日本図書館協会図書館の自由委員会図書館の自由に関する宣言宣言解説2版刊行の経過>改訂案 

『「図書館の自由に関する宣言 1979年改訂」解説』の改訂案(2003年7月31日現在)

下線赤字部分が改定案)


(章)宣言の採択・改訂とその後の展開(p.10〜)

 @「図書館の自由をめぐる問題の新たな局面」(p.14〜16)

(▼この項の標題を次のように変え、本文の末尾に以下の文(段落)を追加する。)

 「宣言改訂以降の図書館の自由をめぐる問題」

1981年に明らかになった愛知県下の‥‥大きな示唆を与える。

  1986年に始まる富山県立近代美術館における天皇コラージュ作品の処置をめぐる国民の知る権利訴訟は、作品の処置は管理者側の裁量に委ねられるという最高裁の判決(2000年)で、国民の「知る権利」の保障が、いまだ博物館の役割として、法的には認知されるに至っていないことが明らかになった。それはマスコミに大きく取り上げられ、社会の関心を呼んだ。それに関連する富山県立図書館図録損壊事件(1990年)は、1995年に犯人の有罪判決が確定した後も、図書館が図録の所有権を放棄したままいまだに回復されていない。
 1988年には絵本『ちびくろサンボ』が人種差別を助長する本であるとの批判を受けて、日本では絶版になった。しかしこの絵本が差別書であるかどうかはその後も論議が続いている。
 1995年には、東京の地下鉄サリン事件捜査過程での国立国会図書館利用記録53万人分の無差別差し押さえも世論の批判を呼んだ。
 1997年の神戸連続児童殺傷事件における少年被疑者の顔写真を掲載した『フォーカス』(同年7月9日号)、その検事調書を掲載した『文藝春秋』(1998年3月号)、1998年の堺通り魔幼児殺害事件を実名記事にした『新潮45』(同年3月号)など、少年法にかかわって問題となる報道が続発した際、その資料の提供について公共図書館がマスコミの注目を集めることになり、改めて図書館の自由のあり方が社会的関心のもとに問われることになった。東大和市においては、『新潮45』の閲覧制限は住民の知る権利の侵害であると訴訟が起された。
 そのほか、『タイ買春読本』(1994年初版)『完全自殺マニュアル』(1993年初版)の廃棄要求や閲覧制限要求は住民の間でも論議を呼び、やがて有害図書指定の動きになった。時勢の「常識」の中で、図書館の、国民の知る自由に対する取組みの姿勢が試されている。
 1996年には秋田県で地域雑誌『KEN』が個人のプライバシー侵害を理由に頒布禁止の仮処分が決定され、申立人から県内の図書館に利用禁止を求めて「警告書」が送付されるということが起こった。
 1997年には、タレント情報本の出版差し止めを認める最高裁判所判決があり、個人情報をめぐって、以後、出版の事前差し止めの法的判断の事例がいくつか出てくる。


(章)宣言の採択・改訂とその後の展開(p.10〜)

A「『解説』改訂の意義」(p.16)

(▼この項の標題を次のように変え、本文を以下のように書き替える。)

 「『解説』を刊行することの意義」

 1979年10月、宣言改訂の趣旨を早急に普及することを目的として、解説『図書館の自由に関する宣言 1979年改訂』を編集・刊行した後、少なからぬ社会状況の変化もあり、図書館界は、図書館の自由に関して貴重な経験を積んだ。それをふまえて、宣言をより具体的な図書館活動の指針として役立つものにするために、解説の改訂版を編集した。1987年に一度改訂し、今回は二度目である。
 改訂にあたって留意した諸点は、次のとおりである。
 (1) 館界の経験にもとづき新しい事例を取り入れることに努めた。
 (2) 学校図書館における収集の規制
 (3) コンピュータ導入に伴う個人情報の保護基準の採択を取り入れる。
 (4) 情報公開制度の発展に伴う図書館の役割
 (5) 国民の支持と協力にもとづく社会的合意のなかで図書館の自由の発展をはかる。
 (6) 「人権またはプライバシーの侵害」に関する厳密な定義
 (7) インターネットによる情報提供にかかわる問題
 (8) 「子どもの権利条約」の批准と「知る自由」
 (9) 多様化する著作権問題と図書館のかかわり
 (10) 住民基本台帳ネットワークにつながるICカードや学籍番号利用の危険性
 このうち(6)以下が今回の留意点である。


(章)宣言の解説(p.17〜)

 (前文)

B「公平な権利」(p.20)

(▼この項の第4段落「図書館を利用する権利は、‥‥当然である。」を冒頭に移し、次の文を改行せずに追加する。)

従って、宣言本文および解説文等に「国民」とのみ書かれているところも、そのように意識して読む必要がある。

(▼「公平な権利」の項の冒頭の3行を次のように書き換え、第2段落とする。)

 現在、公立図書館がまだ設置されていない地方自治体があるし、学校図書館も職員体制の不備は解決されていない。1997年の学校図書館法の改正により、司書教諭の発令が義務づけられたとはいえ、ひきつづき発令が猶予される12学級に満たない小中学校も約半数残されるうえ、発令される司書教諭には「専任」の保障がないなかで、図書館サービスの担い手が求められている。

(▼「公平な権利」の項の第2段落「また、施設や資料の面から‥‥整っていないのである。」の次に、改行せずに次の文を追加する。)

それは、社会が、ひいては図書館員自身が、図書館利用に障害のある人びとの存在を十分認識できていない結果である。


第2 図書館は資料提供の自由を有する。(p.23〜)

C「人権またはプライバシーの侵害」(p.24〜25)

(▼この項を全面的に次のように書き換える。)

 宣言の採択時と異なり、プライバシーの権利が憲法の保障する権利に含まれることに今日ではほとんど異論がないと考えられるから、この制限項目の文言「プライバシーその他の人権を侵害するもの」と読み替えられるべきである。そして「その他の人権」とは、表現行為によって社会的不利益や精神的苦痛を余儀なくされる可能性のある名誉や名誉感情等の権利を意味するものと解される。
 ところで、この制限項目については、いくつかの疑問点が指摘されている。ある資料が「侵害するもの」であるという判断基準はどういうものであり、その判断を誰がするのか、また、制限項目に該当する範囲が拡大解釈されることはないのか、利用の制限はどのような方法でおこなわれるのが適当か、などである。
 これらについて、これまでの事例を通じて得られた教訓や反省を踏まえて以下のような解説をするが、今後も広く各層の意見を集め、なお一層の社会的合意の形成に努めるべきものである。
1 まず「侵害するもの」であるという判断基準についてであるが、被害者の人権保護と著者の思想・表現の自由の確保とのバランス、および国民の知る自由を保障する図書館の公共的責任を考えれば、次のようになろう。
 (1) ここにいうプライバシーとは、特定の個人に関する情報で、一般に他人に知られたくないと望むことが正当であると認められ、かつ、公知のものでない情報に限定される。
 (2) 差別的表現は、特定個人の人権の侵害に直結するものを除き、制限項目に該当しない。
   2001年10月、雑誌『クロワッサン』にと場労働者への差別的表現があるとして図書館の取り扱いが報道された問題に際し、図書館の自由委員会はそれまでの検討事例を集約して、いわゆる差別的表現それ自体は提供制限の理由にはならないという見解 (巻末資料)を公表した。
   いわゆる「部落地名総鑑」の類の資料や一部の古地図、行政資料などは、これらを利用して特定個人の出身地を調べれば、その人が被差別部落出身者であることが明白になり、就職差別や結婚差別に直ちにつながるおそれがあるから、差別的表現が人権侵害に直結するものの例にあげられよう。
 (3) 問題となっている資料に関して人権侵害を認める司法判断があった場合に、図書館はそれに拘束されることなく、図書館として独自に判断することが必要である。
   裁判所が人権侵害を認定し、著者・出版社など権利侵害の当事者に被害の回復や予防のために命じる措置と、国民の知る自由を保障する社会的責任をもつ図書館の利用制限の要否についての判断は別のものとして考えるべきである(注)。
   ちなみに、『週刊フライデー』肖像権侵害事件の裁判で、原告は判決内容の告知する付箋を資料に貼付するよう依頼する文書を全国の主要図書館に対して送付することを求めたのに対し、裁判所は被害を認めて出版社に損害賠償を命じたが、図書館に関わる原告の要求を認めなかった(東京高裁判決1990.7.24)。『新潮』1994年4月号所収の柳美里著「石に泳ぐ魚」の公表差し止めを命じた裁判の一審判決も、図書館に関わる同様な請求を認めなかった(東京地裁判決1999.6.22。この請求棄却について控訴されず、確定)。裁判所は権利侵害の当事者に被害の回復や予防の措置を求める場合も、図書館には独自の判断がありうることを認めているのである。
2 その判断は誰がどのような手続きで行うのか。個々の図書館が、図書館内外の多様な意見を参考にしつつ、公平で主体的に意思決定することが求められる。
 (1) 各図書館に資料の利用制限の可否・方法の検討、および利用制限を付した資料に関して再検討をおこなう委員会を設置しておくことが望ましい。
 (2) 委員会には全ての職員の意見が反映されるべきである。
 (3) 委員会は、当該資料に関して直接の利害を有する者および一般の図書館利用者の求めに応じて、意見を表明する機会を設けるべきである。
 (4) 委員会は個別の資料の取扱いについて検討するとともに、職員に図書館の自由に関する情報と研修・研究の機会を提供することが望ましい。
   1976年11月、名古屋市の市民団体が『ピノキオの冒険』を障害者差別の本であるとして出版社に回収を求めたことが報道され、名古屋市立図書館はその貸出・閲覧を停止した。以後3年間にわたり、名古屋市立図書館は障害者団体、文学者はじめ幅広い市民の合意づくりに努め、1979年10月に提供制限を解除した。そして、今後、批判を受けた蔵書については、「明らかに人権またはプライバシーを侵害すると認められる資料を除き、提供制限をしながら市民と共に検討」することとして、次の原則を確認した。
  1) 問題が発生した場合には、職制判断によって処理することなく、全職員によって検討する。
  2) 図書館員が制約された状況のなかで判断するのではなく、市民の広範な意見を聞く。
  3) とりわけ人権侵害にかかわる問題については、偏見と予断にとらわれないよう、問題の当事者の意見を聞く。
3 利用制限の方法について。知る自由を含む表現の自由は、基本的人権のなかで優越的地位をもつものであり、やむをえず制限する場合でも、「より制限的でない方法」(less restrictive alternativeの基準)によらなければならない。裁判所が人権を侵害するとして著者らに公表の差し止めを命ずる判断を行った資料についても、図書館は被害を予防する措置として、当該司法判断の内容を告知する文書を添付するなど、表現の自由と知る自由を制限する度合いが少ない方法を工夫することが求められる。
4 人権の侵害は、態様や程度が様々であり、被害の予防として図書館が提供を制限することがあっても、時間の経過と状況に応じて制限の解除を再検討すべきである。
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注 参考文献:「平成9年度全国図書館大会(山梨)記録」第9分科会 シンポジウム「資料提供とプライバシー保護」


D「わいせつ出版物」(p.26)

(▼この項の冒頭の3行を次のように書き換える。)

 刑法第175条のわいせつ文書にあたるという裁判所の判決が確定した資料については、提供の制限がありうる。

(▼「わいせつ出版物」の項の第2段落の末尾「このように、わいせつ文書とする判断基準は‥‥再検討されなければならないものである。」を次のように書き換える。)

 『悪徳の栄え』は1969年、『四畳半襖の下張り』は1980年に最高裁で有罪判決を受けたが、その後これら3文書はいずれも無削除で公刊されている。このように、ある時点で裁判所が示したわいせつ文書の判断の基準は、社会の常識や性意識が変化することによって事実上、修正変更されることになるのである。従って、わいせつ出版物の提供の制限も、時期をみて再検討されなければならないものである。そのために、「人権またはプライバシーの侵害」の項で述べたと同様な検討のための組織が必要である。


E「寄贈または寄託資料と行政文書」(pp.26〜27)

(▼この項の冒頭の「日記や書簡など‥‥やむをえない」の段落を、次のように書き換える。)

 日記や書簡などの未公刊資料が図書館に寄贈または寄託されるに際し、寄贈者または寄託者が、その条件として一定期間の非公開を要求することがある。その理由としては、プライバシーの保護のため、政治上・行政上の必要性に基づくもの、著作者人格権の一つである「公表権」の保護のためなど、当該資料が未公刊となっていることに関係するものが挙げられる。
 従って、寄贈者または寄託者のこのような要求を踏まえた上で、ある程度公開が制限されることはやむをえない。


F「子どもへの資料提供」(新規)

(▼新たにこの項を起し、「寄贈または寄託資料と行政資料」(p.26〜27)の項の次に入れる。)

 子どもへの資料提供

 1994年に、ようやく日本も「子どもの権利条約」(正式名「児童の権利に関する条約」)を批准し、国際連合憲章のもとに子ども(児童)の権利を保障していくことを約束した。その第13条に、「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」を有することを表明している。それを基本にした上で、17条に「児童の福祉に有害な情報及び資料から児童を保護」する配慮も求めているが、その責任は、まず父母または法定保護者にあると規定している。(18条)
 子どもは、強い好奇心を持っている。その時期に、多様な情報・資料に接し、それを理解し、判断し、批判することによって自らの主体的な意見を形成し、成長していく。それを保障するのは社会の責任である。図書館はその責任の一端を負っているのであり、子どもの主体的な成長を妨げてはならない。特に学校図書館は、子どもにも「読む自由」があることを子ども自身に自覚させ、教師や保護者に認識してもらう重要な場である。
 しかし現実には子どもたちが、商業主義などによって「有害な」読み物や情報にさらされることが多い。それを懸念して、「すぐれた資料・情報」を提供するよう特に留意しなければならないと考える人たちも多い。子どもの健全な成長を保障するその方法において、意見の違いが見られるが、「有害」とされる一部の資
料を排除するのではなく、基本においては「読む自由」を保障しながら、日常的に「すぐれた資料・情報」と子どもたちを出会わせる環境が求められよう。


G「資料の保存」(p.27)

(▼この項の第4段落「1984年の広島県立図書館問題では、‥‥が切断破棄された。」に続いて、次の段落を入れる。)

 2002年には船橋市西図書館で「新しい歴史教科書をつくる会」会員の著書が、前年の夏に100冊以上集中的に廃棄されていたことがわかった。


H「資料提供の自由と著作権」(新規)

(▼新たにこの項を起し、「施設の提供」(p.27〜28)の項の次に入れる。)

 資料提供の自由と著作権

 図書館が行う資料提供には、原則として著作権が関係してくる。しかし利用者に対する自由な資料提供を確保するため、この著作権を一定範囲で制約する規定が著作権法には置かれている。コピーサービスを一定の条件で図書館等が行うこと(31条)、視覚障害者向けの一定範囲の著作物の利用(37条)、非営利・無料の場合の上演、演奏、貸与等(38条)などである。
 しかし、図書館の利用者に迅速な情報提供を実現するためには、これらの制約だけでは不十分との声がある。通常の手段では図書館資料の利用に支障がある人たち(視覚障害者、読字障害者、肢体不自由者等)に対して利用の自由化(公共図書館等による録音図書の作成等)を実現することは、健常者と同様の情報アクセス環境を保障するために必要不可欠なことである。しかし、著作権者に及ぼす経済的利益の損失はほとんどないにもかかわらず、現在のところ認められておらず、図書館利用の「見えない障壁」となっている。
 また、著作権者の所在または個々の著作権の消滅の確認手段がほとんど整備されていないにもかかわらず、複写物のファクシミリ送信や論文集掲載の一論文の全部複写を許容する内容となっていないことも、図書館がその役割を十全に果たせない一因となっている。
 それに加え、著作者の権利の制約が撤廃されるという動きがある。現在自由に行うことができる視聴覚資料の閲覧サービスや図書等の貸出しについて、著作権者への許諾又は補償金の支払いを条件とする方向での法改正が、文化庁の報告書で提言されている。利用者の情報アクセス権を保障する観点からも、著作権者を含め、国民的合意を形成する方向の対応が求められる。


I「いわゆる「公貸権」」(新規)

(▼新たにこの項を起し、前の項「資料提供の自由と著作権」の次に入れる。)

 いわゆる「公貸権」

 1900年代後半以来の出版不況を背景として、文芸著作者、出版者、書店など書籍の製作・流通に携わっている側から、図書館の貸出しサービスによって出版物の売上げが減少し、経済的損失が発生しているという声が出始めている。その典型的な批判が「無料貸本屋論」であり、「大量複本貸出問題」などである。
 そして、この問題の解決方法としては、例えば、「新刊本の貸出しを一定期間行わない」とか「1館当たりの所蔵冊数に上限を設ける」といった方法が挙げられる一方で、いわゆる「公貸権」(公共貸出権)を日本に導入すべきである、という声が文芸作家の団体から上がっている。
 この「公貸権」とは、英語のpublic lending rightの日本語訳である。図書館における図書等の貸出回数や所蔵数に応じ、その図書等の著作者に金銭を給付するという制度を示す概念であり、権利として行使されるものではない。この制度は、現在のところ、北欧を中心に十数ヵ国で導入されている。
 しかし、「公貸権」が設けられた趣旨は、各国によって様々である。例えば、北欧諸国では、著作者等の経済的損失を補填するためではなく、自国の文化や文芸活動を振興するために設けられている。このため、先進国において導入されたからと言って日本で導入しなければならないということにはならない。それどころか、安易にこの制度を導入することにより、例えば資料購入予算の削減や、貸出しサービスの抑制につながるおそれもある。
 このように、「知る自由」を損ないかねない「公貸権」の導入の動きに関しては、図書館界としても十分注意を払って対応しなければならない。


J「著作権侵害が裁判で確定した図書館資料の取扱い」(新規)

(▼新たにこの稿を起し、前の項「いわゆる「公貸権」」の次に入れる。)

 著作権侵害が裁判で確定した図書館資料の取扱い

 著作権侵害が裁判で確定した図書館資料について、その原告から図書館に対し、その資料を提供し続けることが、著作権侵害に該当するという理由を挙げて、閲覧の禁止や回収を要請されることがある。
 この場合に著作権侵害が問題になるとすれば、せいぜい、この行為が著作権法第113条に該当するかどうかということだけである。この条文によれば、著作権侵害によって作成された著作物について、「情を知って頒布し、又は頒布の目的をもって所持」すれば、著作権を侵害する行為とみなされる。なお、この場合の「頒布」とは、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」である。
 すなわち、図書館への要請状に確定判決文が添付されていたときには、まさにこの条文の「情(その資料が著作権侵害によって作成されていたこと)を知った」ことになるため、その資料のコピーを提供するとか、貸し出しするといった、「頒布」に該当するような行為をしてしまうと、形式的にはこの条文の要件に該当することになる。
 ただこの113条という規定は、もともと海賊版の流通防止を目的として設けられたもので、このような場合に適用することは疑問である。
 まして貸出しや複写が伴わない、閲覧サービスや朗読サービス等まで違法行為となるという解釈は、どのような観点からも取り得ない。従ってこのような要請は、根拠がないので従う必要はない。


 第3 図書館は利用者の秘密を守る。(p.28〜)

K▼「最近の事例としては、‥‥事件がある。」(p.29−5行目)を次のように書きかえる。

 1995年3月に起きた地下鉄サリン事件捜査に関連して、警視庁は捜索差押許可状に基づき国立国会図書館の利用申込書約53万人分をはじめ、資料請求票約75万件、資料複写申込書約30万件を無差別に押収した事件がある。1年余の利用記録すべてである(注8)。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
注8 JLA図書館の自由に関する調査委員会関東地区委員会「裁判所の令状に基づく図書館利用記録の押収―『地下鉄サリン事件』捜査に関する事例」図書館雑誌89(10) p.808−810


L「貸出記録の保護」(p.30)

(▼この項の最後の段落「日野市立図書館の‥‥採用を期待している。」(p.30)の箇所を次のように書き換える。)

 2002年8月に住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)が稼動したが、上記「基準」及び「見解」に明示したように、住民基本カードを図書館利用カードとして利用したり、住基ネットに利用者情報データベースをリンクしてはならない。また、他のICチップを利用した図書館利用カードを導入するにあたっても、利用資料の情報を蓄積するようなことがあってはならない。
 大学等において、学籍番号を利用者コードとして利用する事例が増えているが、この場合も、学内の他のデータベースとリンクしてはならない。日野市立図書館の「コンピュータ導入の原則」などにも学び、利用者のプライバシーを侵害しないよう慎重な運用が望まれる。
 行政機関個人情報保護法(4、5、9、12条)および、各自治体の個人情報の保護に関する条項を遵守し、必要最小限の個人データのみを扱って他にリンクしないシステムを形成するほか、運用する職員が図書館における個人情報の保護の重要性を常に認識するよう努めなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
注 「コンピュータ導入に伴う利用者情報の保護」(『図書館の自由に関する事例33選』p.178−183)


M「利用事実」(p.30〜31)

(▼この項の冒頭から第2段落までを、次のように書き換える。)

 第2項は、第1項に掲げた読書事実以外の利用事実に関する項である。これらも利用者のプライバシーに属するものであるから、本人の許諾なしに第三者に知らせてはならない。来館のつど入館記録、書庫立入簿などの図書館施設の利用に関して住所・氏名を書かせることのないようにし、登録手続きのさいも必要最小限の記録にとどめるようにすることが望ましい。
 文献複写申し込みの記録については、利用者の申込みが著作権法第31条の要件を満たすかどうかを審査するために行っていることを念頭に置いて、その記録範囲を最小限にしぼり、しかも図書館が慎重に管理し、外部へ漏れることのないようにしなければならない。


N「外部とは」(pp.31〜32)

(▼この項の第5段落「従って、読者の人格の‥‥解決されなければなるまい。」(p.32)に続いて、改行せずに次の文を加える。)

容易に児童・生徒の利用記録が取り出せないような貸出方式を採用することは、その前提であろう。


 第4 図書館はすべての検閲に反対する。(p.33〜)

O「図書館と検閲」(p.33〜35)

(▼この項の第5段落「青少年を「有害図書」の影響から‥‥動きが、ときにみられる」(p.34)を次のように書き換える。)

 青少年を「有害図書」の影響から守るという趣旨を含む、地方自治体で制定されている青少年保護育成条例についても、図書類の有害指定の方法が個別指定から包括指定へと強化され、内容も自殺の誘発などにまでひろげられてきた。これらの規制強化は憲法上の論議をよんでいる一方で、国民の言論・表現及び出版の自由を侵すおそれのある「青少年有害社会環境対策基本法案」の立法化がすすめられている。


P「検閲と同様の結果をもたらすもの」(p.35)

(▼この項の冒頭の「1985年に東京都世田谷区議会で、‥‥重ねる事件がおきた。」に続いて、改行せずに次の文を追加する。)

その後も東京都のいくつかの区議会で、特定政党の批判記事を掲載した週刊誌を名指して図書館からの排除を要求されたことがあり、1999年末には、過激な性表現を理由に週刊誌を名指して図書館からの排除要求がされたこともある。また2001年には、特定団体を批判した図書を所蔵していることを理由に、区立図書館の人事異動を要求した区議会議員もいた。


Q「インターネットと図書館」(新規)

(▼新たにこの稿を起し、「図書館における自己規制」(p.35〜36)の項の次に入れる。)

 インターネットと図書館

 インターネットを通じた情報は、今や人類に欠かせないものになった。図書館においても、その情報を提供することは、国民の知る自由を保障する重要な役割である。伝統的な媒体とは全く違った情報伝達方法であるため、大学図書館や専門図書館のみならず、公共図書館や学校図書館においても、利用者による情報格差を解消するよう努め、だれもが外部の情報資源に自由にアクセスできる環境を積極的に整えなければならない。
 公共図書館において、子どもも利用するという理由で、サーバー段階でフィルタリングをかけることは、すべての利用者の知る自由を阻害することになる。また学校図書館や大学図書館でのフィルタリングも、利用者が自ら情報を選択し、批判し、利用する能力(情報リテラシー)を育成する機会を阻害することになる。それぞれの図書館において、利用者の意見を踏まえて、情報利用の条件を決めていくべきである。
 なお、フィルタリングとは、フィルター・ソフトなどにより、あらかじめ設定された語句や表現が含まれる情報をアクセスできないようにしたもの、また管理機関等が不適当と判断した画像などをサイトごとに遮断したりしたものなどさまざまである。多くはだれがどのような基準で設定しているか公開されておらず不明な点が多い。特に図書館外のサーバーなどにあらかじめ包括設定されている場合が問題である。


 (結語)

R「不利益処分の救済」(p.37)

 (▼この項の末尾の文「図書館の身分を‥‥示唆を与えてくれる。」を削除する。)