内野安彦「ホーナー交流基金 司書の海外研修報告」



◆ホーナー交流基金研修の概要

 2004年12月6日から28日までの約3週間,ホーナー交流基金の海外研修生として,アリゾナ州の図書館で研修してきました。この研修は,アリゾナ州図書館協会と日本図書館協会が相互に図書館員を派遣することにより,日米の相互理解を深めていくことを目的に行われているものです。研修費用として5,000ドル,事前の語学研修費用として2,000ドルが上限として支給され,研修施設,滞在都市などの研修内容は,事前に英文でのEメールのやりとりをしながら準備を進めました。

◆アリゾナ州の概要

 アリゾナ州は,日本の本州と北海道を合わせたよりも少し小さいくらいの面積で,西はカリフォルニア州,南はメキシコと国境を接し,その温暖な土地柄から,避寒地としても有名な州のひとつで,私が滞在した州の南部は,日中は半袖で過ごせるほど快適な気候でした。州都はフェニックスで,人口は130万人を超す全米屈指の大都市。州内は大小さまざまなサボテンと,グランドキャニオンに代表される壮大な岩山が広がり,映画で観る西部劇そのものの風景でした。

◆広大な州内を南北に移動

 12月6日,ロスを経由し最初の滞在地であるツーソン(アリゾナ州第2の都市)から研修は始まりました。ツーソンには6日間,ホテルに滞在し,アリゾナ大学の図書館員(今回の研修のチェアマン)などの案内でツーソン市内および近郊の地方都市を巡り,高等学校図書館,大学図書館と,5館の大小さまざまな規模の公共図書館を見学しました。ツーソン郊外の分館では,一日自由に見学が許され,利用者の方やボランティアの方と話をしたりしてゆったりと過ごしました。なお,ここでは,毎日,午後4時までは民間の警備員が巡回,4時以降は警察官が巡回するとのことでした。

  

 ツーソン中央図書館閲覧室  ツーソン中央図書館児童室
(書棚の上はクリスマスの飾付けです)
  ベンソン市立図書館
(ジグソーパズルの蔵書がありました)


 ツーソンの次はフェニックスへ北上。フェニックスにはホテルを中心に6泊し,そのうち2日はアリゾナ州立大学の図書館に勤務する日本人宅と,フェニックス市立中央図書館に勤務する図書館員宅にホームステイさせてもらいました。星の降る夜空を見上げながら屋外のジャグジー風呂を楽しむなど,アメリカンライフも満喫しました。

 フェニックスでは,州立大学図書館,市立中央図書館などの公共図書館を2館,博物館などを見学。特に中央図書館は,1995年に完成した近代的な施設のすばらしさはもとより,4,400余のタイトルを数える所蔵雑誌,100台をはるかにしのぐと思われる利用者用のインターネットコンピュータ端末,点字印刷機をはじめとした各種障害者サービス機器の充実,ティーンネイジャー自らがデザインしたというティーンネイジャールームなど,見るものすべてが驚きの連続でした。

 フェニックスからは,ホームステイさせていただいた図書館員と彼女の夫のマイカーで州内をさらに北へ。道中,コットンウッド,ジェロームと,地方の小さな公共図書館に寄り,地方ならでの資料収集方針など,貴重な話を聞かせてもらいました。移動の中継地として,セドナという州内随一の観光地に一泊。絶景のレッドロックも堪能しました。

 そして,歴史街道「ルート66」が走るアリゾナ州の北部に位置するフラッグスタッフへ。人口6万人余のこの町は,開拓時代のアーリーアメリカンのテイストあふれる古都のたたずまい。気候は一転して木枯らしが吹き,山の頂は雪化粧でした。このまちでは,ガイド役をしてくれる図書館員のいない日もあり,地図を片手にタクシーや徒歩で,公共図書館,出版社などを訪ねました。

 フラッグスタッフに4日間滞在した後,再びツーソンへ5時間かけて500kmほど南下。移動は全米を縦横に走るグレイハウンドバスを利用しました。駅舎内にはニューヨーク,ロサンゼルスなどの行き先が表示され,まさに広大な大陸を移動する交通機関であることを痛感しました。

  

 コットンウッド市立図書館閲覧室 フェニックス中央図書館
(膨大な量のマガジンラックです)
  フラッグスタッフ市立図書館
(書架上は市内の生徒達の作品でした)


 12月24日,再び戻ってきたツーソンは,街中がクリスマスイヴの装飾であふれていました。薄暮が近づいてきたころ,クリスマスイヴのイベントに誘われ,馬車に乗り,競うようにクリスマスツリーで着飾った夜の住宅地を見学。馬車が行き交うたびに,クリスマスを祝う衣装で身をまとった老若男女の乗客たちが「メリークリスマス」と大声で言葉を交わすたびに,いよいよ終わりに近づいてきた研修の感慨で胸がいっぱいになりました。

◆研修をとおして感じたこと

 この研修を通じて得たものは計り知れず,限られた誌面でそのすべてを書くことはできませんが,要約すると,日米の図書館および図書館員の社会的位置づけの違いです。アメリカの公共図書館は,まるで「学校」そのものでした。赤ちゃんから老人まで,そして,図書館の利用に何らかの障害を持つ人に対して,徹底して必要とされることをサポートする機関と言えます。学校といっても「教える」のではなく,求めに応じて「支援する」というものです。そのために,本,雑誌,新聞,映像資料など,ありとあらゆる情報サービスをするのが図書館であるという印象でした。

 そのため,図書館員もまた徹底して学び,研究を続けているようでした。日本と違い「司書」という資格がアメリカにはありません。大別すると,図書館の職員は「ライブラリアン」と「アシスタント」となり,前者は図書館(情報)学の修士号以上の学位を持つ人を指し,後者はそれ以下の学位を持つ者とはっきりと区別して呼び,より上位の学位を取得することにより,ライブラリアンは条件の良い図書館を転々とすることも少なくないようです。

 また,アメリカの公共図書館も日本同様に,厳しい財政難に悩まされているようでした。しかし,アメリカの図書館は自治体の予算のみで運営されるものではなく,市民の財政的支援を受けて維持・発展されているもので,私の見学した地方の図書館では,建物の柱,壁,書架などいたる所に寄付者の氏名が刻まれており,建設費の半分以上が市民の浄財で賄われている図書館もありました。

 また,公共図書館を見学して特に印象に残ったのは,施設の規模により違いはあるものの,日本の図書館に比べると,インターネット端末機器が充実していること,レファレンス専用カウンターが設けられていること,ティーンネイジャーコーナー(ルーム)が独立していること,そして,館長をはじめ管理職の大半を女性が占めていたことが挙げられます。さらに,日本ではコンピュータシステムの保守は民間に委託している例が多いのですが,私が見学した図書館の大半では,専任の部署または職員が置かれていました。

 私は18年間,市役所本庁にて広報公聴,人事などの仕事を経験した後,現在の「図書館」に異動になりました。40歳過ぎて出会った「図書館」という「恋人」は,この間,今回の研修をはじめさまざまな夢をかなえてくれました。その意味で,あらためて「図書館」に感謝する旅でもありました。最後に,私を支えてくれた国内外の関係者の皆様に誌上を借りてお礼を申し上げます。

 (うちの やすひこ:鹿嶋市立中央図書館)