎や落語に共通するものもあり,今風にいうメディアミックス。当時の人たちが,文楽で大当たりしたから他の芸能でも取り入れようというノリ。そんな比較も興味深い。
 文楽の魅力について「大夫,三味線,人形が繰りだす芸と技。いきいきした登場人物と,壮大さと深みを備えたストーリー。たまにトンチンカンな言動や思考を見せる登場人物に,「そりゃあないだろ!」とツッコむ楽しさ。(中略)見るひとがそれぞれ,自分だけの楽しみかたを発見できる,間口の広さと奥深さ。それが文楽の魅力ではないだろうか。」(p.263)とある。まさしく舞台を見れば著者の言うとおりだと実感できる。
 文楽の道に邁進する若者たちを描いた同著者の『仏果を得ず』(双葉社 2007)も合せて読むと,本物の舞台も見てみたくなること間違いない。

(金森陽子:大阪信愛学院図書館)

ビブリオテカ 本の景色

潮田登久子著 ウシマオダ発行 幻戯書房発売 2017 ¥8,000(税別)

 本書は,写真家潮田登久子が1995年から撮り続けてきた「本」の写真をまとめたものである。取り上げられているのは,中世ヨーロッパの祈祷書,重厚な革装の稀覯本,近世の和装本から近代の子どもの本までと幅広い。本の置かれた場所も,個人の書斎や図書館の収蔵庫,古書店などさまざまである。著者は,オブジェとしての本だけでなく,本をめぐる環境にも魅せられている。タイトルの「景色」はここから来ているのであろう。
 紹介する際のカテゴリ分けもユニークである。「手稿」や「活字」,部分に注目した「面」「背」「天地と小口」,形態による「豆本」「分厚い本」「痩身」。また内容から見た「日本を旅行する」「美女と美男」,さらには本の行く末について考える「修復」「死亡」など,AからZまで26のテーマのもと,いろいろな本の景色が登場する。次のページに何が現れるのか,わくわくさせられる。
 図書館の特別資料室で整然とならんでいる本もあれば,表紙がボロボロと崩れ角は折れ,形がゆがんで自立しない本もある。蒐集した持ち主を失い雑多にならぶ本,おびただしい付箋がはさまれた辞書,包帯をまかれて書架で修復を待つ本…。モノクロ写真から浮かび上がるのは,本がまとっている,過ごしてきた時間の層だ。そこには不思議な美しさがある。モノとしての本が,どんな場所に収められ,誰に読まれ,大事に引き継がれ,いつの時代の空気を吸って今にいたったのか。本がたどってきた人生を感じさせる。
 日々,多くの本に囲まれて仕事をしていると,個々の本に目が向かなくなることがある。そんなとき,ふいに森から木にピントが移るように,一つ一つの本を慈しみたくなる写真集である。
 前作『みすず書房旧社屋』(ウシマオダ 2016)に続き,本作も高い評価を受け,2018年「土門拳賞」を受賞している。

(神原陽子:埼玉県立久喜図書館)

虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡

小松成美著 幻冬舎 2017 ¥1,300(税別)

 日本のチョークのシェア50%を占める日本理化学工業の取材をまとめた一冊。「ダストレスチョーク」とガラスなどに描き消しできる筆記具「キットパス」が主力商品だ。スポーツ・芸能関係の人物ルポルタージュ等を手掛けてきた著者が,『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著 あさ出版 2008)やテレビ番組で取り上げられているこの会社を,工場,経営者,社員とその家族への取材を通じ,会社の歴史も振り返り紹介する。
 従業員の7割が知的障がい者。大山泰弘会長が社長のときに知的障がい者雇用をスタートさせたのは1960年。経営者は,障がい者が働くための工夫を次々展開していく。作業に必要な道具の改善,各自が設定する1年の目標,個人の特性に合った役割,「6S」活動,10年単位の勤続表彰…。
 「人は仕事をすることで,人の役に立ちます。褒められて,必要とされるからこそ,生きている喜びを感じることができる。(中略)彼らから,働く幸せ,人の役に立つ幸せを教えられたのです。」(p.14)と大山会長は言う。過去には障がい者雇用の取り組みに反発した息子の大山隆久社長も,今は同じ思いでその理念を引き継ぎ経営にあたっている。取材中の2016年7月,相模原殺傷事件が起きる。著者は,この会社に,共に生きるヒントを見いだし,繰り返し「働く幸せ」を伝える。
 褒めることで相手に対し感謝の気持ちを持つことができ,褒められることで自信と責任感が育ち,よい結果が出せる働きをする。できないから責めるより,褒めて褒められて互いに感謝の気持ちを表し認め合えたら,閉塞的な状況が少しはひらけて生きやすくなりそうに思った。
 館内ではチョークと並べて本を紹介してみた。キットパスも使ってみたいと思っている。
 写真は大西暢夫。写真掲載はそう多くはないが,工場で働く従業員の表情を温かくとらえている。

(池沢道子:神奈川県立茅ケ崎北陵高等学校図書館)

牧野富太郎 植物博士の人生図鑑

コロナ・ブックス編集部編 平凡社 2017 ¥1,600(税別)

 社会人になりたての頃,通勤路にある都内の公園の中で,よい香りに包まれる場所があることに気がついた。正体は沈丁花の花だと聞き,その香りが記憶に刻まれた。以来,植物の持つ圧倒的な存在感に心惹かれるようになった。
 図書館や書店で植物の本を眺めることは私の楽しみで,そんな折に出会ったこの本は,日本の植物学に多大な功績を残した牧野富太郎氏の自叙伝である。氏に関する著書は数多く刊行されているが,これはビジュアル版として美しくまとめられた1冊だ。既刊の著書から抜粋した文章を紡ぐかたちで進む本篇は大変読みやすく,緻密で詳細な写生画や植物標本は美術書のように美しい。
 1957年に94歳で亡くなるまで,植物の研究に一生を捧げた牧野氏が収集した植物標本は約40万点といわれ,1,500から1,600種もの新植物を発見している。故郷の高知と東京とを行き来し,さらに全国各地をまわり実地調査を積み重ねて,その地域に根付く植物を解明していった。
 牧野氏は「あるいは草木の精かも知れん」と自身を表現している。植物への果てなき愛が探究心を産み,学び,それが知識となる。知識が人生をどれほど豊かにするか身をもって示している。牧野氏によってこの世に記された多くの植物を,いつでも本で知ることができる私たちは幸せだ。
 図書館員は地域を知らなくては,と言われる。そのために,その地域に根付く植物を知ることも手だてのひとつになるだろう。山や丘陵,花木も街路樹も,花壇の花も,足元の草花も。図鑑などで調べてみよう,そんな気持ちになるはずだ。
 沈丁花の北限が東北南部と知ったとき,秋田での春の彩りには,沈丁花の香りが添えられないことを少し残念に思った。
 巻末には著作目録や略年譜,ゆかりの施設案内があり,牧野氏を深く知りたい人の役に立つ。

(石川靖子:横手市立平鹿図書館)
 

サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」

レイ・オルデンバーグ著 忠平美幸訳 みすず書房 2013 ¥4,200(税別)

 昨夏,腰を痛め,半年ほど近所の整骨院に通った。お客さんと整体師さんや,お客さん同士の会話,そして整体師さんのキャラクターが相まって,とても雰囲気がよく,完治した後も通いたいと思ったほどだった。そのようなときに思い出したのが,この本である。
 書名にもなっている「サードプレイス」とは,第1の場である家,第2の場である職場の間にあり,居心地が良く,さまざまな機能を持った場所である。
 この本の構成は,三つに分かれている。第1部は,「サードプレイス」の特徴や機能が解説される。この本で挙げられる機能は,娯楽性から近隣住民を団結させるものなど,数多くあった。第2部では,各国の「サードプレイス」事情について,紹介されている。この本では,イギリスのパブや,フランスのカフェなどが例として挙げられている。
 第3部では,「サードプレイス」の課題を挙げる。この中で筆者は,都市計画等により,空間利用の単機能化が進行していることについて指摘する。そのような場所を「非場所」と呼び,そこではお客さんは,単なるお客さんでいることが求められる。この点については,アメリカに限らず,日本も同様だと思った。一方,「サードプレイス」では,お客さんは,お客さんであると同時に,その場の構成要員としての役割がある。
 近年,にぎわいの創出を目的に,図書館を含む複合施設が作られることが多いが,複数の「非場所」が同じ箱に収められているだけなのではないかと感じた。この本を読むと,本当のにぎわいを創出するとは何か?と考えさせられる。
 地域に根ざす図書館が「サードプレイス」になる可能性は十分にある。そのためにもこの本を一読する価値はあるように思う。

(戸張裕介:調布市立図書館神代分館)

社会をつくる「物語」の力 学者と作家の創造的対話

木村草太,新城カズマ著 光文社(光文社新書) 2018 ¥920(税別)

 SF作家と憲法学者による,タイトルに「物語の力」という本書。帯には「想像力が現実を動かす」とあり,そのどれもがミスマッチな所から興味を惹かれる。SF作家新城氏と憲法学者木村氏の対談で全編構成されている。
 タイトルに「物語」を冠しているので,「物語論」が展開されていくかと思いきや,第1部「法律は物語から生まれる」の中では,対談内容はトランプ現象について,法学の基本とは…等が語られている。現在世界で起こっているトランプ現象や法律学考察が多岐にわたり続き,タイトルにある「物語」は,どこで触れられていくのか?というと,第1部の最終で「ゲームという模擬社会」が語られ,90年代初頭,新城カズマ氏が主催していたRPGゲーム『蓬?学園』の話となる。
 90年代初頭のRPGブームとその運営についての解説は本書に譲り,その中で新城氏が「その時代,インターネットが無くてよかったことは,思考に時間をかけられたこと。」と繰り返し語っているのが印象的であった。
 第2部「社会の構想力」から,主軸となるのはトールキン『指輪物語』である。『指輪物語』はハッピーエンドなのかそれとも…と,登場人物たちの立場を語っていながら,話は「『指輪物語』はリベラルデモクラシーか?」といったテーマにまた発展する。そしてこの推察を現在のトランプ現象の考察へ続けている。まさしく縦横無尽である。
 第3部で「SFが人類を救う?」では,また対談は広がりをみせ「AIから民主主義まで」等と話が進んでいく。そして終章は『指輪物語』とケストナーで締めくくる。対談形式のこともあるが「むき出しの知的好奇心の塊」に触れた思いがした。

(吉井聡子:川崎市立川崎図書館,日本図書館協会認定司書第1141号)

誰がアパレルを殺すのか

杉原淳一,染原睦美著 日経BP社 2017 ¥1,500(税別)

 人が朝起きて学校や仕事に行く,または,出かけるとき,顔を洗い朝食をとり,身支度をする。朝食を端折っても着替えを端折る人は,まずいない。そして,目覚めたときの気分や空模様,また,仕事内容によって,当日の服装を決めるだろう。心待ちにしていた外出の際の着替えは心躍り,その服は記憶に残るに違いない。
 では,人にとって衣服とは,どのくらい意味のあるものなのか。着たきり雀でも,人は生きていける。ただ,「衣食住」という言葉に表されているように,社会生活を営む上で人と衣服は切っても切れないものなのである。
 本書はそんな衣服を巡って,大きな転換期を迎えているといわれるアパレル業界を取り上げている。DCブランドブーム全盛期の華やかなりしイメージは既に過去のもの,もはや,当てずっぽうに「作って」「売る」散弾銃商法は通用しない。そして,それはアパレルのみならず,他の業界にも通ずる論理のように思える。
 すべてが「売れなくなった」のではない。「売れる」ものと,「売れない」「売れ残る」ものがはっきり区別されているのだ。では,その違いは何なのか。業界の川上と川中,川下での景色の違いが,今後変化することはありえるのか。SCMの成功例ユニクロでおなじみのファーストリテイリング柳井正氏や,セールなし,生地は端切れまで,テキスタイルのアーカイブや別注商品を有効活用するというミナペルホネンの皆川明氏,オンラインSPA新興勢力への取材が興味深い。
 業界全体を俯瞰し,ピンチをチャンスに変え,悪習や不合理と決別する。今こそ,「アパレルは死んでいない」と,新しいビジネスモデルを他業界に示す絶好の機会だ。必要なものを見極め提供するという点では,図書館も同様に思える。アパレル業界の今後の展開に注目したい。

(神戸牧子:土岐市役所)

風邪の効用

野口晴哉著 筑摩書房(ちくま文庫) 2003 ¥600(税別)

 今年の冬は風邪を引かなかった。喜ぶべきことなのに少し残念なのは,風邪の効用を体感できなかったからである。
 「風邪を引くと大抵体が整う」(p.18)「風邪というものは治療するのではなくて,経過するものでなくてはならない。」(p.27)と語る著者は,整体協会の創設者にして整体の発展に寄与した人物。本書は,自らの治療経験から見いだした風邪のとらえ方・対処法についての講義をまとめたもので,1962年に全生社から出版され,再構成してちくま文庫になった。
 いわば「古典」であるにもかかわらず,広く読み継がれているのは,積み重ねた経験から導かれた方法=実用と,その先にある普遍的な思想が現代人に響くからにほかならない。
 著者は,決して風邪を軽く見ているわけではない。むしろ,別の病につながる難しさを知るからこそ,体をよく知り,正しく経過させることを目指す。私たちの「常識」である,仕事や用事のために早く治すという考えの方が,風邪を侮り,本来の健康を損なう原因になっているのではなかろうか。何事も,今起きている現象に対処するだけでなく,原因や背景を受け止めなくては始まらない。もし,風邪を引いてしまったら体のゆがみが原因かそれとも心理的な原因なのか,自分の体の声に耳を傾け,体を整える機会ととらえたい。
 文学作品の中で,印象深い風邪の場面がある。昨年,大きなブームになった『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著 岩波文庫 1982)がそれだ。主人公のコペル君が,深い後悔を抱えて雪の中に立ち尽くし,ひどい風邪を引く。長い間寝込むが,回復した後はすっきり晴れ晴れとした心持ちになる。
 これぞ,正しく経過して「蛇が皮をぬいだよう」にすっきりした風邪の効用ではないかと思う。

(佐藤敦子:鎌倉市玉縄図書館)

中動態の世界 意志と責任の考古学

國分功一郎著 医学書院 2017 ¥2,000(税別)

 能動と受動。英文法の授業で習った二つの態は対立する関係にある。しかし今もう一度考え直してみてほしい。あらゆる行為がこのどちらかに分類できると言われたら,疑問を抱かないだろうか。例えば能動的であることを仮に「自身の意志をもって行動すること」とするなら,睡余の一挙手一投足はすべて能動的と言えるのだろうか。また銃を突きつけられて恐怖のままに取る行動は受動的なのだろうか。そこには不本意ながらも行為者の意志が介在しているように思われるが。
 本書では能動態/受動態のほかに,かつてインド=ヨーロッパ語族の諸言語にあまねく存在していたとされる「中動態」という態に焦点を当てて解説を行っている。「中動態」も受動態と同様に能動態と対立する関係にあり,ごく単純化して言うと,能動/受動がする・されるの関係ならば,能動/中動は主体が過程の外か・内かという関係にあたる。著者はこれらの態の概念を言語学の世界にとどめず,哲学の議論,引いては現実世界に生きる私たちの行いにも当てはめて新たな視座を与えている。
 著者も節々で言及しているが,能動/受動のパースペクティヴで物事を見るとき,そこには意志や責任という言葉がつきまとう。ある行動に明確な意志があったか否かは本人以外にはわかり得ない(厳密には本人にもわかり得ないことかもしれないが)はずだが,第三者にその意志の有無を判定され,結果その行動の責任を追及されるということはよくある。しかしそこに能動/中動という区分を用いるならば,必ずしも意志・責任の所在をただす必要はなくなってくる。
 仕事柄中高生に関わることの多い私は,かれらの等身大の悩みを聞くことが多い。かれらの背負ったものを相対化するにはどうすればよいのか。十代には難しい本だが,「こんな本や考え方もあるよ」と紹介したくなる。

(山本貴由:志摩市立小学校)

絶滅鳥ドードーを追い求めた男 空飛ぶ侯爵,蜂須賀正氏1903-53

村上紀史郎著 藤原書店 2016 ¥3,600(税別)

 この本は,鳥類学者の蜂須賀正氏の生涯と功績について追いかけた伝記である。彼は戦時中としては珍しく,イギリスに留学し,北アフリカやフィリピンを探検,アメリカに滞在してドードー鳥の研究論文に着手するなど,日本に留まらない研究活動を行った。しかし彼の日本での評価は,「困った若様」「スキャンダラスな侯爵」などという,放蕩華族の印象が強いものだったようだ。著者がこの本をまとめようとしたきっかけは,鳥類研究の関係者以外で蜂須賀氏の業績が知られていないと感じたからである。関連年譜や参考文献一覧,主要人名索引なども充実していて,蜂須賀氏の研究内容や行動のほか,当時の関係者や,時代背景なども丹念に調べることで,あまり言及されてこなかった蜂須賀氏の人物像を浮かび上がらせることに成功している。
 彼の日本での活動は,日本生物地理学会の創立,英仏語での学術雑誌への寄稿,戦後GHQの野鳥調査への協力などで,国内に世界の鳥類研究の様子を積極的に発信していたことがわかる。しかし日本では蜂須賀氏の評価は低かった。その理由について著者は,彼がコスモポリタン的な思想を持っていたからでは,という見方をしている。日本が諸外国との対立を深め,戦争へ向かっていく流れの中で,古い価値観に囚われず研究のため世界各国を飛び回る蜂須賀氏は日本社会の中では異端だった。戦時中にも海外へ出かけ,敵性語である英語で論文を出版したことなどからもそれがうかがえる。時代に逆らうという点では,新種の発見が主流だった鳥類研究で,過去に絶滅した鳥を研究したのも当時としては珍しかった。その研究から蜂須賀氏は,種の保存のための鳥獣保護という先進的な概念を戦後日本に啓蒙していくことになる。異端であることを恐れない彼の生き方に触れられる一冊である。

(松崎 萌:千葉県立中央図書館)

民藝の日本 柳宗悦と『手仕事の日本』を旅する

日本民藝館監修 筑摩書房 2017 ¥2,800(税別)

 本書は,日本民藝館創設80周年を記念し開催された巡回展「民藝の日本-柳宗悦と『手仕事の日本』を旅する-」の公式図録である。
 柳宗悦は,人々が日常に用いる雑器の中にこそ非凡な美が見いだせるという「民藝」の概念を提唱し,1936年東京・駒場に自ら基本設計した日本民藝館を創設した。この『民藝の日本』には,日本民藝館を中心とする各地民芸館が所蔵する,新古民芸品の逸品約150点が紹介されている。
 柳は民藝の概念を提唱して以降,約20年にわたって全国津々浦々を調査のため訪ね歩き,独自の審美眼で蒐集を続け,焼物,染物,織物,塗物,手漉和紙,家具,藁細工,金物,郷土玩具など800点以上を『手仕事の日本』(靖文社 1948)で取り上げ紹介している。柳以前には誰も注目することのなかった雑器たちが,ただの雑器から,尊ぶべき手仕事として美を見いだされていった。このことは,歩み寄る西洋化・近代化の波に少しは対抗する勢力となったのだろうか。
 サブタイトルの「柳宗悦と『手仕事の日本』を旅する」を具現化するように,北海道のアイヌの小刀からはじまり,南下するような順に作品を紹介している。詳細な解説を読みながら見すすめていくと,東日本,中日本,西日本と辿り,沖縄までを旅しながら民藝をじっくり味わったような疑似体験ができる。名もない作家の名もない作品であっても,一つ一つをゆるがせにせず,丁寧に作っていった職人たちの心意気をありありと感じることができる。最後のページを閉じたところで感じたのは,良質な展覧会を観たような大きな満足感であった。この一冊で,柳らが情熱をかけて蒐集し世に広めていった“民藝”の真髄に触れることができるのである。
 「民藝」ってなんだろうと興味を持った人に,日本民藝館に行ってみたいけど遠くて行けないという人に,ぜひともおすすめしたい美しい一冊だ。

(内山香織:黒部市立図書館宇奈月館)

ゼロからトースターを作ってみた結果

トーマス・トウェイツ著 村井理子訳 新潮社(新潮文庫) 2015 ¥750(税別)

 この本の著者,トーマス・トウェイツはデザイナーである。その彼が王立芸術大学大学院の学生時代に思いついたのが,自分1人の力で原材料から電気トースターを作るというプロジェクト。鉄,プラスチック,銅,ニッケル,もともとは世界各地の地底に埋まっていた石ころや油だったものが,どうやったらお店に行けば4ポンド以下で手に入るあのトースターになるのか。そんな疑問が彼を無謀な挑戦に駆り立てた。この本は,その挑戦の様子を,軽快な口調で,しかし至って真面目に記した1冊である。
 さて,彼はこの挑戦をするにあたって三つのルールを定める。①店で売っているようなトースターを,②部品を全て一から作り,③産業革命以前に使われていたものと「基本的に変わらない」道具を使って,完成させること。しかし,当然彼に工学的な専門知識はなく,さらには三つのルールを遵守して完成できるほどトースター作りは甘くはなかった。多くの人の助けを借り,時にはルールを都合よく捻じ曲げ,9か月の時間と3,060kmの移動と1,187.54ポンドの費用をかけて,ようやくトースターと思しき物体が完成する(完成品はぜひ表紙を見てほしい)。
 彼がこの挑戦で思い知らされたのは,そもそも「1人で」「完全に一から」トースターを作り上げるのは不可能だということ。彼の挑戦を追体験する中で,我々は驚くほど文明に依存していることに気づかされる。そもそもなぜ,彼が1,187.54ポンドもかけて作れなかったものを,4ポンド以下という値段で誰もが手にすることができるのか? 身近な家電製品の裏に積み上げられた多くの努力と知恵,そして途方もない量の燃料と材料の存在が見えてくる。この本を読むことで,身の回りにある物の見方が大きく変わることだろう。大量生産,大量消費の時代にぜひ手に取ってもらいたい。

(浦田愛子:埼玉県立熊谷図書館)

鴎外の恋 舞姫エリスの真実

六草いちか著 講談社 2011 ¥2,000(税別)

 森鴎外の『舞姫』といえば教科書などでもおなじみ,いわずと知れた有名な文学作品だ。主人公の不甲斐なさ,ヒロインの悲劇が印象に残っているが,この物語は鴎外自身の経験がモデルとなっているといわれている。鴎外のベルリン留学帰国直後,現地での恋人の来日について家族や友人の手記などに記されており,また1981年にはそれらしき人物が日本へ来航・出航した記録のある当時発行の新聞が発見されている。
 ではその恋人とはどんな人であるか。文学論的研究など多数の論文類が発表されているが,これらの中でも本書は,恋人と思われる女性の身元について資料に裏打ちされた説得力のある調査として発表当時話題になった。ここで真偽について云々するつもりはないが,とても興味深かったのがその調査過程だ。著者は現地在住ということを生かして,1860年代から1960年代に至るベルリンの住民帳や新聞,教会公文書,古文書,戸籍簿などの原資料を,根気強く綿密に調査している。ベルリンを東奔西走して,読みにくいアルファベットの髭文字や流麗な筆記体を解読し,時には所蔵館指定の資料閲覧時間に間に合わず,時には記録が見つからず落胆したり。そんな時は当時の状況を想像して別のところを調べてみたり,調査過程で知り合った専門家に助言をしてもらったりして,新しい糸口を見つけて調査を進めていく。キーワードを入れて一括検索というわけにはいかず,スキャン画像のマイクロフィッシュを1枚1枚めくる調査の大変さは,レファレンスで同様の経験をした方なら「お疲れさま!」といいたくなるのでは。
 続編『それからのエリス いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影』(2013)でもさらに調査を進めていてこちらもおすすめしたい。ベルリン帰国後,20世紀前半の激動のドイツを生きた彼女の人生は,『舞姫』のヒロインとは異なる印象だ。

(村上恵子:横浜市金沢図書館)

世界のお墓

ネイチャー&サイエンス構成・文 幻冬舎 2016 ¥1,600(税別)

 新聞雑誌を含む年間資料購入費110万2000円。園芸科1クラス普通科2クラスの小さな高校である。園芸科の課題研究はあるが,図書館をフル活用して取り組むには至らず,おのずと蔵書構成は活字少なめな方向になり「マンガでわかる○○」「サルでもわかる○○」的な本が増える。とはいえ,図書館は広い世界へと開く扉でありたい,という願いは捨てていないので,ビジュアルで,しかも類書がない本書などは,理想的構成資料である。
 写真集としても美しいが,内容もまた多彩である。死者の人生の物語とその挿絵のように,色鮮やかな肖像画と詩で飾られた木彫りの墓標は,ルーマニアのサプンツア村で80年前に若い職人の手で建て始められたもの。ここに参るために,いまや年間3万の観光客が訪れる。パリのカタコンブは地下の採石場跡に,閉鎖された市内の墓地から運び込まれた遺骨が整然と積み上げられ,アルカリ土壌のおかげで朽ちずに残る。フランス革命の英雄がどの骸骨かはもうわからない。オーストリアのハルシュタット納骨堂には赤と緑の草花を描かれた頭蓋骨が並んでいる。「メメント・モリ」と刻まれたチェコのセドレツ納骨堂の装飾は骨を組んだシャンデリア。タージ・マハル。墓地の島サン・ミケーレ。チベットポタラ宮の鳥葬の丘。テレジンのユダヤ人墓地。アメリカでは遺灰はケープカナベラルから宇宙に打ち上げられたり,フロリダで魚礁になったりもする。
 小さな図書館の一冊の本から,世界を広げていってほしい。見たことのないものを見て,思いもしなかったことに出逢ってほしい。死者に思いをはせるために,歴史を紐解き,地図を開いてほしい。お墓のいろいろを見比べるだけでも,世界の多様さを感じられるはずだ。

(猿橋広子:長野県富士見高等学校図書館)

日本神判史 盟神探湯・湯起請・鉄火起請

清水克行著 中央公論社 2010 ¥760(税別)

 「盟神探湯」。読めるだろうか?「クカタチ」とフリガナがふれる人は日本史をしっかり勉強した人だろう。
 これは,石を熱湯の中に入れ,争う双方が素手でこれを取り出して,火傷をしたら有罪,何ともなければ無罪とする古代の裁判方法である。
 だが,この何とも原始的な裁判法に酷似した「湯起請(ゆぎしょう)」が歴史の下った室町時代に大流行し,さらには焼けた鉄片を握るという裁判法「鉄火起請(てっかぎしょう)」が江戸時代に盛んに行われていたといったら,にわかに信じられるだろうか?
 この本は,室町時代から戦国期の社会史を専門とする著者が,この不可思議な裁判法について豊富な事例をもとに読み解いたものである。
 湯起請も鉄火起請も,争う者同士の「一騎打ち」だ。領地争いの当事者同士,殺人事件や盗難の被疑者に,火傷の有無で判決が下る。中には,無罪への一発逆転を狙い,被疑者の側から言い出される場合もある。驚いたことに湯起請の有罪無罪の確率は記録上五分五分だ。
 この原始的な裁判法が支持されたのはなぜか。著者はそこに人々の信仰心の変化を見いだしている。時代が下るにつれ,素朴な神への信仰心は希薄化していく。それに反比例する神判の過激化には,神をまだ信じていたい,信じられないという人々の「信心と不信心の微妙なバランス」(p.158)があったのではないかと。
 このような裁判法は外国にもみられるが,共同体内の人間関係のバランスを重視したり,決死の覚悟を尊重したりする日本人の国民性との関連性を指摘しているのも興味深い。
 実はこの湯起請,鉄火起請という神判を超える究極の解決策が存在する。興味のある方は,同著者の『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ 2006)をぜひお勧めしたい。

(河合真帆:鎌倉市中央図書館)

ブルーシートのかかっていない被災直後の熊本城 2016年4月16日撮影

矢加部和幸,浜崎一義写真撮影 熊本城復興を支援するみんなの会発行 創流出版発売 2016 ¥1,500(税別)

 2016年4月に発生した熊本地震からまもなく2年。記憶や恐怖心は徐々に薄れていくものだと思っていたが,不思議なことに,時間が経つほど地震に関する報道や著作物を目にすることが苦痛になってきている。
 本書は被災した熊本城を撮影した47ページの写真集である。撮影日は4月16日。本震と言われた激震に見舞われた日である。今はブルーシートや工事用の幕に覆われ目にすることができない惨状の記録と,それと比較できるよう被災前の写真も掲載されている大変貴重な写真集である。県民として決して見たくはない熊本城の姿だが,「事実の記録」に徹した編集だからか,民家や道路や橋といった日常生活を感じさせる場所ではないからか,今の私が手に取ることができる唯一の地震関連図書である。撮影した矢加部氏は元熊本日日新聞記者で,「城はどうなってしまったのか」と,いてもたってもいられず駆けつけたという。
 私にこの本を開かせる理由のもう一つは,氏の行動に抱く尊敬の念と同時に覚える共感かもしれない。あの時,「記録しておかねば」という,氏が感じたであろう使命感を私たち学校司書も抱いたからである。「片づける前に写真に撮っておこう」という声が地震発生後,自然発生的に各地区であがった。熊本県高等学校教育研究会図書館部会が実施した被災アンケートには,140枚もの写真が集まった。もし生徒がそこにいたらと想像すると慄然とする写真ばかりである。調査をまとめた記録集は2017年度末に発行され,各都道府県立図書館に寄贈予定である。
 地震発生の瞬間まで,熊本が「震災前」だったとは想像もしなかった。今,多くの方が地震前の私たちと同じ思いで過ごされているのではないだろうか。ぜひ一度目にしていただけたらと思う。

(津留千亜里:熊本県立八代高等学校・中学校図書館)

スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運

ニック・ボストロム著 倉骨彰訳 日本経済新聞出版社 2017 ¥2,800(税別)

 本書はAI研究者やビル・ゲイツにも絶賛された世界的話題作の日本語訳である。原著は2014年に発行された“Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies”である。その原著副題のとおり,道程,危険性,戦略の三つが書かれている。
 著者はスウェーデン人の哲学者で,現在はオックスフォード大学の教授である。ボストロム教授は次の仮説を検証しようとしている。要約すると「もし近未来にスーパーインテリジェンス,すなわち人間の英知を結集した知力よりもはるかにすぐれた知能が出現するならば,人類が滅亡する可能性があり,そのリスクを回避するためには,スーパーインテリジェンスのふるまいを,それよりはるかに劣る人間がいかにしてコントロールすることができるかという問題を解決しなければならない」という仮説である。
 したがって全15章からなる本書は,この仮説の検証の工程をなぞる構成となっている。まず,第1~5章では,スーパーインテリジェンスとは何かに迫り,どのように出現するか考察している。次に,第6~13章では,スーパーインテリジェンスがどのような能力と意思を持つのか,人類を滅亡させる可能性を考察した後,肝であるコントロール問題を論じている。そして第14~15章ではAIに関わる政策課題を考察し,知能爆発の到来に先駆けて重要かつ緊急の問題に我々の努力と資源を集中すべきだ主張する。
 本書が717頁と分厚いのは,索引・参考文献・原注が150頁を占めるからである。それでもこの本の見た目に怯むことなく,AI研究を目指す高校生にぜひ読んでほしいと思った。AIを活用した企業活動が話題になる中,人間の安全を守るため,軸となる考え方を持っていてほしいと願うからである。緻密かつ論理的に説明する著者の熱意を感じ,そのような人になってほしいと思う。

(山縣睦子:埼玉県立熊谷図書館)

唄めぐり

石田千著 新潮社 2015 ¥2,300(税別)

 2015年の秋,先輩司書の手元に,この本はあった。私も好きな作家だ。勤務館に戻り,探してもエッセイや紀行文の棚にはない。民俗学の棚に在架していた。
 タイトルの「唄」とは,日本で歌い継がれる民謡である。本書は,2011年11月から2014年8月まで,『芸術新潮』で掲載された「唄めぐりの旅」という旅の記録であり,現在も歌われ続けている民謡と,それを生み育て未来につなげていく人々や風土をまとめたものである。北海道から沖縄まで25の民謡(福島は2回取材)とその背景を紹介する本は,いまは少ないのではないだろうか。民謡の参考資料(本・CD)一覧もあり,その土地なら,郷土資料にもなる。伝える意思がなければ,廃れゆく物事を,調査し,記録し,形にして残す,その役割の一環を,本も確かに担っている。
 表紙が印象的だ。佐渡のたらい舟に乗る一寸法師のような旅先のワンシーン。私という言葉をあまり用いない文体が特徴である著者の,とびきりの笑顔だ。一見して魅了された,これは読みたいと頁をめくる手がはやる。訪れた土地の順に編まれたためか,読み進めると旅を追体験し,唄すら聴こえてくる気がする。時おり折りこまれる,著者ならではの視点が嬉しい。小説やエッセイにもある雰囲気が零れ落ちる。活き活きした旅を,石井孝典氏の撮影による写真が伝える。なにより,民謡の唄い手がカメラを前に,少し照れながらも堂々と誇らしく,力強く唄う写真には,人が真摯に物事に取り組む姿は,これほど美しいものかと感じ入る。唄を知らなくても,唄い手がこめる思いが伝わってくるようだ。
 そういえば,民謡をよく知らないとCDを手に取る。いつか機会があれば名人の生唄を聴いてみたい,と読者である私の世界もひとつ広がった。

(高柳有理子:田原市中央図書館,日本図書館協会認定司書第1111号)

地方の未来が見える本

清丸惠三郎著 洋泉社 2016 ¥1,600(税別)

 自分が指定管理者の一般社団法人理事兼職員ということもあり,市民協働分野の本を読む機会が徐々に増えてきた中で出会ったのが本書だ。
 総務省発表の『過疎地域市町村等一覧(平成29年4月1日現在)』(http://www.soumu.go.jp/main_content/000491490.pdf)によると,全国の過疎区域は合計817団体にも上る。本書で(今後の課題も含めて)紹介される地域おこし成功のまち10事例も,かつては少子高齢化・働き口の無さ・若者の流出・空き地や空き家の増加・中心市街地の空洞化・自然環境の破壊等,複数の要因が重なり疲弊した地域の一つだったが,「とにかく,地域おこしは一に人,二にも人,三にも人」というわけで,唯一無二の個性溢れるリーダーが地域おこしを牽引してきたという共通点がある。
 たとえば島まるごと図書館構想でも名高い島根県隠岐郡海士町では,「町長自身の給与3割カット」で「町民の危機感や意欲に火をつけ」自立を促すと同時に,新たな産業創出につながるI&Uターン移住者や,島外からの高校生の受け入れを推進した。また,漫画『HUNTER×HUNTER』作者冨樫義博氏の故郷・山形県新庄市では,市職員が「真剣に自分たちの住む地域を活性化させるための団体」を立ち上げ,地元商店街幹部と協力して全国初の「100円商店街」を成功させた実績を生かし,成功システムとノウハウを全国の商店街向けに公開した。他8事例も同様に,少数の人々が元からあった資源・産物・景観等に価値を見いだし,根気強く地元住民を説得しながらまちの宝として磨き抜いた結果が,継続的な集客や売上げ増加へと結び付いた。
 公や民または「公と民の間を行き交う『渡り鳥』」リーダーの有言実行力に賛同した住民たちが,多大な時間と労力をかけて再生したまちは次世代に誇れる魅力満載で,今すぐ旅立ちたくなる1冊だ。

(郷野目香織:新庄市立図書館,日本図書館協会認定司書第1124号)
 

となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

内藤正典著 ミシマ社 2016 ¥1,600(税別)

 「世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代 仲良くやっていきましょう。
 テロ,戦争を起こさないために-
 大勢のイスラム教徒と共存するために-」
 帯に書かれた言葉に著者の願いが表れている。
 この本は,これまで関心を持ってこなかった人を意識して作られているのだろう。可愛らしい表紙と,語り口調の本文がそれをうかがわせる。
 著者は,1990年代からヨーロッパのトルコ移民の研究をしてきており,第1章ではそれを元に西欧諸国とイスラムの衝突について述べている。各国それぞれに事情が異なるものの,移民たちは居場所を見つけられず再イスラム化が進行。一方で,ヨーロッパ諸国の側からは,同化しないイスラム教徒に対する差別・攻撃・排除が繰り返される。これについては「ヨーロッパの市民よ,これ以上衝突を起こすなかれ。」(p.52)と訴える。
 遠く離れた日本では,イスラム教に対して西欧世界経由の“戒律が厳しい”というイメージやテロへの不安がある一方で,来日するイスラム教徒の増加を商機とみて「ハラール・ビジネス」の成長が目立つ。この状況に対して,著者は,一般の日本人が抱きがちな疑問に答えつつ,「ハラールかどうかを決められるのは神様だけ」(p.105)と苦言を呈する。
 テロ,特に「イスラム国」については,「イスラム世界から生まれた“病”」(第7章)ととらえてイスラム世界の問題点について見解を示している。
 「イスラム世界と西欧世界とが,水と油であることを前提として,しかし,そのうえで,暴力によって人の命をこれ以上奪うことを互いにやめる。そのために,どのような知恵が必要なのかを考えなければなりません。」(p.7)
 この考え方は,イスラムに限らず各地で起こる諸問題にも当てはまるのではないだろうか。

(橋本紗容:洛星中学・高等学校図書館)

CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見

ジェニファー・ダウドナ,サミュエル・スターンバーグ著 櫻井祐子訳 文藝春秋 2017 ¥1,600(税別)

 本書は,画期的な遺伝子操作技術CRISPR-Cas9(クリスパー・キャス9)を発見したジェニファー・ダウドナ博士(カリフォルニア大学バークレー校教授)自身によって書かれた本である。
 一人称で語られる本書は,大きく二部構成になっている。まずCRISPR発見前史から発見に至る経過,論文を発表してから世界中の研究者によってもたらされるCRISPRを応用したさまざまな成果を目の当たりにしての高揚感,遺伝子が原因の病気への応用など,明るい未来が主に語られる。
 第二部は,CRISPRをさらに進めた研究,例えば,筋肉隆々のボクサー犬,犬ほどの大きさの豚,肉がたくさん取れる羊などが紹介される。これは,人間の遺伝子を塩基1個単位で「操作」「編集」できるようになったことを意味する。
 我々人間は,代々受け継がれてきた遺伝子に容易に「操作」や「編集」を行ってよいのか。それとも苦しんでいる人のために活用すべきなのか。第二部のもう一つの主題がこの悩ましい二面性である。CRISPRが医学を超えて,哲学や倫理学,社会学の問題を孕んでいることに博士は気が付いたのである。博士は,生殖細胞への応用について一定の歯止めを設けるようフォーラムを開催し,広くオープンな議論により誤った使い方がされないよう声明を出す。
 博士の心は苦悩しながらも,CRISPRのもつポジティブな面を活用できる世の中を信じて,前向きに進んでいる。
 決めるのはノーベル生理学・医学賞を受賞したニーレンバーグ博士の言うように「(前略)十分な情報を与えられた社会だけである」(p.240)。そういう意味では,我々一般人も否応なく決定を迫られるのである。図書館はそのようなとき,役に立つ存在でありたいと思う。

(三村敦美:座間市立図書館,日本図書館協会認定司書第1080号)

ブータンに魅せられて

今枝由郎著 岩波書店(岩波新書) 2008 ¥740(税別)

 あるファンタジーを読んでいる最中,しきりに頭に浮かんだのが本書だった。それは本書2章の「目にみえるもの,見えないもの」の不思議な話が,ファンタジーの見えないが在る世界と重なりそして通い合うものがあると思ったからだ。
 本書は,チベット仏教研究者である著者の,難関の末のブータン入国から,国立図書館顧問としての10年余りの日々を描いたものだ。ブータン人の日常を描く中で,その穏やかさ,謙虚さ,豊かさに触れ,驚き,やがて多くの示唆を発見していく様が本書の大きな魅力となっている。
 中でも仏教徒ブータン人には見えるが著者には見えない物がある事実と,狐につままれたような昔話の世界が現存する場面は,驚きに満ちている。そして高僧ロポン・ペマラとの出会いからの,数々のエピソードが圧巻だ。ロポンがアメリカを旅行中に突然車を降り読経を始める。一群の亡霊が見えたと言うのである。後に,そこはアメリカ・インディアン大虐殺のあった場所とわかる。
 国立図書館長でもあるロポンは予算は無駄使いしないと人件費のみを使い,職員は資格のない人を採用する。その理由は「高学歴で有能な人は給料も高く,どこでも働ける。(中略)働きたくてもほかで働けない人を採用している」(p.81~82)と。どんな図書館か気になるでしょう? 書籍とは経典で,1980年代当時は法事に使うお経のレンタルが主な業務とのこと。その他,通産省ではブータンの余っている「時間」を輸出しようと話し合ったとか…。ここにはGDPやGNPの思惑はない。あるのは祈りを日常の主とする小さき人々の思い(想像力)であり,ユーモアそのものである。
 翻って,図書館の仕事はこの祈りにも似た目には見えない小さな思いの積み重ねではないかと思う。本書で改めて,人間性を支えるべくある想像力を,見失うことがあってはならないと思った。

(田辺澄子:東京都立三鷹中等教育学校図書館)

わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か

平田オリザ著 講談社(講談社現代新書) 2012 ¥740(税別)

 他者と触れ合うことなく生きていくことはできない。多くの人が人との関係性の中で悩み,社会で求められているコミュニケーション能力とは何か明確にできず戸惑っているのではないだろうか。
 本書は劇作家でありコミュニケーション教育に関わる著者によるコミュニケーション論で,「わかりあう」ことに重点が置かれた従来の論説と異なり,互いが「わかりあえないことから」始まる視点が新鮮である。
 会社では主張を伝えることができる能力を求められながらも「空気を読むこと」も同時に求められ悩まされている若者の実情や,子どもたちのコミュニケーション能力が低下しているように見えるのは,お互い「察しあう文化」で育ち「伝えたい」気持ちを持たないためであることなど,コミュニケーションに関する問題を明示しており興味深い。
 また,日本社会ではあまり意識されてこなかった「会話」と「対話」との違いにふれ,異なる価値観に出会ったときに粘り強く共有できる部分を見つけていく「対話」の重要性を説いている。
 多様性が重要視される現代社会において,さまざまな価値観を持つ人々と「対話」できる人を育てるために教育関係者にも読んでもらいたい1冊であり,あわせて同著者の『対話のレッスン』(講談社学術文庫 2015)もお薦めしたい。
 著者が「わかりあえないというところから歩きだそう」(p.223)と言うように,初めは「わかりあえない」のだから,少しでも「わかりあえた」ときにとても喜びを感じることができる。そう考えるとコミュニケーションが楽しくなってくる。

(大橋はるか:飯能市立図書館,日本図書館協会認定司書第1095号)

うちの子は字が書けない 発達性読み書き障害の息子がいます

千葉リョウコ著 ポプラ社 2017 ¥1,200(税別)

 本書は,知的な障害がないのに,一所懸命努力しても文字が書けない・読めない子どもを持つ母親が,「発達性読み書き障害」という概念に出会い,専門機関に相談し,診断を経て支援を受け,母子の二人三脚で進んでいった体験をもとにしたコミックエッセイ(筑波大学教授・宇野彰氏と著者の対談つき)である。
 「発達性読み書き障害」は,ディスレクシアと呼ばれることもある,アメリカでは約10%の人が該当するといわれる比較的知られた障害である。2012年の文部科学省の調査によれば,日本では4.5%の確率で存在するという。つまり,クラスに2~3人はいることになる。にもかかわらず,学校現場でさえ,ほとんど認知されていないのが現状である。その理由は,日本での研究がこれまで進んでいなかったことに加えて,当該の子どもたちがクラスの中で目立たなかったからだそうだ。そのため,本人にやる気がないからだとか,そのうちできるようになるだろうとか,本人の努力や学力が足りないからだとか思われて,見過ごされてきたのだという。
 本書を読んだ先生方と内容について話し合った時,(合理的配慮をした場合)「『あの子だけずるい!』…となってしまい それがイジメにつながるケースが大変多い」(p.75),(多大な時間や労力がかかっても,本人が努力すれば)「点数を取れるんだったら 配慮する必要はない」(p.159),と言われる場面が切ない,と何人かに言われた。
 合理的配慮は「苦手なことを補ってもらう 自分もまた他の人の苦手なことを補って助け合うと考えればいい」と著者は言う(p.165)。眼鏡や杖や車いすを使うのと同じように,合理的配慮も当たり前のことだと思われるようにするのが,わたしたちの役目だと認識できる本だ。

(土田由紀:滋賀県立大津清陵高等学校)

欧州・トルコ思索紀行

内藤正典著 人文書院 2016 ¥2,000(税別)

 2015年9月,エーゲ海で溺死した3歳児のシリア難民アイランちゃんの報道は,まだ記憶に新しい。しかし,それは自分とは縁遠い出来事だと考え,難民問題を肌で感じることは少ない。
 本書は,中東の国際関係を専門とする著者が,半年間の在外研修で滞在した各都市で体験し,思索を巡らせた雑多な記録である。「あとがきにかえて」で吐露されているように,出発前の著者は,刻々と変化する中東情勢やシリアでの邦人人質事件の解説等でメディアへの露出も多く,ちょっとした気分転換をもくろんでいたようだ。
 旅の前半では,踵の骨が炎症を起こすほど歩き回り,街での衣食住を楽しんでいる。ところが,ベルリンに到着したあたりから,焦点が欧州社会のムスリム移民へと絞られていく。そして,トルコでも有数のリゾート地にある自宅に戻った著者は,自宅前が欧州に向かうシリア難民の最前線と化している姿を目の当たりにする。商人として名高いシリア人の中には,家財道具を満載したベンツに乗って戦火を逃れて来た人もいれば,財産のすべてを金の装身具に換えて身につけている人もいる。新天地での暮らしに希望を抱いている人も少なくない。
 難民の視点から見る世界は,普段,私たちが接している欧米中心の報道で見る世界とは少し違う。他国の利害に翻弄され続ける人の視点があるということさえ気付いていなかった。その視点から見れば,複雑な中東問題も少しは腑に落ちる。著者が体験したように,戦争が前ぶれもなく,衣食住の隣にひょっこり顔を出すものであるとすれば,自分が難民になる,あるいは難民を受け入れる立場にもなり得る。
 度重なる北朝鮮のミサイル発射の脅威の中で,日本においても対岸の火事では済まされないということを改めて考えさせられた。

(宮崎佳代子:千葉県立東部図書館)

絶望手帖

家入一真発案 絶望名言委員会編集 青幻舎 2016 ¥1,300(税別)

 その生徒は大きな困難を抱えているようだった。直感的にこの本を手渡す。私「つらかった時期は,毎朝起きると,あぁ起きちゃった,って思ってたんだよね」生徒「それは病んでましたね」私「落ち込んだときは無理に浮き上がろうとしないで沈んでみるとプールの底に足がつく感覚があって,どうにか浮き上がれてたな」生徒「ふーん」。
 219の名言が,人間関係,仕事,恋愛,空虚,幸福,社会,業,人生,絶望の9テーマに分けてある。各頁に大きく縦書きの名言,下部に小さく横書きで,言った人/肩書き/出典,3行の解説。出典は古典的名著だけでなく現代の図書,ブログやTwitter,「匿名希望/OL/編集部取材」といったものも混じる。解説ではその人がどう絶望していたか書かれていて,言葉の背景を考える助けになる。名言の他にカフカなど9人の「絶望の達人」が1人ずつ似顔絵入りで紹介された頁もあり,この人もつらかったのかと親しみがわく。
 そして各テーマの最初と最後の頁に置かれたイラストと言葉がユニーク。例えば「人間関係」の終わりではコーヒーを見つめる人のイラストに「苦くて深い,絶望の世界」。「絶望」の扉では暗い崖っぷちに向かい四つん這いになる人のイラストに添えて「希望はしばしば あなたを裏切りますが, 絶望は裏切りません。 希望は人を選びますが, 絶望は選びません。(後略)」。
 誰にでもきっと,絶望を味わい噛みしめて向き合うことでしか生き抜けない時期がある。ひざを抱えて「あとがき」の次頁をめくると,闇の先に見えてほしい光降り注ぐイラストが待っている。
 冒頭の生徒「3回読みました,こういうポエムみたいなのって結構好きなんですよ」。彼女の左手の甲に痛々しく留められていた安全ピンは,返却のときには無かった。

(横山道子:神奈川県立藤沢工科高等学校図書館)

「お絵かき」の想像力 子どもの心と豊かな世界

皆本二三江著 春秋社 2017 ¥1,800(税別)

 小さい子どもと一緒にお絵かきをする時,子どもの描く,頭から手足が生えているヒトらしき絵を見て思わず微笑んだことはないだろうか。幼児の絵に見られるこのヒトの形は「頭足人」と呼ばれ,子どもの発達段階で必ず出現する。不思議なことにこの頭足人は,異なる文化や環境にあるどの国の子どもでも「ヒト」を描く時に必ず現れる。
 なぜ世界中の子どもたちはそろいもそろって,誰に教わったわけでもないのに,胴体のない頭足人を描くのだろうか。本書はこの頭足人をはじめ,幼児期の絵にみられるプロセスやモチーフが世界共通のものである不思議を,集団生活の場で大量に描かれた絵や,特定の子どもの描く絵の長期間にわたる観察から解き明かしていく。
 子どもの絵は,まず「点」から始まる。一見無意味のように思える紙に叩きつけるように描かれた点は,実はその後の発達の重要な第一歩となる。「点」は,やがて「線」になり,曲線などの変化がみられる「なぐりがき」の時代を経て,やがて不恰好な「円」になる。そして点や線,円を組み合わせた絵の中に,いつの間にか頭足人が出現する。はたして頭足人とは何者なのか。
 筆者はそれを,人類が四つ足歩行をしていた時代の記憶の現れだと推測する。遠い昔,四つ足動物であった自身の正面から見た姿を,子どもは紙上にコピーしているのではないかというのだ。
 どんな小さい子の絵であっても,子どもの絵の中には記憶にもとづく物語がある。絵は言葉よりも雄弁で,子どもは絵の中で,その時に持っているすべての感覚を使って内にあるものを表現している。筆者は美術教育の立場から子どもの発達について論じているが,そこには子どもの成長を楽しみに見つめる温かい目があり,子どもの可能性を信じようとする強い信念がある。子どもに関わる多くの大人に,手に取ってほしい一冊だ。

(笹川美季:東京都府中市立図書館,日本図書館協会認定司書第1012号)
 

動物になって生きてみた

チャールズ・フォスター著 西田美緒子訳 河出書房新社 2017 ¥1,900(税別)

 動物になって生きるとはせいぜいその動物の生活環境でキャンプを行う程度なのかと思いきや,書かれていたのは凄まじい同化であった。対象とする動物を理解するために生活環境を極限まで近づけていた。動物となっている間は視覚ではなく聴覚と嗅覚に重きを置いている。そして皮膚と口腔と鼻腔から動物の生活環境を感じ取ろうとしていた。本当に動物になって生きてみようとする強い意志と真摯さが記されている。
 アナグマの章では四つん這いで移動し,幼い息子と共に湿地の穴で眠りミミズを食して何週間も過ごしている。「ミミズは究極の地元産食品」(p.40)と述べている。カワウソの章ではザリガニを食しながら丸裸でカワウソ同様に糞を撒いている。著者は山奥や川に住む動物だけではなく,都会に住み人間の出すゴミを食料として生きるキツネや,イギリスの上空からコンゴまで移動し続けるアマツバメにさえなろうとしている。都会のキツネになってネズミを捕らえようとしていると住民に見つかり,警察官に捕まりそうになり逃げだすエピソードは傑作だ。確かに街中で酷い悪臭を放つ身なりでネズミを追いかけていればただごとではないと思う方が常識的である。
 各章に著者の幼少時代からの動物への好奇心と親しんだ童話の思い出が散見する。見守ってくれた両親への感謝が伝わってくる。伸びやかに育った著者は,動物に対して多くの人間が抱く偏見を免れている。そして自然に深く身を置くことで動物を理解できること,自分が怯える自然と愛しく感じる動物をつなげる意義を記している。
 本書は2016年のイグ・ノーベル賞生物学賞を受賞している。イグ・ノーベル賞とは人々を笑わせ,そして考えさせてくれる研究に対して与えられるが実に堂々とした受賞であると納得した。

(田中貴美子:札幌市曙図書館,日本図書館協会認定司書第1062号)

決してマネしないでください。(全3巻)

蛇蔵著 講談社 2014~2016 各¥560(税別)

 とにかく,人間の行動をなんでもかんでも純科学的に考えてしまうラブコメマンガである。
 「僕と貴女の収束性と総和可能性をi(アイ)で解析しませんか?」と,巷に跋扈するチャラ男以上に理解不能なセリフで告白し,撃沈する主人公の掛田。それを慰めるのに「女性は星の数ほどいる」というところを「肉眼で確認できる星は北半球で4,300個,東京ドームに女性を詰めたと仮定して肉眼で認識できる女性の数とほぼ同数だ」と声を掛ける,変人揃いの先輩たち。内容の半分程度は真面目な科学者列伝なのだが,一見役に立ちそうで一生使えないであろう科学知識と実在の科学者の功績とがスムージー化してストーリーが展開してゆく。何が事実で何がフィクションなのかわかりづらく,いつの間にか騙されてしまう。
 体内の細胞を擬人化した『はたらく細胞』など,他の“ためになるマンガ”に比べると本作の認知度は低い。埼玉県内高等学校Web-ISBN総合目録で初巻の所蔵状況を確認すると,埼玉県内で所蔵する高校図書館数はデータ提供館136校中『はたらく~』66校に対し本作品では本校含め10校である(2017年7月末現在。ちなみに人気マンガ『ちはやふる』は101校,埼玉の高校が舞台の『おおきく振りかぶって』は55校が所蔵している)。
 本校理科教諭(女性)が瞬読し,絶賛したこの作品,作者の蛇蔵氏(女性!)によると,理系のための恋愛マニュアルにもなっているとのこと。読めば納得!のはずなのだが,デートの誘い文句が「意思疎通の可能性を追求するために,共同研究という体験の共有を提案します。(掛田)」なんて無理…という方にはもう一作,『バーナード嬢曰く。』をお勧めする。本を読まずに読んだコトにしたい,《なんちゃって読書家》の自称 “バーナード嬢”が,図書室で友人相手に繰り出す名言の数々,ぜひとも堪能していただきたい。

(湯川康宏:埼玉県立飯能高等学校図書館,日本図書館協会認定司書第1032号)

われらの子ども 米国における機会格差の拡大

ロバート・D・パットナム著 柴内康文訳 創元社 2017 ¥3,700(税別)

 日本の子どもの貧困率(2015年調査)が, 13.9%に改善されたという報道があった。進学,食事,日常生活の物資など,子どもたちが苦しんでいる現状を,社会は少しずつ理解して支援の方法を模索している。 今後この問題に対してわたしたちは「何をすべきか」,本書がその指針を与えてくれる。
 『孤独なボウリング』(柏書房 2006)でアメリカの社会関係資本の衰退を分析した著者が,今度は経済格差が子どもたちの機会格差を生むことを,実例を示しながら解き明かしてくれた。恵まれた子どもと貧困下にある子どものライフストーリーが対比的に紹介され,多様なデータと図表の分析も加えられたことで,興味深い内容となっている。
 著者の故郷であるオハイオ州ポートクリントンでは,半世紀前の子どもたちには経済格差を自らの能力で乗り越える機会があった。しかし2010年代に入ると, 経済格差はそのまま機会格差につながるようになった。この,時代の変遷の中で機会の不平等が生み出されていく様子は,アメリカ全土だけではなく,日本にも通じるものを感じる。
 そして本書は,「貧富の格差」が,家族(2章),育児(3章),学校教育(4章),地域コミュニティ(5章)といった要因に合わさることで,「子どもたちの成長過程を大きくかけ離れたものにする」(p.319)ことを説明する。この問題への「単純で即時的な解決策はない」(p.290)ことは,全米各地の若者とその親たちの証言例からわかる。
 日本の大人も子どもたちも,「ほとんどは同じような苦境に直面することはない」(p.258)。しかし,だからこそ,苦境下の子どもたちを「われらの子ども」のひとりとして考え,彼らが将来の希望を持てる公平な機会を保障することは,日本においても必要である。図書館はそのための機関である。
 著者は,共に感じ考えることを呼びかけている。

(戸田久美子:同志社国際中学校・高等学校コミュニケーションセンター)

知識ゼロからの天気予報学入門

天達武史監修 幻冬舎 2010 ¥1,300(税別)

 朝は天気を気にして出勤する。雨が降るなら傘が必要となる。暑ければ涼しい服を選ぶ。あまり雪が降らない地域に雪が降れば,公共交通が止まりパニックとなる。局地的な豪雨は水害リスクを高め,自分で判断して避難しなければ危険である。天気は身近で生死に関わる重要な問題である。
 毎日見ている天気予報だが,使われている言葉の意味を本当に知っているかと言われれば,知っているつもりになっているのは,私だけではないだろう。普段から聞いている言葉だけに,いまさら人に尋ねるのは恥ずかしく,答えを教えてくれる人も周囲にはいなそうである。
 例えば,天気予報の「数日」という言葉。『日本国語大辞典』(JapanKnowledge Personal 2017.09.09採録)には,「数個」について,「三~四個,五~六個ぐらいの個数をばくぜんという語」と記されている。3と6では倍なので釈然としない。それでも,この本を読めば,天気予報の「数日」が,今日を含めた4~5日を指すことがわかる。その他にも,「しばらく」は2~3日以上で1週間以内の期間を指し,「明け方」は午前3時から午前6時までの時間帯を指すそうである。天気予報で使う言葉は,混乱しないように,きちんと定義されているのである。
 この本の内容は,気象予報士の試験を受けるには,少し物足りないかもしれない。しかし,天気予報を理解するには十分である。この本があれば,天気について,小学生の素朴な疑問に答えるのに困ることはないだろう。
 おそらく天候により発注量を調整しなければならないファミリーレストラン食材発注担当だった天達氏の実用的感覚があったからこそ,この知識ゼロからの天気予報入門書が生まれたのだろう。お天気本を持つなら,日常生活に役立つこの1冊を薦める。

(星野 盾:沼田市立図書館,日本図書館協会認定司書第1026号)

日本まじない食図鑑 お守りを食べ,縁起を味わう

吉野りり花著 青弓社 2016 ¥2,000(税別)

 占いやおまじないの本は図書館にどのくらいあるのか?と思い調べてみると,児童書が圧倒的に多い。大人の方が悩みは深いのにと思いつつ,占いやおまじないの本が並ぶ哲学・思想の書棚ではなく,民俗学の書棚で出会ったのが本書である。
 タイトルにある「まじない食」とは「神事,仏事,伝承行事のなかで何かの願いを託してお供えされる食材,食べられる料理(p.14)」である。まじない食に託される願いは病除け,厄除け,安産,子供の健やかな成長,豊作,大漁が主なものである。
 例えば,埼玉県の「お諏訪様のなすとっかえ」は茄子を食べることで夏の毒消しになり,京都府了徳寺で12月に行われる「大根焚き」の大根を食べると病気にならないという。福岡県の「早魚神事」は鯛をさばく速さを競うものであり,その切り身は安産のお守りになる。香川県の「八朔の団子馬」は男の子の健やかな成長を祈る団子であり,子宝を願う縁起物でもある。岩手県の「馬っこつなぎ」ではワラ馬に「しとぎ団子」という団子を供えて豊年満作を祈る。最も感動したのは鳥取県の「うそつき豆腐」だ。12月8日に豆腐を食べると一年分の嘘が帳消しになるというものだ。まじない食,おそるべし。
 本書には「まだまだある,全国の食べるお守り・まじない食」という巻末資料もあり,21種類のまじない食が紹介されている。世間のほとんどの悩みに寄り添う豊富なラインナップである。食べることは生きることにつながる。「まじない食」は,悩む人が「何かを食べよう」という気持ちになり,生きる力を与えてくれる存在だと思った。
 本書は,まじない食を通して日本の豊かな食文化を伝えるとともに,原風景といえるような美しい自然を訪ねる旅の書でもあり,手に取りやすい。誰もが頼ることができるおまじないの本がある書棚=すべての人を否定せずに受け入れてくれる書棚作りにぴったりの本として薦めたい。

(山下樹子:神奈川県立図書館)

はじめて学ぶ法学の世界 憲法・民法・刑法の基礎

関根孝道著 昭和堂 2014 ¥2,400(税別)

 本書は法学の基礎から始まり,憲法・民法・刑法の基礎的な解説書である。その内容は単なる法律の解説だけでなく,法律の存在意義やその構造など,法律を学問的に習得するために必要なことも含まれている。また,解説する項目ごとに関連する法律の条文や重要判例の要旨の一部が載っており,理解の手助けになっている。判例については要旨のみで,事件内容が記載されていないので少しとらえにくくはあるが,判例集の出典が記載されているため,判例を見てみたいと思えば容易に探し出すことができる。
 著者は本書を,教養科目として法律を学ぶ法学部以外の学生を対象とした法学概論の入門書「もどき」と位置付けている。「もどき」とあるのは,一般的な法学の入門書と比べると,条文や関連する判例・学説などに深入りし過ぎず,要点のみを解説した教科書として執筆されたものだからであろう。
 私自身が法学部出身であったため,大学の頃に学んだことを思い返しながら読んでいたが,法学部生が学ぶ法律の基礎知識の大半がこの一冊に入っている。法律の知識を有していない人が学ぶための導入としては非常にわかりやすい。
 また本書の構成は,法学の基礎についての説明から始まり,続いて憲法・民法・刑法という六法の中でも主要な法律について各章で解説を行うというものなので,それぞれの法律の特徴を比較してみることもできる。条文を読むだけではわからない,法律解釈に必要な基礎知識を一度に知ることができる。
 教養としての法学を身につけようとする人や,これから法学を学ぼうという人にとって非常に役立つ本である。

(松田康佑:埼玉県立熊谷図書館)

似ている英語

おかべたかし文 やまでたかし写真 東京書籍 2015 ¥1,300(税別)
 
 日本で暮らしている私たちにとって,外国語の使い分けというのは難しいものだ。それは長い間学んできている英語であっても同じこと。例えば「little」と「small」。どちらも「小さい」という意味を持つが,それらはどう使い分ければ良いのだろう? それとも同じ意味なのだから,気にせず好きな方を使ってもかまわないのだろうか。もちろん,答えは「否」である。日本語にすると「同じ意味」の言葉にも,明確な違いがある。それを,きちんと説明してくれるのが本書である。
 見た目は15×20cmのコンパクトな絵本のよう。そこに,見開きで2枚の写真が並べられていて,それぞれ該当する英単語が添えられている。間違い探しのように2枚の写真を見比べた後にページをめくると,示された二つの言葉の「どこが違うのか」を丁寧に説明してくれる。さらに言葉や写真に関する「うんちく」も添えられていて,最後まで楽しく読み進めることができる。
 ただ,こうした贅沢な作りの本なので,解説されている言葉は38組と少なく,語学の本としては多少物足りない部分はある。それでも「同じ意味」を持つ言葉の違いを考える中で,日本と英米の考え方や文化の違いが垣間見えて非常に興味深い。また,対象となる言葉はアルファベット順に並べられているので,目次などを見て気になったところから読んでいけるのも気楽で楽しい。
 なお,本書は先に出版された『似ていることば』(2014)の姉妹編。私たちになじみ深い日本語の,「同じ読みでありながら異なる意味をもつことば」や「サンデーとパフェ」のように「違いがよくわからないとされるもの」を同様に4ページでわかりやすく解説している。「英語より,まずはなじみ深い日本語で!」という人にはこちらもお薦めだ。

(笠川昭治:神奈川県立湘南高等学校図書館)
 

いまモリッシーを聴くということ

ブレイディみかこ著 Pヴァイン 2017 ¥2,100(税別)

 本書はイギリスのバンド「ザ・スミス」の1984年の1stアルバムから,バンドのヴォーカルだったモリッシーの2014年のソロ最近作までを追ったディスクガイドであり,同時に80年代以降のイギリスの時勢をとらえた社会書でもある。
 モリッシーとはどんな存在か,というのは序章の一節からよくわかる。「モテと非モテ,リア充とオタク,人間と動物,クールとアンクール,ノーマルとアブノーマル,金持ちと貧乏人。これらの対立軸で,モリッシーは常に後者の側に立っていた」(p.10)。彼の活動を追うことで,その時々のイギリス社会の雰囲気をつかむことができる一冊だ。
 また,ブライトンに住み現地の空気を肌で感じている著者の筆致が,イギリスを取り巻く状況をよりリアルに伝えてくれる。
 かつては一般的だった“Would you like a cup of tea?”というもてなしの言葉は,著者が勤めていた保育園では禁止されていたという。日本ではまだイギリス=紅茶のイメージが強いが,今では外国人やコーヒーを好むミドルクラスなど各家庭の多様性を尊重するため,「紅茶」に限って勧めてはならないのだそうだ。一方で,コーヒーメーカーも買えない労働者階級の人々は今も一日中紅茶を飲んでいる。「英国的なもの」が時代に取り残されていく寂寥感が,モリッシーの楽曲“Everyday Is Like Sunday”の詩のやるせなさと相まって語られる印象深いエピソードである。
 英題は“MORRISSEY ? GOOD TIMES FOR A CHANGE”。モリッシーの詩の1フレーズから取られたものだが,本書はまさに変化の時を迎えているイギリスの現状を理解する一助となるだろう。政治とポップ・カルチャー,どちらにも関心がある人も,どちらか一方にしかない人も,ぜひ手に取ってみてほしい。

(久保田崇子:埼玉県立熊谷図書館)

日本の手仕事をつなぐ旅 うつわ① 久野恵一と民藝の45年

久野恵一著 グラフィック社 2016 ¥2,400(税別)
 
 「民藝」や創始者である柳宗悦の名は知っていても,久野恵一や手仕事フォーラムの活動を知る人はそう多くないだろう。本書は,著者の没後に刊行された『日本の手仕事をつなぐ旅』シリーズの1巻だ。
 学生時代,宮本常一の民俗調査の旅に同行,民藝と出合い,柳宗悦に直接師事した鈴木繁男らの教えを受け,日本民藝館で実践を積む。やがて日本民藝協会役員の地位を捨て,思いを共にする仲間と手仕事文化の継承をめざし「手仕事フォーラム」を設立。1年の大半を日本各地の作り手の指導,手仕事普及のため,車で奔走し続けた。
 本巻は,沖縄,鹿児島,熊本,福岡,大分の五つのやきものの産地のつくり手と,新作民藝品づくりのエピソードが中心となっている。
 継ぐ者がなく手仕事が次々と消えゆく今,各地域でどのような背景で道具が生まれ,現在どんな人が作っているのか,見るべき点はどこか,名伯楽であった著者のアドバイスでどのように器が変化したか,写真付きで紹介する。
 ほぼ著者が執筆・監修を行った『残したい日本の手仕事』(枻出版社 2016),『民藝の教科書』シリーズ(グラフィック社 2014),からも,本書同様,柳の精神を受け継いだ手仕事の数々を知ることができる。著者は「現代の目利き」として唯一無二の存在であったが,こうした出版物から学ぶことができるのは幸せだ。
 優れた手仕事とは,作家性を追求するものでも,芸術品として愛でられるものでもなく,道具として暮らしの中で使われ,毎日を豊かな気持ちで満たすものだと本書は教えてくれる。同時に,使い手である私たちに良いものを見る目が備わり,買い支えることで初めて残っていくものなのだということも。「素晴らしい手仕事の国」を引き継ぐのは私たちなのだ。

(手塚美希:岩手県紫波町図書館)

正社員消滅

竹信三恵子著 朝日新聞出版 2017 ¥760(税別)

 図書館で働く者にとって,この新書のタイトルに含まれる「消滅」という言葉のインパクトは,どれほど伝わるだろうか。図書館では,いわゆる非正規の雇用は身近にある,普通の風景となっているからだ。だが,見慣れた風景も,変わることなく存在していたわけではない。どうして正規,非正規と区別される事態が生じたのか。本書は,日本の雇用をめぐる風景の変容を辿り,その行方を探っていく。
 著者は新聞記者として,30年以上労働問題に関わってきた。今は大学で教えながら,正社員となるため必死に就職活動をする学生たちの声を聞く。そして,数多く取材してきた名ばかりともいえる正社員のケースを思い起こす。そこで生まれた実感が,二つの正社員消滅だ。ひとつは,非正社員数の増加によるもの。もうひとつは正社員であることが,安心して働けることではなくなったという意味での正社員消滅。この二つの「消滅」にわれわれは直面しているのではないか,と問いかけて本書ははじまる。
 単なる憶測ではない。続く章で,正社員が大幅に減少した職場や,より過酷な働き方を強いられる正社員の事例を多数紹介する。さらに,正社員,非正社員という区分が生み出された背景や政策,いま政府が進めている「働き方改革」のねらいなどを描き出す。研究者の論文や関係者の証言を丹念に追いかけ検証し,本質を浮かび上がらせる叙述には,誰もが納得できるだろう。
 冒頭で「消滅」という言葉のインパクトが伝わるかどうかと書いたが,著者によれば,無関心こそが危うい。「他の働き手の労働条件悪化を放置すると,いつかは自らの働き方の劣化を招き寄せる」(p.226)。雇用をめぐる風景は,今後,より多様で複雑なものになりそうだ。本書は,働くことの意味を深く考えるきっかけにもなるだろう。

(森谷芳浩:神奈川県立川崎図書館)

読んでいない本について堂々と語る方法

ピエール・バイヤール著 大浦康介訳 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2016 ¥950(税別)

 一冊の本について語るのに最後まで読む必要はない。むしろ全部読まないほうがいい。そんな「えっ!?」と驚くようなことを真剣に,ときにユーモアを交えて論じた本である。
 読まない意義を論じる際,引き合いに出されるのはムージルの長編小説『特性のない男』に登場する司書である。この司書は目録以外,図書館にある本を読もうとしない。本に無関心なのではなく,よりよく知りたいから読まないのである。個々の本に深入りして膨大な書物の海でおぼれないようにするには,全体の見晴らしこそが重要である。著者はこの司書の態度を肯定する。
 本を読まないことに意義があるとしても,読んでもいない本について語ることなどできるのだろうか?決して珍しいことではないという。わたしたちが普段何かの本を話題にするとき,そこで語られるのは記憶の中にある書物の断片に過ぎず,正確な内容などほとんど関係ないからだ。
 日常会話だけではない。本の批評も同じである。オスカー・ワイルドは,ある本について知るには10分もあれば用が足りる,それ以上読むのは批評の妨げになるとまで言い切っている。
 タイトルから想像されるような実用書と違い,本文中には本業の精神分析家らしい難解な概念も登場する。それでも小説を中心とした豊富な実例のおかげで,よく読めば基本的な考え方は理解できる構成になっている。紹介する本を著者自身が読んだかどうかを記号で示した注も面白い(訳者は解説で,やりすぎではと言っているが)。
 2008年に筑摩書房から出た単行本を文庫化したもの。同じく文庫で出ている『本を読む本』(M.J.アドラーほか著 講談社学術文庫 1997)とは対極の位置にある本と言える。二冊いっしょに読んだりするとめまいを起こしそうな気もするが,挑戦する価値はあるだろう。

(乙骨敏夫:前埼玉県立熊谷図書館)

洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光

森田創著 講談社 2014 ¥1,500(税別)
 
 2017年はプロ野球草創期に東京巨人軍で活躍した伝説の大投手・沢村栄治の生誕100年となる。2015年,初めて沢村投手の試合中の投球映像が発見され,NHK番組でも紹介された。1936年12月11日洲崎球場での東京巨人軍対大阪タイガース,第二回全日本野球選手権優勝決定試合のダイジェスト映像である。この映像を発掘したのが本書の著者森田創氏である。
 洲崎球場?と思われた方も多いだろう。プロ野球リーグが誕生した1936年,現在の東京都江東区新砂に建てられたプロ野球専用球場で,初の日本シリーズといわれる先の優勝決定戦など多くの名勝負が行われながら,1938年6月の公式戦を最後にいつしか消えていった伝説の球場である。
 本書は「球場の仕様,規模,収容人数,解体時期など,あらゆることが謎に包まれた球場」の「謎を解明したい」(p.6)という動機から,著者自身が「地球上にある資料はすべて読破した」と豪語する程に積み重ねた調査の集大成である。そこから描き出される,往時の選手たちのプレーや息づかいに,野球ファンなら必ず胸が躍るはずである。
 しかし本書は決して野球のマニア本ではない。風向き一つで左右されるポール際の打球。同様に洲崎球場のポール際にも「あらゆる運命をもてあそぶ,時代の風が吹いていた」(p.7)。戦争の足音である。洲崎球場で白球を追った選手たちも次々と出征,帰らぬ人となった選手も数多い。沢村栄治もその一人。もちろん生をまっとうした選手も時代に翻弄された。本書ではその一人ひとりの選手の足跡を丹念に追うことによって,たんに野球に収まらず,「時代の風」を伝える上質のスポーツノンフィクションとなっている。
 本書は2015年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞しているが,著者曰く「本は売れなかった」らしい。ぜひ図書館に一冊をと願う。

(仲 明彦:京都府立洛北高等学校図書館)

戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊

モリー・グプティル・マニング著 松尾恭子訳 東京創元社 2016 ¥2,500(税別)

 蛸壺壕の中で,一人の兵士が夢中で本を読んでいる写真。枯草と泥にまみれた兵士は,苛烈で陰惨な現実に身を置きながらも,表情は生気に満ち,真剣そのものだ。私はしばらく,表紙を飾るこの写真から目を離すことが出来なかった。
 1933年5月10日,ベルリンでは「書物大虐殺」と呼ばれる焚書が行われた。アドルフ・ヒトラーが,自己の思想信条に沿った国家を作り上げるための計画の一つで,大々的なプロパガンダ攻勢を仕掛けて他国を侵攻し,有害と考える図書を処分するというものであった。本書によると,東ヨーロッパの図書館のうち,957館の蔵書はヒトラーの命によって焼き尽くされたという。
 一方アメリカでは,ドイツによるプロパガンダ作戦に対抗する組織が立ち上がった。その一つがアメリカ図書館協会である。「ヒトラーが焚書によって言葉を抹殺するつもりなら,図書館員は読書を促す」として,「思想戦における最強の武器と防具は本である」というスローガンを掲げた。
 その具体策として,「戦勝図書運動」を立ち上げ,全国から寄贈された本を戦地に届けた。
 出版社は廉価な「兵隊文庫」を生み出し,1947年9月までに1億4000万冊の本を戦場へ届けた。
 前線の兵士は,食糧の包みに貼られたラベルの表示をも,むさぼるように読むほど活字に飢えていた。そして「どんな状況に置かれていても,ユーモアのある作品を読めば,笑うことができた」という兵士の言葉から,いかに本が希望と救いを与える存在であったかが伝わってくる。
 1942年,国務次官補,アドルフ・A・バール・ジュニアは「本と関わりのある人は皆…本が真価を発揮できるように心を砕くべきです」と述べた。
 本の力を信じている私も,本の真価を一層発揮させるには何ができるだろうか。あらためて襟を正さずにはいられなくなった。

(山成亜樹子:神奈川県立図書館)

日本のカタチ2050 「こうなったらいい未来」の描き方

竹内昌義,馬場正尊,マエキタミヤコ,山崎亮著 晶文社 2014 ¥1,500(税別)

 この本は,今注目の4人の研究者たちが,その専門性と独自の視点や論点から日本の未来のカタチを書き記したものである。人間に必要なコミュニティの育て方や関わり方(山崎),未来を想像させる風景⇒生き方(馬場),エネルギー自給を含めた効率的な住まい方(竹内),そして,生きるための権利と政治への向き合い方(マエキタ)について,それぞれが各章で記し,私たちがより豊かな未来を生きるためのヒントとなるさまざまな取り組みや事例を挙げている。また,未来を考える上で必要な統計データや著者おすすめの本も書影で紹介している。
 当初この本は,4人が2010年から4回シリーズで開催していたシンポジウムを編纂して出版する予定であった。しかし,シンポジウム最終回開催の1か月前にあの3.11(東日本大震災)が発生した。「その瞬間から,これまでの議論が一気にリアリティーを持って押し寄せた」(p.181)と感じた4人は,大震災発生から半年後には,シンポジウムの続編となる座談会を2回にわたり開催し,この本の最終章として掲載したのである。そして,ここに4人の切実なる思いが込められたことは容易に想像できる。
 4人を代表して馬場が「震災は,未来を私たちに突きつけたのかもしれない」(p.228)と最後に語っていることからも,この本は未来に向けた強い危機感によって編み出されたと言っても過言ではない。繁栄を築き上げたにもかかわらず日本は何を失ってしまったのか,そして,ここから未来につなげるために何が必要となってくるのか。さらなる向こうの豊かな未来を創造するために,まずは自分事として社会のしくみを見つめなおしてみたくなる,そんな一冊である。

(廣嶋由紀子:秋田県八郎潟町立図書館)

桜がなくなる日 生物の絶滅と多様性を考える

岩槻邦男著 平凡社 2013 ¥760(税別)
 
 この本をなぜ手に取ったかというと,やはりタイトルである。「えっ!桜がなくなっちゃうの?」思わずそう考えた。タイトルは,十分にキャッチーで,読んでみたくなる。そうした動機から,まず本と出会うというのは悪いことではないと思う。
 しかし,この本は,決して「桜がなくなること」を主題としたものではない。「はじめに」を読むとそのことはすぐにわかる。「…分かりやすく日本列島の植物の動態を概観することで,問題の本質について考えるきっかけを提供してみたい。」(p.11)というのだ。「桜」の話題は,全体の5分の1くらいと言ってもよい。
 最初に,秋の七草に数えられているフジバカマとキキョウが,絶滅危惧種のリストに載っていると伝えられる。万葉集の頃から親しまれていた植物がなぜそうなってしまうのか,解説はわかりやすい。これに続いて,「生物多様性」について力を注いで書いている。難解な「生物多様性」という言葉の意味を述べたあと,「生物多様性がもたらしてきたもの」について遺伝子資源と環境問題を背景に説明を加える。しかし,それだけでなく「生物多様性」は,自然と接することによる「人の生き方」に関連している点も多いと力説している。
 ここまで読み進めると「生物多様性」の重要度を伝えることが,この本の最大の目的だということがより鮮明になる。「桜」はそのひとつの材料なのだ。まだ日本の自生種のサクラには絶滅危惧種はないが,未来にわたってそう言えるのか,「サクラの現状だけから想定するのは危険」(p.161)と言う。またこうも言う。「一種でも生存が危うい種があるならば,それは生物圏全体に危機が及んでいることになる。」(p.161)
 著者は植物の多様性についての研究の第一人者。専門的な著作も多いが,新書判のこの本には,幅広い知識に裏付けされた「科学エッセイ」の趣がある。その中に重みのある提言が随所に見える。

(大塚敏高:前神奈川県立図書館)

健康で文化的な最低限度の生活(1)

柏木ハルコ著 小学館 2014 ¥552(税別)
 
 自己責任という名の妖怪が徘徊している。その妖怪の名のもとに,憲法で認められた権利さえ蔑ろにし,蹂躪しかねない言論が横行する。言論を取り扱う図書館としても,注目しておくべき現象ではないだろうか。
 さて,生活保護も妖怪がやり玉に上げる対象のひとつだ。本書は新人ケースワーカーの視点から,生活保護に関わる人間を描くマンガである。110世帯を担当する主人公が受給者に接して感じる困惑は,そのまま読者の困惑になる。「生活保護受給者」という概念ではなく,リアルな人間ひとりひとりと向かい合うことから来る困惑である。
 巷間ナイーブに語られがちな「不正受給」について(2巻で)取り上げるが,その言葉から思い浮かぶイメージと,ここでのエピソードとのギャップに虚を突かれる。人が「不正」を働くというのはどういうことなのか,なぜそれが起こりうるのか,想像できないと理解は単純な方向に傾く。人と接する仕事に従事する者にとって,想像力がいかに重要であるかを再認識させられた。
 また,いくつかのエピソードで,経済的困窮が「適切な情報があれば避けることができたもの」として描かれる(法テラスによる債務整理など)。情報提供機関である図書館としては看過できないところだ。「図書館に来てくれていれば,その情報に触れていてくれれば」とも感じるし,情報提供のための準備はできているだろうか,と自問もすることになる。そもそも生活保護受給者にとって図書館が利用しやすいものになっているだろうか,その視野に入っているだろうか,と。
 生活保護が経済のセーフティーネットだとすれば,図書館は知のセーフティーネットで(も)ある。その役割は「人を守る」ことにある,と自覚しておきたい。本書がそのネットの素材の一部たり得ることを確信している。

(大林正智:田原市図書館)

地方創生大全

木下斉著 東洋経済新報社 2016 ¥1,500(税別)

 現在,ありとあらゆる地域で,地方創生の名を謳って補助金を使った事業が行われているが,そのうち本当の意味で成功したところはどれほどあるのだろうか?
 この本は,地方創生という名に踊らされ,安易に補助金に頼ろうとする地方自治体に向け,警鐘を鳴らしている。
 失敗事例として,財政破綻をきたし,二人もの首長が引責辞任せざるを得なかった青森県青森市の「アウガ」が取り上げられている。私も昨年「アウガ」を訪れたが,その衰退ぶりには心が痛んだ。これは,地方が補助金に依存し,「身の丈に合わない一過性の莫大な予算」で華美な建築物をつくったものの,思うようにテナント料が入らず,維持費もかさんで赤字経営に陥ってしまったことが原因であった。ここまではいかないにしても,損失補てんに税金を投入し,逆に損失を雪ダルマ式に増やしてしまっている地方の事業は多そうだ。
 逆に成功事例には岩手県紫波町の「紫波マルシェ」があげられる。ここは補助金に頼らず,市中銀行からの借り入れで施設を整備し,農産物を卸してくれる農家を事前に募集し,出店料により運営している。全体の事業計画から逆算して,低い建築費に抑えたことや,テナント収入が安定して見込めるため,立派に黒字運営されている。
 地域の活性化は「おカネがないからできない」のではなく,「知恵がないからできない」のである。
 「紫波マルシェ」が入っている官民複合施設「オガールプラザ」には,ユニークな運営で知られる紫波町図書館も併設されているので,ぜひ一度足を運んでいただきたい。
 『町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト』(猪谷千香著 幻冬舎 2016)と合わせて読むことをおすすめしたい。

(砂生絵里奈:鶴ヶ島市教育委員会,日本図書館協会認定司書第1060号)

移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

高野秀行著 講談社 2012 ¥1,600(税別)

 日本のはずなのに,「『どこでもドア』のように,一瞬で外国に行ってしまう」(p.19)ように思える,国内のさまざまな外国人コミュニティ。文化,人生観,人々のつながりなど,異文化に触れる見聞記は面白い。
 200万人にも及ぶ,日本に移り住んできた外国人について,「私たち一般の日本人は,意外なほどそういう外国人の『ふつうの姿』を知らない」(p.19)と述べる著者は,飲食を媒介として,外国人個人と,その人が属するコミュニティの姿を,かた苦しくなく探る。アジア,アフリカを多く旅し,ユニークな視点でルポを残す著者だが,それでも取材ではさまざまな発見もある。
 本書では,タイ,イラン,フィリピン,フランス,中国,ブラジル,ロシア,スーダンの人々・コミュニティが登場する。「寒くて,気持ちいいです」(p.42)と発言するタイ人。大地震被災時でさえも「明るくしていなければかっこうわるい」(p.123)と思う(?)フィリピン女性。そんな人々のふるまい,日本への反応が,豊富につづられる。
 おりしも雑誌連載時に3.11(東日本大震災)に見舞われ,今度は外国人たちが,どんな被災生活を送ったのかの取材に変わる。取材相手をみつけ,支援を兼ねて食材も持ち各所を訪問していく中で,「炊出しをおこなう外国人に圧倒的に南アジアの人が多いのはカレーと関係があるのではないか」(p.93)という食文化上の想像も働かせる。
 長く高校勤めをしてきた私だが,図書館を通してでも,以前に比べ外国につながる生徒との接点が増えたと感じる。価値観や文化の違いに直面する機会もあった。個人との日常のやりとりだけではわからない,彼らの背景を多少なりとも知ることができればと思ったときに出会った1冊である。

(宮﨑 聡:神奈川県立横須賀明光高等学校図書館)

生物に学ぶイノベーション 進化38億年の超技術

赤池学著 NHK出版(NHK出版新書) 2014 ¥740(税別)

 38億年にわたる進化の中で,生物たちは生き延びるためそれぞれに技術を身につけている。
 生物模倣技術ならびに生物規範工学という学問は,人間が築き上げてきたのとは成り立ちの違う技術,生物たちの超技術を学ぶことで新たなイノベーションを起こすものである。この本では,この生物から着想を得たさまざまな研究・技術が紹介されている。
 「生物の形をまねる」,「生物の仕組みを利用する」,「生物がつくったものを活用する」,「生物そのものを扱う」,「生態系に寄り添う」という五つのカテゴリーで章立てがされている。この章立てにより,生物規範工学が,サメ肌水着やヘビの動きをヒントにした災害時用ロボットなどの形状・機能の模倣だけでなく,ガの生態的特徴から学んだ制がん剤や,シロアリやミドリムシから新たなエネルギーを生み出す研究へと広がり,最後には生態系にまで及ぶ分野であることがわかる。
 この生態系の話では「バイオスフィア2」という箱庭のような人工生態系計画の失敗にも触れている。その中では今後の科学技術が技術革新についてだけでなく,循環や共生といった自然がもともと持っている調和にも目を向ける必要があることまで書かれている。新たな技術への期待と近代科学への警鐘の双方が書かれていることが興味深い。また,実用段階に届いていない研究も紹介されており,人間の技術がまだ追いつかないこの分野の深さも感じられる。
 生物たちを見ることでこれまで気が付かなかった新しい技術につながる様子が書かれており,さまざまな問題に対する新たな着想も多数示されている。生物学分野に興味のない方にも,物事を解決する際に,見る角度を変えることや他の分野を知ることの重要性を確認させてくれる1冊である。

(岸 広至:飯能市教育委員会)
 

竹島水族館の本

蒲郡市竹島水族館著 風媒社 2016 ¥1,300(税別)

 数年前,小さなライブ会場で,あるミュージシャンが愛知県蒲郡市にある竹島水族館のホームページを絶賛していた。帰宅してホームページを見てみると,弱小貧乏水族館であることを半ば自虐的にアピールしていたり,スタッフがあれやこれやとチャレンジするコーナーがあったりで,笑ってしまうのと同時に,努力や工夫に感心させられた(当時のホームページは現在より手作り感のあるデザインだった記憶がある)。
 その竹島水族館の本が出た。詳しく知りたくなり手に取った。本の前半は「竹島水族館 深海生物図鑑」,後半はスタッフの活動の記録という構成だ。私は後半に興味があったのだが,日本一の展示種数を誇るという深海生物の図鑑は,竹島水族館流の小ネタが満載で,本書を見ながら実際に観察してみたくなるものだった。
 後半は密度が濃い。ユーモアにあふれた「伝統引き継ぐアシカショー」,運営や日常の仕事を伝える「人気の秘密ここにあり!」,催事や企画を紹介した「こんな楽しみ方はいかが?」の各章,そして多数のコラムが載っている。
 例えば,水族館の「バックヤードツアー」は,当日の朝,くじで担当者を決めているそうだ。それぞれ得意分野も興味も違うので,話す内容はまちまちになる。他のスタッフに負けまいと,ネタを仕込んだり,知識をつけなくてはならない。結果「全員分を聞き比べるのがオススメ」となる。
 また,スタッフには「お小遣い制度」もある。ベテランも若手も一定のお小遣いを与えられ,使い道は自由だそうだ。多数の魚を買っても,高級魚を1匹だけ買っても,ある季節に集中的に使うこともできる。この方法,図書館で選書の一部として導入してみても面白いかもしれない。
 他分野の本を読んで,図書館の業務のヒントを見つけていくのは楽しい。

(高田高史:神奈川県立川崎図書館)

秘島図鑑

清水浩史著 河出書房新社 2015 ¥1,600(税別)

 この本の帯には「本邦初の“行けない島”ガイドブック」とある。
 目次を見ると,これまで『Shimadas 日本の島ガイド 第2版』(日本離島センター編 日本離島センター 2004)など日本の島について書かれた本の中でもそれほど詳細に表記されてこなかった無人島などが紹介されている。
 島国である日本には,6,800もの島々がある。この本には,一般の公共交通機関がなかったり,住民がいない“秘島”について,面積等のデータだけでなくアクセス方法,島の歴史,写真,地図まで書かれている。さらに,島の説明だけではなく,どうしたら“秘島”を身近に感じることができるか実践編まで書いてある。
 東京都の硫黄島(p.58)は,太平洋戦争末期に住民が強制疎開させられ,映画『硫黄島からの手紙』で多くの人が知ることとなった島である。激戦の地となったこの島にはいまだに元住民は帰島できないが,自衛隊や施設工事関係者など400人も駐在していることは知られていないだろう。
 行けない島のことを知って何になるんだと思う方もいるかもしれない。しかし,絶海の孤島は,気象観測地でもあり,国境,軍事面での要所なのだ。硫黄島のように戦争の惨禍に見舞われた島,西之島(p.54)のように現在も度重なる噴火活動で拡大し続け,地球が生きていることを実感させる島,臥蛇島(p.74)や八丈小島(p.78)など高度経済成長に取り残され,過疎化が進み無人にならざるを得なかった島々の現実を知ることは重要である。
 四方を海に囲まれている島国ならではの,日本が抱えているさまざまな問題について,考えさせられる1冊である。

(松本和代:菊陽町図書館,日本図書館協会認定司書第1088号)

コバルト文庫で辿る少女小説変遷史

嵯峨景子著 彩流社 2016 ¥1,800(税別)

 人はいつ,少女ではなくなるのだろうか。
 少女小説と呼ばれるジャンルの歴史は古く,明治期までさかのぼる。アカデミズムの世界では周縁的な小説群とされがちだが,近年も研究書が刊行されるなど,少女小説研究は定着しつつある。
 集英社のコバルト文庫を中心に戦後半世紀を総括する本書は,雑誌,文庫,現在のソーシャルメディアに至るまで,異なる発表媒体を網羅しながら個々の作品に触れ,読者共同体の変容にまで言及している点が新しい。
 本書の出版後,著者あてにかつて少女小説を愛読していた読者たちからの熱意あふれる感想が寄せられたという。私自身もまた本書を読みながら,思春期に寝食を忘れて読みふけった少女小説の記憶が懐かしさとともに細部までよみがえった。少女期に愛し,成長の過程とともに自然と遠ざかりながらも,私もまたあのころのみずみずしい感性を忘れていなかったのだと思い知った。
 時代の空気を敏感に察知しながら,目まぐるしくうつろう少女小説の変遷を一歩ずつたどりながら,著者は少女小説を貫くものを「居場所」と位置づける。現実の困難を乗り切るためにそこにあり続けてきた,切実かつ親密な居場所は,少女が少女でなくなったとしても,読者の心にあり続ける。
 かように少女小説とは,児童サービス,YAサービスの観点からも重要でありながら,読者にとって旬が短く新作が次々と刊行されるなど評価が定まりにくいことなどから,図書館員にとっては悩ましい作品群であると言える。戦後少女小説の通史を概観し,作品名とその評価を把握できる点でも,ありがたい労作である。

(三富清香:新潟県立図書館)

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち

上間陽子著 太田出版 2017 ¥1,700(税別)
 
 「15歳のときに,地元を捨てた」著者が沖縄に戻り,「今度こそここに立って,女の子たちのことを書き記したい」という思いで,6人の少女の人生を書いた1冊。
 私が特に印象に残ったのは,「カバンにドレスをつめこんで」である。これは,鈴乃という名前の女性が高校の定時制課程に入り直し,夕方になるとカバンにドレスをつめこんで学校に行き,学校が終わったらそのまま,キャバクラに出勤していたことからとったものだ。
 取材時,彼女は日中,看護専門学校に通い,夜はキャバクラで働きながら重い脳性まひの子どもをひとりで育てていた。彼女は16歳で子どもを産むが,恋人から暴力を受け続け,傷跡をメイクで隠して入院中の子どもを見舞う生活をしていた。その時,彼女を気遣ってくれた看護師がいたことから「看護師になりたい」という夢を抱き,奮闘していた。彼女の意志や努力には頭が下がる。しかしそれ以上に,著者の「それにしても,鈴乃はなぜこんなにもがんばり続けないといけないのだろうか。」という一文がとても心に沁みた。
 家族や周囲から支援を得られない少女たちは時に,着のみ着のままの裸足状態で逃げなければならない状況にさらされる。これを自己責任とするのは間違っているし,精神的・経済的に頼れる存在がいる人とはスタートライン自体が違うので,安易な比較など許されないだろう。
 私は沖縄を訪れた経験もなく,この本に書かれていることが地域に限ったことなのか判断できない。しかし,6人の人生と,それを書き記さなければならないと決意した著者の心から目を背けてはならないと強く感じるのだ。

(川﨑彩子:飯能市立図書館,日本図書館協会認定司書第1132号)

むし学

青木淳一著 東海大学出版会 2011 ¥2,800(税別)
 
 ジャポニカ学習帳の表紙から虫が消えた。虫は不潔で気持ち悪い,昆虫採集は環境破壊だ,反対だという意見もあるそうだ。そんななか「なんといわれようと,私は昆虫採集を子供にも,大人にも勧める」(p.74)と言い切る,ダニ研究の第一人者が著した「むし学」への愛とユーモア溢れる1冊を紹介する。
 本書は,虫の研究に興味のある人に向けた「むし学」入門書である。虫とは何かを漢字を絡めてわかりやすく説明することに始まり,虫の生態,人間と虫の関わりなど,広い視点で,昆虫以外も含めた「虫」について説明している。新種の和名に命名者の名を付けると顰蹙を買うので,恩師の名前から「ヤマサキオニダニ」と付けたら鬼とは何かとこれまた顰蹙だった,などという虫嫌いにも面白い話題が満載だ。また実用に際した知識が多く,昆虫採集時の持ち物や方法についても詳しく説明している。失敗を織り交ぜて語る経験談は,直接教えを受けているようで親しみやすい。
 本書からは,虫を愛し研究を楽しむ著者の熱意と活力が伝わってくる。「○○学部に入って,○○をテーマにしたほうが,将来良い職業にありつけ,楽ができるだろうなどという考えは捨てたまえ。どんなに良い境遇にあっても,仕事を嫌々やっていたのでは,芽が出るはずがない。」(p.112-113)人生は一度きり,やりたいことをやるべきだ,というありふれた言葉も,言行一致の著者が言うからこそ素直に受け止められる。
 表紙は明るい黄色一色の地に,「むし学」とタイトルがあるのみ。シンプルな表装は,虫に興味がない方も気軽に手に取りやすいはず。読めば思わずクスリとしてしまうこと請け合いだ。

(山本輝子:埼玉県立久喜図書館)

「表現の自由」の守り方

山田太郎著 星海社発行 講談社発売 2016 ¥840(税別)
 
 まず表題が目にとまった。
 「表現の自由」は知る権利と一体のものと言うけれど,自由を守らなければならない「表現」とは何か,あまり考えたことがなかった。図書館に勤める者としては知っておくべき?と思ったのだ。
 本書の第一章で取り上げられているのは,児童ポルノ禁止法(児童買春,児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)とアニメ・マンガ・ゲームの規制。以下,TPP(環太平洋パートナーシップ)協定と著作権,有害図書と軽減税率などが話題となっている。
 もちろん,どのような表現が規制の対象とされようとしているのかという部分も勉強になったが,国会でどのようにやり取りして法律の条文を決めていくのかという過程も,とても興味深かった。
 ところで,「表現の自由/知る権利」を守ろうとする物語としてすぐに思い浮かぶのは,『図書館戦争』(有川浩著 メディアワークス 2006)ではないだろうか。知る権利を保障する“図書館の自由”を守るために,実力行使も辞さない世界の話だ。本書にはほかに,『有害都市』(上・下 筒井哲也著 集英社 2015)と『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』(全11巻 赤城大空著 小学館 2012~2016)も,同テーマの作品として紹介されていた。
 『図書館戦争』と「下ネタ」なんて言葉がつく作品が同列?と思うかもしれない。だが『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』という作品も,思ったことや感じたことを自由に表現することが,いかにその人の生きる根幹にかかわっているかを描いたものであり,「表現の自由/知る権利」のために戦うという点では前者と変わりない。――はずなのだが,わたしの身近な図書館はどこも後者を所蔵していなかった。いろいろなことを考えることになった。

(小野 桂:神奈川県立川崎図書館)

イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑

澤宮優著 平野恵理子イラスト 原書房 2016 ¥2,200(税別)
 
 ノスタルジックな仕事のイラストが,表紙に多数描かれている。電話交換手や氷屋などはすぐに見当がつくが,精かんな顔立ちに見える鳩は,どのような職種に携わっていたのだろうか。
 鳩のたたずまいに心惹かれ,ページをめくると「情報通信」の項に新聞社伝書鳩係の記述を見つけた。関東大震災をきっかけに,各新聞社は独自に伝書鳩を飼育し,地方からの記事を集めた。仙台―東京間の場合,約300kmを4時間40分で戻り,重大スクープを運んだ鳩には,社長賞が授与されたという。電送などの通信手段の発達によって,昭和30年代半ばには出番がなくなり,電波が飛び交うように行き交っていた伝書鳩たちも,技術の発展に伴い徐々に仕事を失っていった。
 私が子どものころは,近所に養鶏場や牛舎があって温かな卵のぬくもりを感じ,搾りたての牛乳を飲ませてもらっていたが,生業のパートナーとしての動物たちは,都市部から放逐されつつある。動物と人間の関係性についても考えさせられた。
 本書は,産業分類ごとに115種類もの仕事が図鑑形式でまとめられている。バスガール,文選工,毒消し売り,活動弁士,紙芝居屋,のぞきからくり,幇間,代書屋など見開きの解説とイラストは仕事の内容を理解するうえでとてもわかりやすい。ここに紹介されている失われた仕事に就いていた人たちは,みんな懸命に働いていた。今日を生きるため,とにかく働く。読んでいるうちに,職業紹介にとどまる内容ではないことが伝わってきた。昭和という時代,高度経済成長,人々の活力,過去から現在,未来へと考えが及ぶ。はたして今日ある仕事は,いかなる変遷をたどるのであろうか。
 同著者の『昭和の仕事』(弦書房 2010)は,ある放浪詩人の職業遍歴など約140種類の仕事を紹介しており,こちらもあわせておすすめしたい。

(横山みどり:越谷市立図書館)

弱いつながり 検索ワードを探す旅

東浩紀著 幻冬舎(幻冬舎文庫) 2016 ¥540(税別)
 
 著者は近年注目の現代思想研究家であるが,本書は「ネットは階級を固定する道具です。」という挑発的な一文から始まる。そして「『かけがえのない個人』などというものは存在しません。ぼくたちが考えること,思いつくこと,欲望することは,たいてい環境から予測可能」(p.13)だとネット社会を分析する。だからこそ「環境を意図的に変え」「グーグルが与えた検索ワードを意図的に裏切ること」(p.14)で,環境がはめ込もうとする姿を自らの手に取り戻すことを提案する。そしてその具体的な方法や意味を著者のさまざまな体験をもとに述べている。
 またネットには無限の情報が溢れていると思われがちだが「だれかがアップロードしようとしたもの以外は転がっていない」(p.65)ことを強調する。その上で「言葉にならないものを言葉にしようと努力すること」(p.65)が重要だと言う。そのためには弱いつながりの関係性を保ちながら,「観光客」の視点でリアルに「旅」をする必要性を訴える。
 私事で恐縮だが,自宅から職場までに書店が1軒もない地域に住んでいると,ネット書店のお世話になることが多い。ご存知のとおりネット書店は,前回検索した本をもとに趣向にあった本を提示してくれるため,探す手間が省けて便利である。ただそれを繰り返していると,何やら不安な気分になってくる。この感覚はネットによって自分の環境を固められてしまうことに対する,まさに本能的な拒否感覚ではないだろうか。リアルな身体感覚による移動,つまり書店に出向いて本を探す作業――本書で言うところの「ノイズ」を入れること――は,やはり大切なのだ。
 本書は「哲学とか批評とかに基本的に興味がない読者を想定」(p.18)とある。SNSにどっぷり浸かっている若者にこそ読んでほしい1冊である。

(亀田純子:神奈川県立津久井浜高等学校図書館)

プーチン 人間的考察

木村汎著 藤原書店 2015 ¥5,500(税別)
 
 2016年は,国際政治においてまさに激変といえる年であった。英国が国民投票でEU離脱を決め,米国の大統領選挙では過激な発言の数々で有名なトランプ氏が当選した。フィリピンでもドゥテルテ大統領が誕生し,行き過ぎた麻薬取締による人権軽視に批判が集まったことが記憶に新しい。さて,似たようなタイプの政治家が従前より活躍していた国があるのはご存知だろうか。そう,ロシアのプーチン大統領である。彼もまた「テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」などと,時に人権を軽視した,あるいは品のない発言が話題となる,強権的とされる人物だ。
 「プーチンが大統領に就きさえすれば,ロシアでは万事が一挙に好転するのではないか。このように自分勝手な想像で,有権者たちはプーチンにたいする期待感をふくらませはじめた。」(p.64)
 この光景,どこかで見覚えはないだろうか。
 本書は,ロシアの政治がプーチン氏個人にかなりの程度依存していることを指摘している。それとともに,彼の力の源泉は何なのか,また民衆のどのような欲求が彼に票を与えているのかを,彼の幼少期の経験まで遡り,緻密に積み上げて検証するものだ。
 これが現在のロシアを考えるのに必要不可欠であることは言うまでもないが,それに加えて,私は先に挙げたような「激変」が何故起こったのか,何が人々の望みであったのか,そういうことを考えるうえでも,有益な示唆を与えてくれるものだと考えている。
 プーチン氏を通して,政治におけるリーダーシップの役割や,それを制約する環境との関係など,政治理論一般にまで敷衍して説明している。彼のやり方を通して,民主主義というものの課題やそれとどう向き合っていくべきかなど,そこまで考えさせられる力がこの本には秘められている。

(前田真樹:飯能市立図書館)

世界のエリートが学んでいる教養としての哲学

小川仁志著 PHP研究所 2015 ¥1,400(税別)
 
 「哲学」という世界を覗いてみようとしたとき,果たして途方にくれてしまった。著名な哲学者の書を読むほどに自分が哲学の世界のどこを歩いているのかわからなくなっていった。そしてたどり着いたのは,「そうだ,教科書を読もう!」。
 学生ではない大人に教科書の需要があるのは,効率的に公平に世界を理解できる本として認識されているからだろう。教科書そのものではないが,そうした役割を果たしてくれるのが本書である。「グローバルビジネスに必須と思われる哲学の教養を,ビジネスのためのツールとして位置付け,紹介していきます。」(p.9)と目的を説明しているが,世界で活躍する予定がなくても,哲学の道を歩く前に入り口で迷った人を救う教科書として活用することができる。
 哲学という分野を歴史,思考,古典,名言,関連知識,人物,用語,という複数の視点から見ることにより全体像を俯瞰してとらえられるように構成されており,これから読むべき哲学書を選択する際の参考にもなる。関連知識として,宗教,倫理,日本の思想についてもふれており,多文化を理解する上で必要な知識も得ることができる。
 第一章にあたる「ツール1歴史」の冒頭には「大づかみでわかる哲学史」という図が登場する。古代ギリシア,中世,近代,現代の哲学の流れが一目でわかるように整理されており,この図を頭に入れて読み進める感覚は,地図を持って道を歩くのに似ている。哲学の道のどこを歩いているのかを意識しながらの読書は知識や自分の考えの整理もしやすい。
 本書のタイトルには「教養」という言葉が含まれているが,教科書で得た知識を教養に育て自分のものとするのは,自ら選んだ本のその後の読書だろう。

(山下樹子:神奈川県立図書館)

中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義

中島岳志著 白水社 2005 ¥2,200(税別)
 
 インドカリーで有名な新宿中村屋は新宿駅近くで存在感を示している。カリーの由来は1915年(大正4年)に来日した1人のインド人に遡る。
 インド独立運動のリーダーといえばチャンドラ・ボースを思い浮かべるものの,ここでは先輩格のラース・ビハーリー・ボース(以下R.B.ボース)が主人公である。英国からの独立闘争の指導者であり,インド総督爆殺未遂事件の首謀者として英国官憲に追われる身となる。ノーベル賞作家タゴールの身内を装い日本に逃れるも,探索は身辺に迫る。その危機を救い匿ったのは中村屋の主人相馬愛蔵であった。まさに侠気である。まるで冒険小説のような逃避行を経て,ここから中村屋との深い縁が生じ,やがて娘の俊子と結婚して日本国籍を取得する。中村屋には本場のインドカリーを伝授する。
 R. B. ボースを取り巻く人脈は多彩で,頭山満,内田良平などの右翼団体玄洋社・黒竜会系の人士をはじめ,大川周明,安岡正篤,犬養毅などがいて,一方では孫文とも交流があった。R.B.ボースは日本の力で英国を駆逐しインド解放を目指し,日本側はアジア進出の橋頭堡と現地の親日勢力確保に利用しようとしていた。やがて大東亜共栄圏構想に取り込まれ軍部に同調する彼への同志たちの不信は募り,病魔にも侵され,チャンドラ・ボースにその地位を譲ることになる。
 気鋭の政治学者として注目されている著者らしさが随所に見られる。例えばR.B.ボースを庇護した玄洋社・黒竜会系には思想があるわけではない,心情的アジア主義者であって「重要なのは,思想やイデオロギー,知識の量などではなく,人間的力量やその人の精神性・行動力にこそあった。」(p.129)と評している。著者と島薗進の対談『愛国と信仰の構造』(集英社 2016)もあわせて読むことを薦めたい。

(若園義彦:元鶴ヶ島市立図書館)

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

開沼博著 青土社 2011 ¥2,200(税別)
 
 福島第一原子力発電所事故の直後に行われた4月統一地方選挙では原発立地の自治体で安全対策の是非が争点となったが,原発反対派の目立った伸長はみられなかった。反原発運動の高揚もあったが,原発の再稼働の動きも止まらない。あれだけの過酷事故が起きたにもかかわらず,この国は,なぜ脱原発へと舵が切れないのかという疑問を抱え続けていた時に出会ったのが本書だった。
 著者は福島県いわき市出身。3.11(東日本大震災)以前に書いた修士論文をもとに構成されている。主題は「フクシマ」が原子力を受け入れて現在までを「中央と地方」「戦後成長」などをキーワードにして研究したもの。学術論文という地味本ながら,3.11原発事故によって注目を集めた。
 「地方は原子力を通して自動的かつ自発的な服従を見せ,今日に至っている」(p.358)という言葉に私の疑問解決のカギがあった。原発を受け入れたムラは,出稼ぎがなくなり,さまざまな商店ができ,都会をムラに現出させることによって原発は「信心」となっていく。スリーマイル,チェルノブイリ,東海村JCO臨界事故が起きても「出稼ぎ行って,家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよりよっぽどいいんじゃないか」(p.112)と「ムラ」の安全を信じてしまう意識構造が原発の維持を支えている。
 地方行政でも,元知事佐藤栄佐久の「原発・プルサーマルの凍結,見直し」に対し,中央からの推進圧力とともに県会議員や原発立地自治体から凍結反対の声が上がる。こうして中央と共鳴しながら自ら持続的に原子力を求めるシステムが強固に構築されていく。
 3.11以降も「原発には動いてもらわないと困るんです」(p.372)と,ある原発労働者は生活の糧としての原発の存続を願う。原発を「抱擁」し続けるこの国の在り様が,若手社会学者によってまざまざと描き出された一冊である。

(秋本 敏:長野県短期大学)
 

破綻からの奇蹟 いま夕張市民から学ぶこと

森田洋之著 南日本ヘルスリサーチラボ 2015 ¥1,200(税別)
 
 先日関西の館長クラスが集まった雑談の席で,いまも公共図書館が未設置の市の話題になった。その一つである北海道夕張市は,2007年に約353億円の赤字を抱えて財政破綻した自治体である。このニュースは,自治体も倒産するのだという衝撃とともに,炭鉱と特産のメロンで全国的に名の知られた町がダメになってしまうのかという悲哀感と,自分の住む町も同じようなことになるかもしれないという不安感を日本中に抱かせたと思う。
 夕張市の人口は1万人,全国の市の中で高齢化率が47%と日本一である。財政破綻の影響で,さまざまな行政サービス,公共サービスが停止した。
 市内唯一の総合病院の閉鎖もその一つである。CTやMRIなどの検査機器も,救急病院もなくなり,住民は十分な医療を受ける手立てを失った。では,住民は安心して夕張で暮らすことができなくなってしまったのだろうか。
 2009年当時,南国宮崎県の大きな急性期病院の研修医であった著者は,豪雪の夕張に家族とともに転居し,今までとは180度違う医療現場に携わった医師であるが,上記の問いに対し明確に「否」と答えている。大きな理由は,住民の終末期医療に対する意識が変わったことだそうだ。これを受け,今後の医療の役割についての著者の真摯な考えも示されている。
 こう書くと,難解な内容かと読むのを躊躇されるかもしれないが,3人の登場人物が軽妙に対話をしながらわかりやすく医療現場のキーワードを伝えてくれる内容で,住民の日々の生活もいきいきと描かれている。
 2060年には高齢化率が40%を超え,日本全体が夕張市と同じ状況を迎えるという。「大きな病院で診察してもらえば安心だ」という「なんとなくの当たり前」を見直し,自分が受ける医療を身近な問題としてとらえることができる一冊である。

(岩本高幸:桜井市立図書館)

日本語の科学が世界を変える

松尾義之著 筑摩書房 2015 ¥1,500(税別)
 
 話題提供の意図もあり,遠出した折には私はあえて関西弁で話すことにしている。「関西弁ってあったかいですよね」,こう話される方の地域の言葉にこそ,私は温かみを感じる。
 方言に親近感を抱く以上に,日本語を母語とする我々は英語に対して強い憧れを抱く。世界の共通語が英語だということがその理由だろう。他方,この影響が顕著に現れるはずの科学の世界において,日本語で考えることの有効さとその重要さが,本著で述べられている。
 科学の世界になじみがなくても,「陽子」にプラス電荷を帯びていることや「葉酸」が植物の葉に含まれることは推測できる。「分光学」と聞いて「光を分ける」ことと何らかの関係があることも想像できる。どうやら,英語ではこううまくはいかないらしい。
 これらは訳語の力である。普段我々が使う概念を表す言葉の多くは,外国から持ち込まれ,明治期に翻訳されたものであり,「科学」もその一つである。つまり,科学を「科学」と呼んだ時点で,我々は「日本語で」科学をとらえているわけである。
 著者は,科学雑誌の編集者として,またジャーナリストとして,日本語の話者にも英語の話者にも理解を得られるよう工夫を織り込みながら,翻訳を繰り返してこられた。この経験に基づいた解説や主張には非常に説得力があり,専門家と一般読者の間を取り持つこの著者もまた,他の研究者と同じく世界の科学に貢献している存在であるといえる。
 ところで,本著での主張を曲解して冒頭の話に当てはめると,旅先でも関西弁で考え行動することを勧められるわけである。が,仮にこれを実行した場合,周囲の人々が多大な迷惑を被ることは避けられず,こればかりは慎まなければならぬと強く決心した私である。

(栗生育美:吹田市立中央図書館)

オオカミの護符

小倉美惠子著 新潮社 2011 ¥1,500(税別)
 
 神奈川県川崎市宮前区土橋。私の地元から少し離れた,都会的で洗練された街というイメージを抱いていた。
 川崎市内の職場に勤務していた時,先輩職員が勧めてくれたのが『オオカミの護符』であった。読み進むにつれ,地域には太古から息づく文化が現代にも脈々と伝わっており,土橋地区の「もう一つの顔」をこの本から垣間見た思いがした。
 著者・小倉美惠子氏の生家にある土蔵の扉に貼られた「護符」。幅10cm,長さ30cmほどの細長い紙には,鋭い牙を持つ「黒い獣」が描かれていた。「護符」は何度も張り替えられ,土橋地区の農家の戸口や台所,畑などに掲げられていたそうだ。しかし,昭和47(1972)年頃から急速な人口の増加,街並みの整備に伴い,「護符」を見かけることも,その存在を知る人も少なくなってしまったそうである。著者自身,「護符」はどのように入手しているのか疑問に思っていた矢先,「土橋御嶽講」の存在を知ったそうだ。
 「土橋御嶽講」とは,農繁期が始まる前に,作業の無事と豊作を願って「講」を組んで青梅市の武蔵御嶽神社にお参りに行き,「護符」をいただいてくる行事である。「護符」に書かれている言葉の意味,描かれた「黒い獣」の正体を追って,青梅市から調布市,埼玉県三芳町,秩父市,山梨県・・・と,関東一円に舞台は広がっていく。各地で継承されている神事,風俗には現代の暮らしの礎になっているものも少なくない。
 一枚の「護符」がもたらしたもの。それは,地域に息づく先人たちの「声」を私たちに届けてくれる,時空を超えた旅であった。変化の激しい社会の中で,手間をかけ,風習を守り伝えることは生易しいことではない。しかし,郷土を大切に思う人びとの気概を胸に刻み,未来の世代へ伝えていきたい,その思いを新たにした1冊である。

(山成亜樹子:神奈川県立図書館)

断片的なものの社会学

岸政彦著 朝日出版社 2015 ¥1,560(税別)
 
 いじめられた,というほどはっきりした体験でなくとも,何となく仲間外れのような感じ,誰ともなじめない気持ちが持続してしまう時期があったことはないだろうか。どうにかそこを生きのびた後で,あの頃の自分や,今それと同じような状況にいる人に送りたくなるような一言――なかなか言語化できなかったそういうようなことを言い当ててくれたようなところが,この本にはあると思う。
 たとえば,「ある人が良いと思っていることが,また別のある人びとにとっては暴力として働いてしまうのはなぜか」(p.111)。それは,それが「個人的に良いもの」ではなく,「一般的に良いもの」という語りになってしまったときに,そこ(一般)に含まれる人と含まれない人の区別を作りだしてしまうから。「子どもを持つのが幸せ」という言説は,さまざまな事情で子どもがいない人をつらい思いに追い込む。けれどもその言説に合致する人にとっては,逆に肯定感が増して生きやすくなったりもする。だからどうだということは,ここでは言われない。ただ,そういう仕組みがあることをわかったほうが,たぶん気が楽になる。
 また,「誰にでも,思わぬところに“外にむかって開いている窓”があるのだ。私の場合は本だった。(中略)彼女にとっては,夜の仕事が外へ開いた窓になった」(p.82-83)。いつもいる場所とは違う世界が“ある”ことを知らなければ,その世界で何かまずいことが起こったときに破たんまでつきすすんでしまいかねない。けれど,世界はそこしかないわけではないよ――と,そのことを知っているだけで,だいぶ違う道が開けることもある,ということが大切なのだと気づかせてくれる。
 いろいろな聞き取りをしてきた社会学者のエッセイである。各章の冒頭に掲げられている写真もいい。

(小野 桂:神奈川県立図書館)

翻訳できない世界のことば

エラ・フランシス・サンダース著 前田まゆみ訳 創元社 2016 ¥1,600(税別)
 
 学校図書館は限られた年齢の子どもたちを対象にサービスを行う図書館。一口に学校図書館と言っても集まってくる生徒が求めるニーズは学校によってさまざまで,収集する本は学校の教育課程の内容により,特徴が変わる。
 私の勤務している高校は,普通科と外国語科の2学科がある女子伝統校。女子校ということもあり,生徒たちはかわいい本が大好きだ。
 先日,本校外国語科の講演会で,翻訳家の金原瑞人さんのお話を聞く機会があった。印象に残ったのが,「I」という一人称も「You」という二人称も,日本語では100通り以上の言い表し方があるけれど,日本語の「私」も「僕」も「俺」も全部,英語に訳すと「I」になるという話だった。
 この本には翻訳できない世界の言葉が52載っている。見開き1ページで単語を紹介し,その単語にぴったりのイラストと解説が添えてある。たとえば,ドイツ語の「Drachenfutter」(ドラッヘンフッター)という単語は,直訳すると『龍のえさ』。夫が悪いふるまいを妻に許してもらうためのプレゼントを表す名詞だそうだ。『龍のえさ』という名詞に,そんな深い意味があるなんて!
 SNSなど情報伝達手段が発達し,世界中の人とのコミュニケーションができるようになった。それでも,言葉の解釈やそこにこめられた感情や要望など,理解のギャップを埋めることは,そう簡単にはできない。この本は言葉を通して人とつながることの意味を考えさせてくれる。
 52の言葉の中には,日本語が四つ入っている。「ボケっと」「ワビサビ」「ツンドク」「木漏れ日」。私は「木漏れ日」の解説が好き。【木々の葉のすきまから射す日の光のことで,まばゆくて目を閉じてしまうほどに美しいもの。緑の葉のあいだをすりぬけた光は,魔法のように心をゆさぶるでしょう。】言葉が響いてくる本だ。

(木下通子:埼玉県立春日部女子高等学校図書館)

ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質 上・下

ナシーム・ニコラス・タレブ著 望月衛訳 ダイヤモンド社 2009 各¥1,800(税別)
 
 大きな地震とともに“想定外”と称された歴史的な事故が日本で起こってから,はや6年がたとうとしている。この6年の月日は被災地に生活の足音と,別の土地にまた新しい災害を無表情に運んできた。規模の大小を問わず,まだ見ぬリスクに対して人々は知識とデータを根拠に予測を試み,未来を想定し,対策を考えている。一度切ってしまった“想定外”というカードを使うことは,もう許してもらえない。
 本書中では,現実的に起こる確率の低い,しかし起こってしまえばとてつもない衝撃を与え,なおかつ想定することが困難な事象を「黒い白鳥」と呼び,いろいろな角度から考えを深めていく。浮き上がってくるテーマは「未知の未知」や「予測の限界」等。私たちが未来の黒い白鳥に対してどう準備すべきかのヒントがあちこちに散りばめられている。ただし,そのヒントはもしかするとわかりづらいかもしれない。地図はあってもナビゲートまではしてくれない。本書においてはそのこと自体にもきちんと意味を持たせている。大災害やテロに限らず,身近なところで私たちの今の環境を大きく変えてしまう事象に,どう向き合っていくのか。拾ったヒントをパズルのように組み合わせていく体験こそが本書の醍醐味である。
 リスクに対する準備というテーマを扱った類書に『最悪のシナリオ 巨大リスクにどこまで備えるのか』(キャス・サンスティーン著 田沢恭子訳 みすず書房 2012)がある。こちらは「1パーセント・ドクトリン」の概念を採用し,主に費用対効果の面からページを進めていくが,2冊を並べることで「ブラック・スワン理論」の輪郭がよりはっきりと浮かび上がる。より多くのヒントを手元に置くために,こちらの本も(少し専門的ではあるが)ぜひお薦めしたい。

(髙橋将人:南相馬市立中央図書館)

本の声を聴け ブックディレクター幅允孝の仕事

高瀬毅著 文藝春秋 2013 ¥1,850(税別)

 書籍の売り上げが落ちる中,インテリアとしての本に注目が集まっている。「ブックディレクター」幅允孝(はば・よしたか)の元には,病院,レストランなどのほか,本の多彩な魅力に引き付けられたさまざまな企業から依頼が殺到する。
 幅は依頼主の意向に耳を傾けながら,本棚づくりの大体のイメージを練る。その際,書店の一般的なジャンル分けや図書館分類とは異なる視点で「セグメント」化を行う。福岡の美容室を例に挙げると,「装い」「スタイル」「食も大事」「子どもたちへ」「すてきな生き方」などである。そして,一見つながりの薄い本を配置する。
 「ベストセラーも,そうでない本もさりげなく“共存している”」(p.70)棚には押し付けがなく,「本好きが往々にして陥りやすい偏った選書ではなく,多くの人がさまざまなテーマに関心を持てるようなポピュラリティーを持った水準で,専門書からコミックまで集め,それぞれの棚で一つの世界観を作っていく」(p.91)。
 こうした棚づくりの根底にあるのは,どんなものでも等価値とみなす考え方である。幅は上から目線を極力排除しようとしているのである。
 棚づくりの発想そのものはこれまでにもあった。1980年代に一世を風靡した池袋リブロの「今泉棚」や,本文中で紹介されている編集工学者松岡正剛の「松丸本舗」もまた,独自の思想に基づく棚づくりだった。
 出来上がった本棚は三者三様だが,共通点が一つある。三人とも大変な読書家だということである。幅は精読する本だけで,年間300冊におよぶという。広範な読書に支えられなければ,多くの人の共感を呼ぶ棚づくりは不可能なのだろう。
 『リブロが本屋であったころ』(論創社 2011),『松丸本舗主義』(青幻舎 2012)と併せ読むことで,いくつもの貴重なヒントが得られるはずだ。

(乙骨敏夫:前埼玉県立熊谷図書館長)
 

研究不正 科学者の捏造,改竄,盗用

黒木登志夫著 中央公論新社(中公新書) 2016 ¥880(税別)

 人は何故,不正に手を染めてしまうのだろう。また,不正が後をたたないのは何故か。
 STAP細胞事件は皆の記憶に新しい。あの事件では遂に自殺者まで出してしまった。自殺した笹井氏は,優秀な研究者で世界にとって貴重な人材だった。
 この本は研究不正に関する古典的名著『背信の科学者たち』(ウィリアム・ブロード他著 講談社 2014)を受け継ぐ形で書かれた。研究不正について42もの事例を挙げ,不正が何故起こるのかを不正をする人の心理まで掘り下げ,また不正の結果の虚しさを訴え,不正を無くすためにはどうすれば良いかが書かれている。
 著者自身が研究者として身近に見ている事例が多いだけに,その訴えは切実である。
 本文中,夏目漱石の『虞美人草』から引用している「嘘は河豚汁である。その場限りで祟りがなければこれほど旨いものはない。しかし中毒たが最後,苦しい血も吐かねばならぬ。」という一文は,研究不正の実態や,その結果どんな結末が待ち受けているのかをよく言い表している。
 また,不正が発生する一因として,研究資金の不足も言われている。
 国立大学や研究機関の法人化で,運営費は著しく減額されている。研究しようと思えば,外部資金獲得競争に勝たなければならず,そこに研究不正が生まれる素地ができてくる。さらに,資金を獲得できたとしても,直ちに見える成果を出さなければ,途中で打ち切られるかもしれず,こういった社会的背景も不正を増やす要因となっている。
 よく公共図書館員は文系が多く,科学が苦手と言われるが,もっと科学と向き合うべきである。誤った情報に気づかずにいるのは,司書として恥ずべきことである。もしかすると,捏造された情報が堂々と書架に並んでいるかもしれないのだから。

(砂生絵里奈:鶴ヶ島市教育委員会)

カラスと京都

松原始著 植木ななせ・松原始イラスト 旅するミシン店 2016 ¥1,500(税別)
 
 多くの研究者が,どのように学問の道を選んできたのかを,我々は知らない。ノーベル賞受賞者の若き日のエピソードが報道されることはあるが,それは等身大のものとは受け取りにくい。
 本書は,カラスの研究者として知られる松原始氏が京都大学(おもに学部)で過ごした日々を記したものである。松原氏の著書『カラスの教科書』(雷鳥社 2013)や『カラスの補習授業』(同 2015)を読んだ方はわかると思うが,遊び心を交えた文章を書ける方なので,あまり難しく考えずに手にとってかまわない。
 おもな内容は,授業とフィールドワーク,部活(野生生物研究会),カラスの観察,菓子パン程度の食生活と酒などである。色恋はまったく触れられていないが,カラスとの出会いと,その後の片想い(両想い?)は記されている。学部生の時期なので研究の成果は本書の範疇ではない。「途中下車の旅 鹿児島→山口」という紀行文も私は好きだが,あくまでフィールドワークの復路である。
 ほかにも,京都大学のキャンパス,出町柳,下鴨神社周辺に限定した観光客には役に立たない京都情報も得られる。下鴨神社の境内で,カラスの写真を楽しそうに撮っている観光客がいたら「松原先生の本を読まれたのですか」と声をかけても笑ってくれる可能性は七割くらいありそうだ。ただし,人見知りの方も多い気がするので,そそくさと逃げられるかもしれない。
 本書のあとがきで松原氏は「そして,何よりも大学でよく見かけた学者という生き物の姿が,大学で得た一番大きな経験だと思うのだ。」と記しているが,その学者がどうやって生まれていくのかというひとつのケースを,本書を通して知ることができる。大学の4年間を本にまとめられたのは,密度の濃い時間を過ごせたからであろう。その4年間をうらやましく,すこしまぶしく感じながら読み終えた。

(高田高史:神奈川県立川崎図書館)

認知症になった私が伝えたいこと

佐藤雅彦著 大月出版 2014 ¥1,600(税別)
 
 認知症に対する認識を改めた一冊である。
 著者が認知症の当事者であるが故,文章の一文字ごとに重みを感じる。今までいつもと変わりない日常生活の中,ある時に小さな異変に気付き検査。51歳で認知症と診断され,仕事は退職することとなる。自分で認知症について調べたが,知れば知るほど生きることに失望を感じるようになる。
 さらに,若年性認知症に対する偏った情報,誤った見方は一般市民と当事者本人が信じてしまうという二重の偏見が生まれてしまうことを知る。人間の価値を「できること」・「できないこと」により語るべきではなく,一人の人間として生きることの判断を自ら意思決定するのだと強く文中に表されている。
 認知症でも自分らしく生活する術のさまざまな工夫を丁寧に説明している。個性を大切にし,人からの支援や機械を駆使しながら,家から外へ出てできるボランティアなどを行う。そこで世の中に役立つことが自分の自信と生きがいを感じると説いている。また,認知症の偏見をなくすため,著者が講演を行い社会へその声を届け,後に行政へ認知症施策について提案する団体を設立し活動を始めるのである。しかし世間からは「認知症らしくない」や「売名行為はやめなさい」とまで言われた。一生懸命生きようとするが一部では冷ややかな視線を浴びる場面もあった。
 最後の章では著者から私たちへのメッセージが綴られている。その中で「認知症になっても幸せに暮らせる社会を一緒に作っていこうではありませんか。」という一文に心が揺さぶられた。さらに「何もできなくても,尊い存在なのです。」というメッセージには当事者の想いがすべて込められていると感じた。
 認知症の理解を深める際に,当事者の声に勝るものはないことがわかった。

(舟田 彰:川崎市立宮前図書館)

日本の森列伝 自然と人が織りなす物語

米倉久邦著 山と溪谷社 2015 ¥880(税別)

 都会に暮らしているとつい忘れがちになるのだが,「日本の国土は約7割が森林に覆われている」(まえがき)と改めて聞くと「そうだったな」という思いがわく。日本の森林は,北海道の亜寒帯から始まり,冷温帯から暖温帯,そして沖縄は亜熱帯と南北約3,000kmにも連なっている。これによる気候の違いは生育する森林の違いを生み出し,多様な個性あふれる森林を育んでいる。
 そうした森林の中から,「列伝」のタイトル通り北海道北限のブナの森,山形県庄内海岸防砂林,滋賀県比叡山延暦寺の森,沖縄西表島マングローブの森等々と12か所の森林を訪ね,紹介するルポルタージュとなっている。著者は,現在森林インストラクター。そしてフリージャーナリストでもある。森林を訪ねるときの重要な視点として,人と森林との関わりをあげたところにも,この本の大きな特徴がある。
 ジャーナリストの眼を持って森林を歩き,森林に関わった人の話を丁寧に聞き,これまでの歴史的な経緯をも丹念に調べて,読者に考える材料を提供している。例えば,南限とされているトウヒ(北海道のエゾマツとほぼ同じ種)の森が枯れ,白骨林状態になってしまっていることをどうすれば良いかという問題がある。紀伊半島大台ケ原の森林のことだ。ここでは,自然保護団体と環境省との間に,自然観について意見の違いが出ている。著者はこう書いている。「人がどこまで,自然に関与し管理するべきなのか。根本の課題に対する“解”は,これから大台ケ原がたどる歴史がだしてくれるかもしれない。」(p.330)あくまで,読者に考える材料を提供し,一緒に考えようという姿勢を崩さずにいる点に敬意を表したい。
 「ヤマケイ新書」として気軽に手にすることができるが,読み進むうちに重い内容を含んでいることに気づく。日本の森林の今を知ることのできる好著である。

(大塚敏高:元神奈川県立図書館)
 

ブライアン・ウィルソン&ザ・ビーチ・ボーイズ

ポール・ウィリアムズ著 五十嵐正訳 シンコーミュージック 2016 ¥2,300(税別)

 ザ・ビーチ・ボーイズの芸術的成功の頂点とされるアルバムは『ペット・サウンズ』である。それまでの彼らの作品に比べ内省的で,革新的だったそのアルバムは(少なくとも発売当時としては)決して商業的に大成功したとは言えないが,ロックの歴史に彼らの名前を刻むことになった。
 その名盤『ペット・サウンズ』の次に来るべきアルバムが『スマイル』だった。本書はザ・ビーチ・ボーイズの作品としては未完となった『スマイル』がいかにして失われ,そして違う形で再び光を浴びたかを,約40年にわたって追い続けたロック評論家の物語である。
 幻の傑作の断片に出会った評論家は,その断片の周りを回り続け,併走し続ける。その振る舞いを読み進むうちに読者は,ビーチ・ボーイズの中心人物であるブライアン・ウィルソンという人間とともに,著者のポール・ウィリアムズに関心を向け始める。いったいこの男はなぜこんなに『スマイル』にこだわり続けるのか,と。そしてその疑問は次の疑問へと連なる。それほどまでにこの男を執着させる『スマイル』とはどんな著作物だったのか,と。
 著作物が生み出され,受け手に届くまでの流れの中に評論家の仕事はある。図書館員の仕事(の一部)も同様である。生成から評価まで,時として想像を絶する時間を必要とするその流れの中で,どうしたら本当に著作物を「届ける」ことができるのか。
 「ザ・ビーチ・ボーイズについての本はありますか」と問われたら,検索して手渡すことは容易である。ただその本を本当に必要とする人に「届ける」ためには,どれだけの知恵と工夫,そして情熱(もしかしたら執念)が必要になるのだろう,と考えさせられてしまう一冊である。

(大林正智:田原市図書館)

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