第4回被災地訪問ボランティアレポート 永井里子 第4回被災地訪問ボランティアレポート 伊藤俊子 第3回被災地訪問ボランティアレポート 衛藤廣隆 第2回被災地訪問ボランティアレポート 綿貫明日香 宮城県を中心とした被災図書館の状況 (日本図書館協会施設委員会) 第1回被災地訪問ボランティアレポート 椎原綾子 被災状況と支援のためのインタビュー 西野一夫(日本図書館協会常務理事) 修復家の視点 被災地レポート 秦 博志(修復家) |
第4回被災地訪問ボランティアレポート永井里子(静岡県島田市立金谷図書館)今回は、第一次(4〜5月期)最後の支援活動である。5月26日(木) 10:30に日本図書館協会を出発。ほとんどのメンバーが初対面であるため、車内では自己紹介や雑談をしながら目的地気仙沼を目指す。被災地が近づくにつれ、車外の光景にただただ言葉を失い、皆が無口になっていく。TV画面の枠の中だけで見ていた景色が見渡す限り広がっており、ことの深刻さを改めて認識する。 19:00民宿到着。翌日のチームごとにお話し会の打ち合わせ。芸達者がたくさんいらして、とても刺激になる。
5月27日(金) 6:00起床。夜中や明け方には未だに何度もの地震。 気仙沼図書館で寄贈本の詰込作業を行った後、8:40のフェリーに乗り、大島を目指す。 大島着後、合流してくださった『宮城親子読書をすすめる会』『仙台市民図書館グループ』の皆さんと共に、お話し会に向かう。崎浜保育所、くぐなり保育所の2会場に分かれる。 10:00過ぎ、大島小学校に集合。地震から2ヶ月間、地域の方々の心身のケアに当たられていた医療チームの皆さんの解団式の後、本の贈呈式をしていただく。 式後は、各学年に分かれ、教室でお話し会を行う。子ども達は、とても純朴で優しい笑顔を私達に向けてくれる。港で見た瓦礫の中に、上靴や教科書、絵本などがあった事を思い出す。こんなにも辛く悲しい状況なのに、穏やかに笑ってみせてくれる子どもたちの姿に胸をえぐられる想いになる。 大島中学校へ本を寄贈した後、大島公民館内にある図書館へ。木製の書架は棚が外れ、本はすべて床に散乱してしまったそうだ。 大島開発総合センターの避難所に向かうが、天気の良い日中であったため外出されている方が多く、お話し会はせずに戻る。 5月28日(土) 雨の中、本吉図書館に向かう。全部で10人の子がお話し会に参加。内容は、絵本のよみきかせ、パネルシアター、手袋人形、語り等。
午後は、仙扇寺の避難所にてお話し会。絵本・大型絵本のよみきかせ、紙芝居、パネルシアター、折り紙、牛乳パックのサイコロ作り等を行う。お手玉は、大人の方にも大好評。子ども達が『こどもカフェ』を開いてくれ、飲み物、お菓子を振舞ってくれる。ボランティアに来たのに、こちらがお世話になってしまい、申し訳ない気持ちになる。 「船を作って!」とピンクの折り紙を持ってきた幼い男の子が一人。にそう船を作ってあげると、その前に作ってあげたトトロとハートとかざぐるま(全部ピンク色)を船に貼り付け、雨降る庭に飛び出していく。「水に浮かべる。」と言って…。心配になり様子を見に行く。濡れた折り紙の船を握りしめ、黙って戻ってくる彼に掛けてあげる言葉を私は見つけられない。「かぜひいちゃうから中に入ろうね。」と背中をさするのが精一杯。 その後は、清涼院の避難所へ。 5月29日(日) 気仙沼市を出発。登米市、仙台市、名取市を通り、5月28日にオープンしたばかりの岩沼市民図書館を訪問。 台風の影響で外は大雨。被災地への影響を心配しつつ帰路に着く。 普段やっているよみきかせをやらせていただいただけなのに、「ボランティアに行ってきた。」などと公言してよいのだろうか。このままでいていいのだろうか。帰宅後もずっとそんなことを考えている。これからも被災地のことを決して忘れずにいたい。そして、今後どのような関わりをしていくことができるかを自分なりに模索していきたい。 第4回被災地訪問ボランティアレポート伊藤俊子(みやぎ親子読書をすすめる会)今回のお誘いがあった時、朝8時過ぎに気仙沼まで行くことができるかと躊躇したが、何度か訪れたことのある風光明美な大島が、この震災でどうなったのか、子どもたちはどうしているのか確かめたい、せっかくのお誘いも大事にしたいねと話し合い参加することにした。(同行の川端さんは、子育て時の10年間ぐらい毎年民宿に泊まり海水浴を楽しんだ所だ)明け方の午前5時すぎ、遠出の運転は慣れている佐々木さんの車で出発した。一関経由で気仙沼港に8時前に到着し、初めてお会いする日本図書館協会の方たちと合流、運航が再開されたフェリーに乗り込んだ。
気仙沼市内に入って見た光景、港の家々、そして船から見える海岸の建物、木々などは、写真で見て想像していた以上の悲惨な情景だった。そんな風景に驚きながら約20分、大島浦の浜港に着いて目に飛び込んできたのは瓦礫の山、お店が並び賑わっていた面影はどこにもなく、ただ土台だけが見える広場の船着き場に化していた。大きな観光船が2隻、繋がれていた岸壁と共に10m位移動して乗り上げていたのには驚いた。津波の恐ろしさを改めて思い知らされた。 みやぎ親子読書をすすめる会の4人と協会から参加の小林さんとで大島内陸部の崎浜保育所に向かった。保育所の子どもたちはとても元気だった。おはなし、絵本、紙芝居、パネルシアター、てぶくろ人形などのプログラムに声をあげて楽しんでくれた。終了後、段ボール1箱の絵本を手渡した。子どもたちは満面の笑顔で「タッチ!」「タッチ!」と手をふれて別れを惜しんでくれた。しかしこの津波で保育所の子ども1人が自宅に帰った後亡くなったとのこと、幼い命を失った職員の悲しみが胸をつく。
ゆっくりさよならする時間もなく、大島小学校に向かった。2ケ月余り滞在した医療チームの方々とのお別れ会があり、その後日本図書館協会からの絵本の贈呈式が行われた。続いて、各学年に分かれてのお話し会が30分。私たちの担当は5・6年生、おはなし、絵本、紙芝居、手あそびなどを届けた。保育所とは違い、とてもおとなしい雰囲気であったが、物語の世界などを楽しんでもらえたのではないだろうか。小さな小鳥の指人形で展開するからくりは、「指を変えているんだ!」などの声も聞かれ面白がってもらえたようだ。実際に使ってもらえると思い、おみやげに置いてきたので、今ごろ5〜6年生はみんなでやって楽しんでいるかな。校長先生が、以前仙台で勤務したことがあり、同行の竹丸さんと顔見知りだったので、これを機にまたぜひという話もあり、ご縁ができたように思う。 気仙沼にもどり、図書館を訪問。教育長がおいでだったのでお話を伺う。開館はしているが貸し出しがまだできない状況だった。県内の図書館員3人も同行していたので、いろいろ話し合っていたようだ。 解散後、津波の後に火災が起きた最もひどい状況という鹿折地区に行ってみた。一面赤黒く焼けた鉄骨の建物や瓦礫が広がっているすさまじい光景に動揺する。何度か訪れた鹿折児童館があったところをナビの地図で探し出したが、跡かたもなかった。そこへ5歳位の女の子と若い母親がやってきた。自宅跡に子どもの記念の物が何かないか探しに来たそうな。火災は、震災直後に起き2日間燃え続けたと言う。高台に避難して家族7人は全員無事だったそうだがかける言葉もない。手持ちの絵本と小鳥人形を女の子に渡した。 今回参加して、全国各地から何回もお出で下さり、図書の寄贈やお話し会の実施など、協会の方々の心温かいご支援を知ることができ、ご一緒できたことをうれしく思った。そして、再起への長い道のり、私たちにできることを積み重ねようと確認する機会となった。 美しい大島に復興し、みなさんにまたお出でいただき、ロープウエイで亀山山頂から太平洋を眺め、おいしい海の幸を堪能していただける日が訪れるのは、何年先になるのだろうか。 第3回被災地訪問ボランティアレポート衛藤廣隆(よみもの屋)5月19日(木曜日)贈呈用図書900冊、大型本、紙芝居等お話会用の器材をワンボックスカー2台に積載。10時40分、日本図書館協会を出発。サービスエリアでの昼食・休憩をはさみ18時に一関で夕食。その後、タイヤトラブルが発生し、1台は文部科学省よりの2名を迎えるために気仙沼駅に向い、1台は修理のために残る。21時には全員が宿泊予定の民宿に揃った。震災地図書館への支援状況、翌日の行動予定が説明された。その後、お話会担当者7名は具体的な打ち合わせと練習を行った。 5月20日(金曜日) 6時30分起床。9時10分鹿折小学校到着。学校側より被災状況の説明。学習室に担当教員、5・6年生、支援隊が参集し、児童向け科学書の贈呈式。終了後、同じ部屋で1、3、2年生の順にお話会。生徒たちは笑顔が多かった。 午後より松岩小学校を訪問。1階の一部が避難所になっている。被害状況の説明を受けた後、児童向け科学書を贈呈。1年生3クラス、2年生2クラスの各教室に分かれお話会。担任が一緒に参加される教室も多く、笑い声が上がっていた。
その後、気仙沼市教育委員会を訪問、文部科学省塩見課長および平川課長補佐とともに白幡教育長と社会教育関係の復興支援について意見交換。教育長より図書館復興への理解ある発言を頂き、意を強くした。その後、気仙沼市立図書館訪問。自動車文庫を中心に協議後、被災状況を見学。増築との接続部分に破損が多い感じがした。 夕食後、翌日訪問する避難所の状況説明、注意事項の伝達。翌日のお話会の準備。 5月21日(土曜日) 6時30分起床。9時気仙沼市総合体育館到着。同体育館は大規模な避難所で、多くの被災者が体育館アリーナで生活。ダンボール等で仕切りされていたが想像以上の密集であった。医療施設が機能しており、炊き出しやボランティアによる演奏等もあった。一室を提供頂き、10時より30分間、コーナー別に、風車作り、お手玉、じゃんけんさいころ作り、大型本による読み聞かせなどを行った。盛況。特にお手玉の人気が高齢者児童共に高く、用意したすべてを提供した。お手玉入れの巾着袋や自分が写った写真が欲しいとの要望に対応予定。L字型書架設置、図書30冊寄贈後、鹿折小学校へ移動。4年生に図書を贈呈した。 午後より、松岩公民館避難所を訪問。総合体育館避難所より密集度が高く、2卓のテーブルで風車作りとエプロンシアターを行った。楽しそうに風車を作る女児、孫の為に作り方を習いたいという被災者等がおられた。それなりの成果はあったが、お話会は避難所の情況に左右されることを理解した。この後、文部科学省2名は帰京された。活動の大半に参加、随所で社会教育復興への施策なども説明いただきありがたかった。
その後、南三陸町へ。図書館は跡形もなく、地盤沈下の為海になっていた。瓦礫の中に鉄製書架の棚板などを発見。近くのガソリンスタンド(ドラム缶から手動で給油)の方が図書館の再建について利用者として関心をもたれていた。瓦礫が続く海沿いを宿舎に戻る。夕食後、まとめのミーティング。リーダーから、Help Toshokan活動は長期にわたって続けなければいけないこと、6月以降の活動については今後検討することが説明された。参加者からは今回の感想、今後へ向けての提案。お話会を担当した7名は、それぞれ利用した図書等を記録することとした。Help Toshokanの情報を整理した私的サイトも検討。 善意の申し入れが断りにくいだけに、学校への支援は授業スケジュール、教員の負担への十分な配慮が必要である、と感じた。調整を行ってくれている気仙沼市立図書館の存在は貴重である。 5月22日(日曜日) 雨の気仙沼市を出発し、仙台市泉図書館を訪問。被害状況の説明を受けた。利用者が館内に立ち入りができないために固定した自動車文庫を利用。設営されたテントを使って利用者対応。その後、高速道路を南下し、昼食を挟んで蓮田SAで解散した。 第2回被災地訪問ボランティアレポート綿貫明日香(城陽市立図書館)第2回図書館支援隊は、第1回支援隊の活動報告等から学び、その経験を活かす形で支援に取り組んだ。5月12日(木) 10:30、日図協を出発。所々波打つ東北自動車道を北上し、19:30気仙沼到着。 宿泊先の民宿へ入り、メンバー全員の顔合わせを済ませ、翌日のお話し会及び翌々日の上映会について、打ち合わせを行う。 お話し会の演目は、各自が持ち寄った絵本・紙芝居・手遊び等を組み合わせて決定した。 打ち合わせの最中や就寝中にも大小の余震があり、被災地ではまだまだ余震が続いていることを実感する。 5月13日(金) 6:30起床、7:00朝食。8:00頃に民宿を出発、気仙沼図書館到着後、配本用資料を整理。 その後、気仙沼小学校へ移動し、南気仙沼小学校1〜4年生の児童が通う各教室でお話し会を行った。南気仙沼小学校は校舎が被災して使えなくなったため、気仙沼小学校の空き教室を使用している。 昼食をはさみ、浦島小学校へ移動。 浦島小学校は全校児童数が13名(2〜6年生。1年生は0名)のため、全児童が対象のお話し会を1回行った。 上記2校でのお話し会は、教職員の方々のご協力もあり、終始良い雰囲気で進めることができた。 先生のお1人は、「子どもたちがこんなに集中して聴くとは思わなかった。みんな、楽しいことに飢えていたのだと思う」と おっしゃっていた。2校とも、贈呈式でプレゼントした本を、子どもたちが喜んで手に取っていたことが印象的であった。
お話し会終了後、壊滅した陸前高田市立図書館周辺を訪ねたが、ここで防塵対応マスクの必要性を痛感した。強風のたびに、有毒物質を含む粉塵が吹きつけてくる。津波被害の跡地では、マスクは必須である。 5月14日(土) 午前中は、避難所の一つである小原木中学校体育館で上映会を行った。参加された方々の反応は上々だったが、避難所の昼食との兼ね合いで、上映を途中で切り上げなければならなかったことは残念だった。 午後は、こちらも避難所となっている新月中学校体育館での上映会。鑑賞中、参加者から笑い声が起こることもあり、好評のうちに終えることができた。また、上映の合間の休憩時間を利用して、年配の方も楽しめる読み語りや体操・手遊びを行うのは有効だと分かった。参加者数は、どちらの避難所でも20名程度であった。 5月15日(日) 気仙沼を出発し、途中、登米市立迫図書館と宮城県立図書館に立ち寄り、被災状況等を伺ってから帰京の途についた。 《お話し会で使用した絵本など》 絵本…「ちゃんとたべなさい」、「いいからいいから」、「きょだいなきょだいな」 他 大型絵本…「めっきらもっきらどおんどん」、「どうぞのいす」、「だるまさんが」 他 紙芝居…「くちのあかないカバ ヒポポくん」、「あなからみえるよ」、「三人きょうだい」 他 手遊び…「たけのこ芽出した」、「ワニの家族」、「あじのひらき」 他 ストーリーテリング…あなのはなし 他 その他…手品、紙コプター 等 宮城県を中心とした被災図書館の状況日本図書館協会施設委員会21日から行なわれた「東日本災害被災地支援(Help-Toshokan)」に施設委員会から4名の委員が参加し、本隊とは別に宮城県の図書館を中心に被災状況を見てきました。陸前高田市立図書館は、地震と津波によって壊滅的状態で職員の方は全員行方不明または亡くなっています。南三陸町図書館は跡形もなく、館長さんが亡くなられたとのこと、両図書館とも言葉もなく呆然とするばかりでした。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。 未曾有の災害に遭い、厳しい状況を強いられている図書館を訪れたわけですが、それぞれの図書館が余震の恐怖を抱えながら、避難民への対応や市民に対する情報提供、あるいは復興に向けて準備を進めている姿を見ることができ、改めて日本図書館協会としてできることを支援していく必要があると感じました。●4月21日(木) 日本図書館協会を出発。気仙沼市内の曹洞宗の寺院(清涼院)で活動しているシャンテー国際ボランティア会(SVA)に午後9時過ぎに到着、仮眠。 ●4月22日(金) 気仙沼市気仙沼図書館→陸前高田市図書館(陸前高田市自体、瓦礫の原で壊滅状態。図書館の場所に行き、博物館の資料整理をしていた職員の方に図書館の状況を聞くと、職員全員が津波により行方不明または死亡とのこと、言葉にならず。図書館の建物は残るが、中は崩壊状態。BMも大破。ものすごい状況であった→大船渡市立図書館(「リアスホール」内にあり、避難所になっている。書架等は無事。職員は避難民のケアにあたっている)→気仙沼市内の被災状況(こちらも津波と火事で瓦礫の原、その中に巨大な船が陸に取り残されている)
●4月23日(土)
気仙沼市本吉図書館(避難所となっている。細かな被害はあるが無事)→南三陸町図書館(図書館があった場所までは規制によって入れなかったが、図書館自体跡形もなし。館長さんが亡くなられたとのこと。悲惨な状況、言葉もない)→石巻市図書館(避難所となっており、自衛隊による入浴サービスの提供場所ともなっている。高台にあり津波の被害はなし。地震により相当数の資料が落下。臨時職員の方が行方不明とのこと)→東松島市図書館(3月11日の地震で大部分の本が落下、それを書架に戻したが、4月7日の余震で再度落下。また多くの本が貸し出されているが、市域の65%が浸水しているので相当数被災している可能性が大。入口にはラックに入った資料が積まれている。この資料は学校に配本する資料だが、津波によって小学校が無くなり行き場を失っていた)→宮城県図書館(日本図書館協会としてご挨拶に伺い、今回の支援活動に理解を求める。大部分の資料が落下、施設としては大きな被害なし)→仙台メディアテーク(7階は天井の落下等被害甚大。図書館では、大部分の本が落下、一部のガラスが割れる。横に長い3段のロッカーが横転) ●4月24日(日) 名取市図書館(昭和30年代の建築物、大部分の本が落下。古いスチールの書架で、斜めに傾いたり、倒れたり、壁面が落ちるなど、相当の被害あり)→仙台市泉図書館(建物はコンクリート・外壁タイル・ガラス等が破損、復旧には時間を要す。大部分の本が落下、戻した後7日の余震で再度落下)→東京へ 施設委員の一人として参加した柳瀬寛夫氏は次のようにコメントしています。「津波は水害である前に圧倒的な破壊であり、しかも風や雨に影響される火災と違って、わずかな低地や起伏も見逃さない冷徹な科学現象‥、それを実感しました。あまりの悲惨さに言葉がありませんでしたが、「想定外」だったのは自然の猛烈なエネルギーであって、被害の大方の現象やその原因は、震災も含め科学的に説明できると思われました。次に備えるためにも、今後、様々な機関が発表する分析や見解に注目していきたいと思います。」 第1回被災地訪問ボランティアレポート椎原綾子(目黒区立八雲中央図書館)4月21日朝10時に日本図書館協会に集合、打ち合わせを行う。メンバーと顔合わせをするのは今日が初めてである。 今回の訪問は配本と読み聞かせを行ったが、読み聞かせについては立川市立上砂図書館の浜地さんと私が担当した。浜地さんとは同じ車なので、移動の車中で明日、明後日のお話し会のプランを立てる。浜地さんは絵本と大型絵本を、私はパネルシアターを持ってきたので、これらの資料と手遊びを含めたプランを立てた。夜の8時半頃今回の活動の拠点となる清涼院の裏手に到着。ここを中心にシャンティ国際ボランティア(SVA)が活動しており、そこをお借りして今回の日本図書館協会の活動を行った。 幸いにも4月20日から電気が通ったのだが、水道は6月頃まで復旧しそうもないとのことである。 4月22日は朝8時半過ぎに気仙沼図書館にて場所を借り、日図協から持ってきた資料の仕分けをした。その後午前中に葦の芽幼稚園に配本とお話し会を、午後からは愛耕幼稚園と九条幼稚園に配本を行った。愛耕幼稚園と九条幼稚園でのお話し会はSVA相談役の佐藤涼子さんと盛岡のうすゆきそう文庫の方が行った。 4月23日は午前はまず若草幼稚園に配本とお話し会、その後小原木中学校避難所でお話し会、午後は気仙沼図書館でお話し会を行った。避難所でのお話し会は、避難者の方の生活の場である体育館の一角で行った。昼食前の11時半から12時までということもあり、あまり落ち着いておはなしを聞ける環境ではなかったが、子どもが5人ほど参加してくれた。
午後は気仙沼図書館でお話し会と図書館の方と今後の予定について打ち合わせを行った。気仙沼図書館では児童室は震災の被害のため立ち入ることができず、一般書架の一角に児童コーナーを設けている。お話し会を開催した4月23日は雨だったこともあり来館者も少なかった。果たしてどれだけの子どもが来館しているだろうと思ったが、お話し会には3人参加してくれた。 気仙沼図書館の入り口近くには情報掲示板として、今回の震災関係の情報が掲示されている。内容は、市からのお知らせ、金融、交通、ライフライン、教育、医療、亡くなられた方々の名簿、等々である。2階は地震のため使うことができず、新着雑誌の入荷も難しく、職員自身も被災しているなか、情報提供に工夫されている様子が見て取れた。
被災状況と支援のためのインタビュー西野一夫(日本図書館協会常務理事)4月7日〜9日気仙沼を中心に宮城県の図書館を太平洋右岸沿いに状況視察と、 支援(HELP-TOSHOKAN(被災地読書支援隊))のためのインタビューに行ってまいりました。1)第1日 午前10時半過ぎ日本図書館協会を出発。午後8時頃気仙沼到着。就寝した直後に大余震があり、直後に停電し、水も出なくなりました。 2)第2日 ![]() 私たちからの図書館への申し入れは、以下のとおりです。 ・4月ー5月の第1次支援活動を気仙沼を中心に行いたい。 ・図書館協会の保有する3000冊の児童書を、図書館側の指示に基づき近隣域内 の各所に配本し、出来れば読み聞かせや映写会なども行いたい。 ・週末の金曜日と土曜日の2日1クールとし、計4回(のべ8日)の巡回活動を考 えている。 ・運搬手段、人の確保など活動のための費用は、図書館協会で負担したい。 ・自動車文庫も必要とあらば、廃車まちの状況でよければ無償提供できるよう、 手続きを取りたい。 気仙沼図書館側は、館長、副館長、分館長、司書職員が対応していただき、私 たちの申し出を、積極的に受け止めたいとのご回答をいただいた。自動車図書 館については、一度水をかぶっているものの、今後も使用可能かどうかをまず 判定してから回答したい。 その後、以下のような要望をいただいた。 ・児童書3000冊の利用に当たって、全面フィルムコーティングを必須と考え(感 染症対策)、そのための用品などの確保をしてほしい。また、配本する際のカ ラーボックスを確保してほしい。 ![]() 3)第3日 ![]() 松島町には図書館がないようだが、まち全体ががそれほど甚大な被害を受けて いないようであった。東松島市は、海岸と川沿いに津波が押し寄せ、被災者が 図書館に隣接するコミュニティーセンターに避難して、その対応におわれなが らも開館に向け整理を進めていたところ、7日夜中の余震で半分以上の資料が落 下し、書棚、天井も一部破損。開館までの道のりが遠のいてしまった。ここで は、以下のような要望をいただいた。 ・開館に向け、空気清浄機や除菌ボックスを貸与してほしい ・開館後も職員の代わりとなって、閲覧、貸出業などのできる手伝いがほしい 石巻市立図書館は高台にあり被害は特にないが、図書館が館内外とも避難所に なっており、開館までの日程は不明の状況。 塩竈市民図書館は、図書館がある建物が2メーター弱の津波に襲われ、1Fのテナ ントに相当の被害が出た。図書館は3,4Fで無事。開館は、1Fの回復待ち。 仙台メディアテークは閉館してはいるものの、外壁のガラスなどは遠目からは 特に破損がみられなかった。 修復家の視点 被災地レポート秦 博志今回、4月4日に現地入り8日まで登記簿の調査に向かう専門家に同行して岩手県を中心に被災地を回った。花巻空港から盛岡のホテルに向かったが町は普通に機能していて、ニュースで見る風景との違いに違和感を覚えた。車で気仙沼に向かう。被災地に向かう道も問題なく、ガソリン不足などの問題もすでに解消されていた。被災地に近づくにつれ救援関係の民間あるいは自衛隊の車が目立つようになり、いよいよ町に入ると突然壊滅状態の町が現れた。瓦礫の山で通りにくい道もあり多少渋滞する箇所もあったが、復興に向けての活気と見れば頼もしい限りであった。瓦礫しか残っていない町並みの道端には救い出されたアルバムや位牌、手紙などが所々にまとめて置かれている様子が目に付いた。気仙沼から石巻に海岸線を南下する。途中、迂回路や架設の橋など不便なところはあるが海岸線の通行止めも急ピッチで復興が進んでいた。 ガードレール脇にはやはりアルバムなど持ち主の分からないものが積み上げられていたが周りに人気はなく、風で飛ばされ散乱していく書類などを見た。仙台ではデジタルレスキューの事務所を訪問した。震災の二日目には仙台入りされたそうだ。初期の段階では海水や泥をかぶったハードディスクなども8割程度の救出率だったが、3週間を過ぎた時点では2割以下まで落ちてしまうそうだ。24時間体制で必死の救出が続いているがこういう基地が他にはあまりない。人命救助を優先したこともあるだろが、海水をかぶった時点であきらめてしまった事例も多いだろう。被災状況によってはまだ救えるものもあるかもしれないし救う手段があるということを知ってほしい。 翌日、山田町へ向かう。県立山田病院でカルテや図書の被災状況を視察。副院長の案内で山田町役場、町内、大槌町を見て回る。 平泉副院長のお話 「津波被害は怪我人がほとんど出ない。元気で逃げられた人だけが助かり、そうでない人はみんな流された。悲しいけれど残った人のために何が出来るか考えたい。どんどん現地に来てほしい。山田は多くの人が行き来して活気があるが、隣の大槌は壊滅状態で人気がない。さびしい。」 地域によって違いはあるだろうが、また意見も分かれるところかも知れないが、人が集まればそれだけで希望が生まれる。 ![]() 瓦礫の中から助け出される漂流物は公私を問わず、住民にわずかに残った財産であり、復興の土台になるものである。 これらを体系的に整理し再び持ち主の元に返すためには現状のようなボランティアだけの活動では追いつかない。各分野の修復専門家、歴史研究者、図書館関係者、役場職員などが協力してボランティア団体とともに活動できる体制が望まれる。 |