日本図書館協会図書館の自由委員会「こらむ図書館の自由」もくじ>こらむ図書館の自由 107巻(2013)-110巻(2016)

「こらむ図書館の自由」107巻(2013)−110巻(2016)


第110巻(2016年)

Vol.110,No.12(2016.12)

「マイナンバーカードの図書館カードとしての利用について−報道から考えたこと」(奥野吉宏)

 2016年11月11日,時事通信社から「全国の図書館,カード1枚で=マイナンバーで来夏にも?総務省」という記事,11月15日には,共同通信社から「複数図書館のカード集約 総務省,マイナンバー個人番号を活用」という記事が配信された。
 当該記事では,マイナンバー(個人番号)カードの本人確認などに使う「マイキー」(電子証明書およびICチップの空き領域)部分を活用するとされているものの,詳細は書かれておらず,どのような手法で「複数の図書館のカードを集約」するのかはよくわからないものであった。また他の情報をみても,マイナンバー(個人番号)自体は使用しないものの,現状ではそれ以外の詳細な仕様がまだ定まっていないという状況のようである。
 これらの記事に対して,図書館はまず基本に立ち返る必要があると考える。
 図書館システムについては「貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準」(1984年日本図書館協会総会議決)がある。この基準では「登録者の番号は,図書館で独自に与えるべきである。住民基本台帳等の番号を利用することはしない。」としている。この基準についての図書館の自由委員会の見解では,その理由について「貸出記録を資料管理の目的以外には使用せず,また貸出記録のファイルを他の個人別データ・ファイルと連結利用することを不可能として,利用者のプライバシーを最大限に保護しようという趣旨である。」としている。
 マイナンバーカードの図書館カードとしての利用については,“基準の趣旨”にそっているかどうか,図書館の立場に立った冷静な検証と判断が必須であると考える。
※基準・見解の全文は,自由委員会HP「これまでの声明」のページ参照(http://www.jla.or.jp/portals/0/html/privacy/kasidasi.html)。

(おくの よしひろ:JLA図書館の自由委員会,京都府立図書館)

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Vol.110,No.11(2016.11)

「言論の場としての公共施設、そして図書館」(冨田穰治)

 近年,全国の地方自治体において,社会において議論が分かれているテーマを取り上げた講演会や展示会等について,「政治的中立性」を理由として公共施設の利用に制約を加える事例が頻発している。
 もちろん,公共施設である以上,特定の政党や政治団体,候補者等の利害に関するものについて拒否をするのは当然である。しかし,価値観やライフスタイルが多様化し,それらがしばしば衝突する現代にあっては,さまざまな利害を調整する機能としての政治と生活との距離はかつてないほど縮まっているといえる。それゆえ,同時代的な社会問題を扱おうとすれば,どのような立場をとろうとも政治的な色彩を完全に排除することは困難である。
 公共施設における政治的中立性とは,一切の夾雑物を含まないものではなく,さまざまな言説を表明する機会の均等を図り,豊かな言論の場を提供することではないだろうか。特定の政治勢力を後押しするようなものでなければ,政治的中立性を損なうとは言い難いだろう。
 この問題は,市民会館や公民館等に限らず,「知る権利」を支えるべき図書館でさえも起きている。ある公共図書館では,従前は館内への掲示が許可されていた定期刊行物について,同館の設置者である地方自治体が推進する建設事業への反対を理由として掲示が拒否されている。
 本件掲示物は図書館の所蔵資料ではないが,船橋市西図書館蔵書廃棄事件において,最高裁は公立図書館を「住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場」(最判平成17年7月14日民集59巻6号1569頁)としていることに照らすと,掲示等の図書館施設利用についても,可能な限り情報の多様性に配慮することが望ましいのではないだろうか。現に,アメリカ図書館協会「図書館の権利宣言」では,図書館内の展示スペース等についても,それらの利用を求める個人または団体の信条,所属関係にかかわりなく,公平な基準で施設を利用に供すべきことを定めている。
 種々の言説が表明され,議論が展開されることで社会は強く,豊かになっていく。その場を提供するのも,地方自治体の重要な役割だろう。

(とみた じょうじ:JLA 図書館の自由委員会)

(2016年12月19日に本こらむを掲載した際、誤って『図書館雑誌』で公表したものと異なるものを掲載していました。お詫びして訂正します。 2017年1月10日更新)

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Vol.110,No.10(2016.10)

「「図書館の自由に関する宣言」をみんなのものに」(平形ひろみ)

 この宣言をはじめて知ったのは、40年近く前のことだった。
 猛暑の司書講習会で、その講師は利用者のプライバシーをいかに守るか、警察捜査があったときに、職場でどんなふうに対応したかなどの現役司書時代の体験を語ってくれた。その講義は魅力的で、受講生間でも評判が高かった。「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」が総会で採択される1年前の事である。 
 講習会終了後、幸運にも宮城県の泉市で司書としての職を得、これまでさまざまな自由の問題に出会った。「ピノキオ」「ちびくろサンボ」「フォーカス」次々に起きる事例をめぐって、資料収集、提供、プライバシー保護、検閲について同僚や近隣の図書館員、研究会や委員会メンバーたちと幾度も意見を交わした。
 そして、黒田一之、荒木英夫、森耕一、清水正三さんをはじめとするたくさんの方々の資料や言葉にいつも励まされてきた。
 現職最後の年を迎え、『図書館の自由に関する宣言の成立 図書館と自由1』(1975年刊)を読み直してみた。1952年頃から宣言の成立へ向けての図書館人たちの議論が熱い。この先人たちの思いを引き継いで、今も図書館の自由委員会は活動している。
 その委員会活動の成果の中から次の4冊を紹介したい。
 『図書館の自由に関する事例33選』(1997年刊)『「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」解説 第2版』(2004年刊)『図書館の自由に関する事例集』(2008年刊)『図書館の自由に関する全国公立図書館調査2011年』(2013年刊)
 これらの資料が「図書館の自由に関する宣言」を実現するために誰かの役に立ってくれたら、宣言がみんなのものになる助けになってくれたらと願う。  

(ひらかた ひろみ:JLA図書館の自由委員会,愛荘町立愛知川図書館/秦荘図書館)

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Vol.110,No.9(2016.9)

「いわゆる「部落地名総鑑」について」(佐藤眞一)

 本誌2016年6月号掲載の「協会通信」に、常任理事会での話題として「理事より、『部落地名総鑑』は非公開の扱いをすることが多かったが、公開を働きかける動きがあり、各県市町村の図書館でその取り扱いについていろいろな形で問題が出てくるとの紹介があった。」と記録されていた。
 ところで「部落地名総鑑」は、実在する資料のタイトルを示しているというより、かつての被差別地域出身者に対して就職差別や結婚差別を行うための道具として作成され、企業の人事担当部署等をターゲットとして、極秘裏に販売されたリスト類の総称とするのが妥当であろう。今春、この種のリストのひとつである『全国部落調査』の復刻を企図する出版社がホームページ上で予約注文を開始し、出版差し止め仮処分決定が出された一連の騒動は記憶に新しい。
 図書館の自由に関する宣言(以下、「宣言」)では「第2 図書館は資料提供の自由を有する」において、提供が制限される場合があるものとして「人権またはプライバシーを侵害するもの」を挙げている。これは当初、いわゆる「部落地名総鑑」を想定したものだったと伝わっている。それでは、資料収集の場面ではどういう判断になるのだろうか。
 図書館では、自館の収集方針に基づき資料の選択および収集を行っている。この場合、収集・提供によって人権侵害を生じる可能性と、史料として必要とする利用者の知る権利が損なわれる可能性とを天秤にかけるという困難な作業を行うことになる。図書館にとって、知る権利を保障することは存在意義の根幹であり、苦渋の決断ではあるが、実際に人権侵害を生じる蓋然性の高いこの種のリストを、少なくとも公立図書館が図書館資料として選定する余地は皆無であろう。
 なお、それでも、2012年4月号掲載の本こらむ「私たちはひとりではない」で当委員会の委員が事例を紹介したように、図書館が所蔵調査、閲覧、相互貸借を依頼される可能性は残る。その場合、「実際に人権侵害を生じる蓋然性が高いことを重く受け止め、図書館資料として収集できない。」ことを、住民に対して丁寧に、しかし毅然と説明できるようにしておくことが、私たち図書館員に求められる。

(さとう しんいち:東京都立中央図書館、JLA図書館の自由委員会) 

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Vol.110,No.8(2016.8)

「図書館は誰のためにあるのか−貧困と図書館の問題からみえること」(西河内靖泰)

 「図書館を利用する生活保護受給者に,ケースワーカーが“そんな暇があったら,ハローワークに行って就職活動をしろ”という。それでも(図書館へ)行っていたら生活保護を打ち切られた」。2016年図書館問題研究会全国大会「貧困と図書館」をテーマとしたパネル討論での基調報告者みわよしこさんの話だ。また,堀江貴文氏は,武雄市図書館について,図書館が「おしゃれになって」「今までたむろってた生活保護者とかは居づらくなった」,「別にそいつらのために公共施設があるわけじゃない」と述べている(『実話BUNKAタブー』2014年2月号)。
 図書館を生活保護受給者が利用してはいけないのだろうか。図書館は,「基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に,資料と施設を提供することを,もっとも重要な任務とする」はずだろう(「自由宣言」)。
 このコラムで,ホームレスの図書館利用の問題を何度か取り上げて排除論に異を唱えてきたが,もはや図書館からホームレスどころかその他にも排除する範囲が広がろうとしている。私の提起は意味のないものだったのだろうか。図書館の有料化論も,貧しい人びとを排除するための意図が透けて見えるような気がする。だが,そうではないと思いたい。貧しい人びとのために活動する図書館は数多くあるのだ。
 図書館法制定時に当時の文部省は「浮浪者」の来館の可能性を問題とし,無料化への異論を唱えたそうだ。だが,図書館法は無料を原則として成立した。とすれば,図書館はだれのためにあると位置づけたのかは明らかである。
 図書館は,貧しい人びとを排除してはならない。図書館は貧しい人びとのためにこそある。    

 (にしごうち やすひろ:JLA図書館の自由委員会委員長,広島女学院大学)

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Vol.110,No.7(2016.7)

「利用登録と本人確認」(千錫列)

 公立図書館で利用登録をする際には、身分証明書などで本人確認をおこない、氏名・性別・生年月日・住所・電話番号などを登録用紙に記入する。記入事項は、自館の利用統計などに活用され、よりよい図書館サービスを行う指針となることもあろう。 
 しかし、性的マイノリティと思われる市民から「自分の名前は性別が明らかなので、性別が分かりにくい通称名で日常生活を送っている。居住する地域の公立図書館に通称名での利用登録と登録用紙の性別欄の廃止を求める問い合わせをしたが拒否された。」という相談を受けた。
 公立図書館は「公の施設」であり、地方自治法第244条第2項では「正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」とある。通称名を使用することだけで利用登録を拒否することは、旧姓を通称名として使用することが認められる職場も多い現状などを考えれば適切な対応とはいいがたい。また、性別の登録についても、性別の記入欄自体が無かったり、空欄でも受付ける公立図書館も多い。
 そもそも、利用登録をする際に氏名や住所を確認するのは貸出した図書館資料の延滞や紛失を避けるためである。連絡さえとれれば良いのだから、本名や性別の登録に固執する必要はない。身分証明書がなくとも郵便物や公共料金の払込み書など氏名と在住がわかるものの提示だけで利用登録ができる公立図書館もある。私がかつて勤務していた公立図書館では身分証明書を持たない児童には、名札で氏名と校名を確認して利用登録を受付けていた。このように個々の利用者の事情に合わせた柔軟な対応が求められよう。
 利用カードの二重取得の可能性なども指摘できようが、「図書館の自由に関する宣言」にある「すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。外国人も、その権利は保障される。」という理念を優先すべきであろう。

(せん すずれつ:関東学院大学, JLA図書館の自由委員会)

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Vol.110,No.6(2016.6)

「『図書館の自由を求めて』刊行」(熊野清子)

 「図書館の自由に関する宣言」採択60周年を記念して2015年8月に講演会を開催した。当日は、自由宣言1979年改訂にも深くかかわった塩見昇氏が60年の歩みを振り返ったあと、憲法学者・松井茂記氏に「図書館と表現の自由−法学者からみた図書館の自由宣言」と題して講演、また塩見氏との対論をいただいた。松井氏は、図書館資料にかかわる利用者と著者・出版社の権利関係を検討し、特に利用制限措置がなされる場合には法的な根拠と明確な基準が求められると述べられた。簡単な報告は、伊沢ユキエ「違法でない限りあらゆる資料を提供する!〜憲法学者・松井茂記氏講演会〜」として『図書館雑誌』2015年10月号に掲載した。
 『図書館の自由を求めて』(日本図書館協会、2016年4月)は、この60周年記念講演会と、2004年10月に第90回全国図書館大会・香川大会で開催した自由宣言採択50周年座談会「自由宣言50年−その歴史と評価」の記録をあわせて刊行したものである。
 50周年座談会では、図書館の自由に関する調査委員会(現・図書館の自由委員会)発足から1979年改訂に至る時期に委員を務めた石塚栄二氏、酒川玲子氏、塩見昇氏らがパネリストとして登壇し、会場からは1954年宣言採択時の図書館大会で直接議論に参加した森崎震二氏の発言もあり、まさに自由宣言の原点をさぐることができる。
 本書を読み進めると、宣言採択から休眠時代、1979年改訂とその後の事象を通して、図書館が市民の身近なものとなり利用者が増えたからこそ図書館の自由が問題になるということがよくわかる。問題をわずらわしいと避けて通るのではなく、問題を通して図書館が利用者の知る権利の保障において果たす役割をあらためて考えていただきたいと思う。本書がその道しるべのひとつとなれば幸いである。

(くまの きよこ:JLA図書館の自由委員会)

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Vol.110,No.5(2016.5)

「外から見る図書館と図書館の自由」(鈴木章生)

 異動により図書館を離れてちょうど1年経った折、このコラムを書くこととなった。この間、振り返れば、図書館の自由に関する大きな事案としては、神戸連続児童殺傷事件の加害者である元少年の手記『絶歌』の取り扱いを巡る対応や、作家の村上春樹氏を含む数名の読書記録が公にさらされることにつながった神戸高校旧蔵書の貸出記録流出などがあった。
 図書館勤務のときは、このような事案が起こったら、自館に直接関わりがなくても、周囲の職員と理解・情報を共有し、必要に応じて館としての考えを整理したり、日常業務の課題を点検したりする機会としていた。図書館を離れてしまうと、向き合うべき利用者もおらず、理解や情報を共有し合う職員もおらず、不本意ながら実務家としての緊張感が薄らいでしまう。
一方、これはよく言われることであるが、一度、図書館を離れることで、図書館について見えてくることも確かに多い。図書館がどのような組織や制度の網の目の中に位置しているか、事業を実施するための資源がどのように配分されてくるか、全庁や教育委員会の運営方針の下、図書館の経営目標の達成が組織全体の中でどのような意味を持つのか。今日の図書館員がこれらに鈍感であってはならないことは、様々な研修機会で学ぶところであるが、図書館の外に出て身をもって理解することができた感がある。
「図書館の自由」を具体化する上では、館内職員の理解共有が第一と考えてきたが、これ加えて、教育機関としての自律的判断を支える、行政内部の人と組織のつながりも無視することはできないと考えるに至る。自律とは孤立ではない。図書館員は、国民の知的自由に奉仕する図書館の使命について、内に外に理解を広める努力が必要である。今、図書館を離れて、その絶好の機会にあると感じている。

(すずき あきお:JLA図書館の自由委員会)

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Vol.110,No.4(2016.4)

「記録を残すということ」(田中敦司)

 年末や年度末には寄贈図書がよく持ち込まれる。それらの中に『ハリー・ポッターと秘密の部屋』があったとしたらどうするか。「何か聞き覚えがあるけど何だったろうか…。」この本は、文中に差別表現があるとして関係団体から指摘があり、66刷以降は記述が差し替えられたものなのである。2000年の出来事である。
 図書館の自由に関してこうした問題提起があったときは、それぞれの図書館で議論しているものと思う。ただ、議論したことをどれくらい記録しているだろうか。会議の記録として残してあっても、個別の書名で調べようとすると時間がかかる。また、会議の記録にも保存年限が決まっていよう。仮に10年分保存してあったとしても、それ以前のものはないということである。
資料を収集し整理して保存するのが図書館の役割である。しかし、図書館自らに関わることについては、案外抜けてしまいやすい。上記の例で言えば、書名と問題になった年月日、経過と措置などを記録して累積していくことで解決できる。その積み重ねを引き継ぐことが重要なのである。
 当委員会でも事例を積み重ねて事例集を刊行してきた。しかし、起こったすべての事例を網羅しているわけではない。むしろ、当事者となって議論した渦中の図書館のほうが詳しい場合も多い。
いまからでも遅くない。一つ一つの事例の積み重ねがやがて大きな事例集になる。それが、後の図書館員にとって貴重な財産となると信じている。職員はやがてすべて入れ替わるが、図書館は永続していくのであるから。
 ちなみに、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』については、『図書館の自由に関する事例集』(日本図書館協会 2008)に概要と解説、また、『図書館の自由ニューズレター集成2 2001-2005』(同 2009)に関連文書を掲載している。

(たなか あつし:JLA図書館の自由委員会、名古屋市立図書館)

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Vol.110,No.3(2016.3)

「「収集の自由」の前提は 〜ツタヤ図書館の選書をめぐって」(伊沢ユキエ)

 いわゆるツタヤ図書館が武雄市や海老名市でリニューアルにあたり蔵書を大幅に増やすために購入した本のラインナップが大きな問題になっている。武雄市では、系列の新古書店の在庫整理と言われるような本が並び、海老名市でも、市民が求めているとは思えない本が大量に購入されていることが開館直前の市議会で取り上げられた。武雄市で市民が情報公開で取り寄せた購入リストを分析して公表したことが報道され、海老名市の選書問題にも波及したようだ。
 海老名市では新館オープンを目前に教育長が自ら図書館の選書リストを点検し、タイ風俗観光案内本など3冊を図書館に相応しくないので貸出し停止にするという騒ぎになった。最終的には未成年の手の届かない書庫に入れて貸出すことになったのだが、本来、どんな本であれ選書基準に従い蔵書としたなら自信を持って市民に提供するのが図書館である。それがひとつは外部からの指摘にいとも簡単に蔵書の見直しをする結果となり、さらに、ツタヤ図書館での指定管理体制に図書館長が負うべき選書の責任が見えてこない形で、収集の自由の問題に広がった。
 指定管理にあたっての「海老名市立図書館の業務要求水準書(平成25年7月教育委員会)」に選定・除籍基準を見ることができるが、その内容はごく通常の運営をする図書館のものである。海老名市の図書館では、はたして、その1冊1冊が、選定基準に照らしてどれほどの真剣さで選ばれたものなのか、誰がどんな方針で選んだのか見えてこない。その姿勢が教育長に貸出中止を言わせるに至ったのではないか。それは「収集の自由」以前の問題である。
 海老名市の市民が横浜地裁に指定管理解約と費用の返還を求めて提訴した。市民の「知の拠点」に危機感を持つ海老名市政を考える会は市長あて「海老名市立図書館に関する緊急要望書」を出している。市民になぜこの1冊が購入されるのか責任をもって説明できる真摯な選書があって図書館の自由としての「収集の自由」がある。         

 (いざわ ゆきえ:JLA図書館の自由委員会、横浜市磯子図書館)

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Vol.110,No.2(2016.2)

「学校図書館システムと利用者のプライバシー」(鈴木啓子)

 学校図書館の貸出方式といえば、かつては本を借りた人の名前が書かれた図書カードと個人の帯出者カードを使ったニューアーク方式が中心であった。それは、児童・生徒の貸出記録は教員が把握しておくものという読書指導や生徒指導の観点からであった。公共図書館は、すでに貸出記録が残らないブラウン方式を採用していた。また、1990年「返却後、個人の記録が残らない」を条件とした「貸出五条件」を学校図書館問題研究会が作成した。その頃から、学校図書館関係者に「貸出記録は、プライバシーに関すること」という認識が広がり、記録が残らない方式に切り替える学校が出てきた。
 近年は、コンピュータを導入する学校が増え、自治体が一括して学校図書館向けのパッケージシステムを入れているところも多い。ところがそれらの多くは、貸出記録が残るものである。学校図書館における利用者のプライバシーについての研究会に参加した時、参加者の多くが貸出記録を消去したいがシステム上できないということであった。
 一方、貸出記録が消去できるシステムを開発した業者に消去できるようにした理由を聞いた。すると、学校図書館関係者の要望で、貸出記録を残すようにしていたが、業者の判断で個人情報の観点から消去もできる選択制にしたそうである。また、専任・専門の学校司書が全校配置されている大阪府豊中市は、システム導入時に検討会議を持ち、教育推進や情報政策の部署、教員(司書教諭)、学校司書、市立図書館司書、読書振興課などで話し合った。貸出記録の問題は、様々な意見が出たが、統計で使用する貸出冊数の記録のみ残し、書名の履歴は残さないことを要件として決めた。
 学校図書館のシステムは、既存のパッケージをそのまま導入する学校や自治体が多い。導入時に学校や関係機関と協議し、仕様書に貸出記録は残さない要件を盛り込むことを望む。  

 (すずき けいこ:JLA図書館の自由委員会、兵庫県立西宮今津高等学校図書館)

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Vol.110,No.1(2016.1)

「求められる学校図書館担当者の専門性と主体性」(松井正英)

 『はだしのゲン』の提供制限問題を通じてあらためて確認されたのは、学校図書館の資料を収集・提供する権限が、教育委員会でなく学校にあるということだ。先の全国図書館大会分科会で基調講演をした渡邊重夫氏は、こう指摘した。最終責任は校長にあるが、だからといって無条件に権限が委ねられているわけではない。学校図書館担当者が専門性をもって、主体的に運営にあたることを前提としている。それが確保されているか否かは、利用者の多様な要求に応え、知的自由を保障することに大きくかかわってくる。『ゲン』のときは、世論の後押しがあって制限要請が撤回されたが、もしあれが別のマンガだったら果たしてどうなっていただろうか。
 毎日新聞社と全国学校図書館協議会が実施した「第61回学校読書調査」によると、子どもたちが親しんでいるマンガは、学校図書館によく置かれている伝記や平和を扱ったものではなかった。教育現場でマンガが読書の一環として受け入れられつつある中で、学校図書館でももっと積極的にマンガを収集することが必要になってくるだろう。そのとき何を選ぶかは図書館担当者の専門性にかかっている。そして、選んだ理由をきちんと説明できなければならない。
 マンガの事例ではないが、全国図書館大会分科会で報告した埼玉の県立高校では、生徒の希望や進路を考慮して自衛隊の兵器に関する資料を購入したところ、蔵書として不適切だという意見が教員から寄せられた。この高校では、学校司書が中心となって対応した。問題を教職員間で共有するために、図書館担当部署の見解をまとめて職員会議に示し、2回にわたる議論を通して、引き続き提供することについて合意形成を行うことができたという。
 こういう対応ができた背景には、学校司書が日常的に知的自由の保障を意識していたこと、正規の専門職として長年勤務し、校内で議論の場を作る関係性を築いていたことがあるだろう。学校図書館が利用者の知的自由を保障するためには、職員の専門性や主体性の確保が欠かせない。

(まつい まさひで:JLA図書館の自由委員会、長野県茅野高等学校図書館 )

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第109巻(2015年)

Vol.109,No.12(2015.12)

「ネットの海を漂いはじめてしまった図書カード」(熊野清子)

 2015年秋、ノーベル医学・生理学賞、物理学賞と日本人受賞の知らせが相次いだ。さなかの10月5日、神戸新聞夕刊は「村上春樹さん 早熟な読書家〜仏作家ケッセルの長編 高1で愛読〜」との見出しで、村上氏が在学していた県立高校の本から氏の貸出記録が出てきたことを報じた。記事には“「村上春樹」と記名された帯出者カード”の写真が、さらに、同紙の電子版には“村上春樹さんが書いた3枚の図書カード”の写真も掲載された。いずれも借りた生徒の名前がはっきりと読める状態だった。廃棄された蔵書から図書カードを見つけた元同校教員の情報提供で、新聞社が本人らの同意なしに記事にしたようだ。
 昭和30年代はニューアーク式貸出方式が主流で、借りるときには本の内側ポケットの図書カードに氏名を記入していた。しかし、読書履歴は図書館が守るべき利用者のプライバシーであるため、名前の残らない方式が工夫され、現在のコンピュータによる方式でも返却後は履歴を消すようにしている。50年前のものとはいえ、図書カードが新聞に掲載されたことは、これまで利用者の秘密を守るために営々と取り組んできた図書館の努力が無になったようで、特に学校図書館関係者のショックは大きい。
 今回の図書カード流出の背景には、ノーベル文学賞の有力候補とされる村上氏について報道したい意図のもとに、個人情報、わけても人の思想信条につながる読書履歴を無断で掲載してしまった新聞社の軽率がある。また、廃棄された蔵書中の個人情報について、旧職員にも守秘義務があることを注意喚起していなかった高校の軽率もあるだろう。
 ひとつひとつの場面では良かれと行動していても、積み重なると思わぬ結果を生み出してしまう。ネットの海を漂流しはじめてしまった図書カードは取り戻すことができない。図書館員は、「図書館は利用者の秘密を守る」ことをあらためて肝に銘じて日々の仕事にあたり、また図書館がそのために尽力していることを、きちんと理解してもらうように努めてほしい。

(くまの きよこ:JLA図書館の自由委員会)

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Vol.109,No.11(2015.11)

「マイナンバー制度・個人番号カードと図書館」(上野友稔)

 平成27年10月から国民全員に通知されるマイナンバーの活用範囲を拡大する改正マイナンバー法が、9月3日衆議院本会議で成立した。平成28年1月以降には、個人番号カードが申請により交付される予定だ。
 この制度は、住民基本台帳カード(以下住基カード)の図書館での利用を思い出させる。市町村によっては、住基カードの表面に図書館利用カードと同じ体系の番号(利用者番号)のバーコードを貼付するか、住基カードの空き容量に利用者番号を(多くは暗号化して)持たせ、貸出時には住基カードを読み取ることで利用者番号を呼び出して処理している。
 マイナンバーそのものを利用する事務は、税と社会保障、防災関係で、もしそれ以外の事務で個人番号カードのICチップに含まれる空き容量を用いようとする場合には、市町村、都道府県等は条例で定めなければならない。
 しかし住基カードでもそうであったように、普及のために利便性を強調して図書館利用カードとしての利用を促進するために、行政から図書館に対して個人番号カードを利用するよう要請があることも懸念される。仮に図書館が個人情報カードを扱うとなった場合には、住基カードとは違い利用者番号のシールをカードに記載する余白がない、個人番号カードを持たない利用者への配慮、紛失時の対応など複数の問題があるが、図書館の自由の観点からは利用者の読書の秘密を守るという大きな課題がある。
 個人番号カードのICチップ内には、プライバシー性の高い個人情報は記録しないことになっているが、それでも利用者からICチップの空き容量に貸出履歴が分かるように入れてほしいという要望やシステムベンダーからの提案が出てくるかもしれない。行政的な利便性のみを追求するのではなく、読書の秘密を守り利用者のプライバシーを最大限に保護する意味やその情報漏洩のリスクについて、今一度考える必要があるのではないだろうか。

(うえの ともき:JLA図書館の自由委員会、電気通信大学学術情報課)

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Vol.109,No.10(2015.10)

「システム担当者の戸惑い」(喜多由美子)

 学年別のベストリーダーを出して欲しい。児童サービスの担当者なら経験したことがあるだろう。本市のシステムには個別の資料と年齢を紐付けしたような帳票は存在しない。しかし、年度内貸出回数を基にして、似たようなリストを作成できないか試みた。こういうものを年に一度つくっておけば、経験の浅い職員でもある程度は対応できるかもしれないと考えたからだ。自分に与えられた数字をさわっていくうちに、だんだん恐くなってきた。
 子どもの本に限らないことであるが、個々の資料と年齢や性別、住所区分などとクロスしたり、貸出館の特定や貸出期間を比較的短い期間にするなど、条件を細かく付加することができれば、図書館は貸出した資料の履歴を持たないと言いつつ、それに近いものを生み出す危険性があることに気づいた。
 しかし、統計処理上は全く問題なく見える。移動図書館や小さな分館ではこういうものがあると、選書や棚づくりの参考になりそうにも思える。学校図書館の支援にも使えそうだとなれば、誰でも飛びつくだろう。今の技術をもってすれば、システム更新時に機能要件書に加えておけば、実現可能だと思う。
 ここでやっかいなのは、ひとつの自治体の要求が、オプションでとどまってくれたらいいのだが、パッケージに標準で装備されることがあるということだ。個々の都合が他にも波及していく。それが「図書館的に」正しければ良いのだが、そうでない場合もある。こういう機能は必要ないと明記しておかない限りついてくる。図書館の自由に関わる部分であっても、付き合わざるを得ないのだ。しかし、あらゆるベンダーのシステムを熟知していない限り、いらないものを抽出して書き出すことは不可能である。もはや、個々の自治体で要件書を書くのではなく、研究し、情報を共有しながら標準化を目指していく時代が来ていると思う。

(きた ゆみこ:JLA図書館の自由委員会、八尾市立志紀図書館)

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Vol.109,No.9(2015.9)

「自治体ごとに図書館が存在することの意味−「世論」と「権利」と「義務」の狭間で」(平形ひろみ)

 神戸児童連続殺傷事件の元少年Aの手記とされる『絶歌』(太田出版)発売日の6月11日、その1冊の本をめぐり、世論は大きく揺れた。
 世論を受けて、多くの図書館がこの本の購入について、慎重な判断を迫られた。発売当日から、県外からも含めて私のところへも複数の図書館員からの相談があった。それは、図書館は購入するのかしないのかを問う新聞社をはじめとするマスコミ対応に苦慮してのものだった。「リクエストがあり、購入したが、遺族感情に考慮して受け入れを見合わせている。」「購入したとしても、何らかの制限を考えなければ世間が納得しないので、検討中。」というものだ。
 これまでなら、住民から読みたいという具体的なリクエストが寄せられた場合、草の根分けても提供してきたはずの図書館が迷い始めた。蔵書や購入費が少ない図書館にとっては、県立図書館の約半数が購入を見合わせているという中では難しい判断を迫られている。
 発売直後から被害者遺族の1人が加害者と出版社に発売中止と回収を訴え、TV、新聞、週刊誌がそれを取り上げ、出版の是非や、書店や図書館での提供を巡って、かつてないほどの議論がわき起こっている。各界の専門家の意見も多く出始めた。その論議の渦中にある肝心の手記を読まずに、その議論に参加することは難しい。だとすれば、図書館のなすべき事は、どっちだろう?
 憲法が保障している「知る権利」の実現。資料を読みたい人が何でも読めるようにするのが図書館の役割であり、社会的に大きな議論がおきているからこそ、図書館は提供すべきではないのか?
 ある図書館では高齢の方から「絶歌はこの図書館ではどうされるんですか?」と聞かれて、「リクエストがあったので、一冊購入しましたが、何人もお待ちなので、書棚に戻るのは当分先になりそうです。」と答えたところ、「じゃあ、いずれは読めるんですね。」と安堵された様子だったという。
 世論に振り回されて、国民の権利がないがしろにされていいはずはない。図書館には知りたい要求に応える義務があるのだから。図書館は、誰のために何のためにあるのか、自治体ごとに設置されている図書館は、それぞれの自治体における役割を住民とともにしっかり考えていく必要がある。
 それこそが自治体ごとに図書館が存在している事の意味でもある。

(ひらかた ひろみ:JLA図書館の自由委員会、愛荘町立愛知川図書館/秦荘図書館)

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Vol.109,No.8(2015.8)

「この道はいつか来た道−『絶歌』をめぐって−」(井上靖代)(予定)

 好奇心は猫をも殺すという。この好奇心は何だろう。人の場合必ずしも覗き見的好奇心だけとは限らない。知的好奇心の幅は広い。
 自由委員会では、過去の事例を鑑みて、「絶歌」の図書館での対応に関しての原則を確認した(HP参照)。 マスコミが大きくとりあげたためか、JLAに一般からの厳しいご意見やご批判を複数受け取った。個人としての感情と同調した知事や図書館長までが、当該図書を収集対象にしない、あるいは提供制限を行うと表明した。が、専門職司書としての判断は別である。
 「図書館の自由に関する宣言」解説では、“人権またはプライバシーを侵害する”資料に関しては制限する可能性があるとしている。人権とは何だろう。プライバシーとは何だろう。この曖昧な表現への対応を明らかにするには、過去の事例の検討が参考になる。つまり、出版頒布差し止めの司法判断がでた場合、かつ、そのことを伝聞ではなく図書館が認識しており、さらに被害者が直接当該図書館に正式に要請したという条件下では対応を検討することとなる。でなれければ、人権・プライバシー侵害に反対するという御旗の下に、とめどもなく図書館での資料収集・提供制限が行われかねない。
 図書館員は個人的感情に流されず、専門職として判断していかなくてはならない。ノンフィクションかフィクションか、地域資料あるいは犯罪心理学や社会学の学術研究資料として評価することも考えられる。箱というトラップにとらわれて身動きできない猫には資料評価する知的好奇心はない。知的好奇心を活性化させ、過去の事例を検討し、判断しよう。この道はいつか来た道、である。

(いのうえ やすよ:JLA図書館の自由委員会、獨協大学)

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Vol.109,No.7(2015.7)

「捜査関係事項照会について」(米田 渉)

 図書館に警察から捜査関係事項照会の問合せが来たときにどのような対応をされていますか?図書館の利用事実は、個人の内心の自由に関わる重要な個人情報ですので、自由宣言にある「利用者の秘密を守る」ため答えていないと思います。
 ところが、個人情報を重視する方向と違う動きもあります。1999年に警察庁は 「捜査関係事項照会書の適正な運用について(通達)」において「公務所等は報 告することが国の重大な利益を害する場合を除いては、回答を拒否できないものと解される」という通達を出しています。また、「原動機付自動車に係る所有者 情報の取扱いについて(通知)」(平成17年3月29日付総税企第70号)によると、(地方税法第22条の守秘義務に関して)捜査関係事項照会については、相手方に報告すべき義務を課すものである旨閣議決定され、報告義務を伴うことが明確化されました。このように義務であること強調されてきています。
 各自治体の個人情報保護条例の逐条解説においても大きく2つの解説があるようです。一つは、個人情報保護条例の定めるところによらず、個々の法令等の規定の趣旨、目的、対象行政文書の内容、求めに応ずることにより生ずる支障等を総合的に勘案して個別具体的に判断するものとしているところ(新潟県など)で、それとは違って、上記の通達、通知を踏まえたような外部提供が義務付けされている具体例として捜査関係事項照会を挙げているところ(三重県など)もあります。
 改めて確認すると、捜査関係事項照会への対応の原則は、地公法第34条に規定する守秘義務よりも重大な公益上の必要が認められるときに限られると解釈されています。従って、照会が来たときにあわてないように、前もって照会を受けたときに把握すべきことを再確認しておくことだけでなく、例規の解釈でブレが生 じないように自治体の法規担当部署との意思疎通を図っておくことが必要ではないでしょうか。

(よねだ わたる:成田市役所, JLA図書館の自由委員会)

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Vol.109,No.6(2015.6)

「「図書館の自由」を広く理解してもらうために」(天谷真彦)

 先だって滋賀県立図書館で行われた図書館員専門講座「図書館と指定管理者制度を考える」に参加した。内容は賛成反対に分かれてのディベートで、参加者はそれぞれ2グループずつに分かれて作戦を練り対戦する。私は反対のグループになった。グループ内の意見交換では公の立場をどう強調するかということに重点を置いて議論が進められた。
 2005年8月に日本図書館協会が出した見解「公立図書館の指定管理者制度 について」は根拠の1つに「図書館の自由に関する宣言」を挙げているが、知的自由を保障する上での指定管理者制度の弊害は具体的に提示されていない。2010年3月に更新された見解は「司書集団の専門性の蓄積」と「所蔵資料のコレクション形成」を図書館が直営であるべき第一の理由としている。この2つは図書館が知的自由を保障をするために必要不可欠な要素である。
 ディベートは、事業仕分け等の行政改革部局や住民に聞いてもらう場を想定したものだった。賛成グループは、集客力の強み、イベントと開館時間の増加、コストの削減などを主張し、反対グループはあくまで知的自由を自治体が直接保障することの重要性を訴えた。オーディエンスは住民役になって投票を行い、2戦の結果は1勝1敗となっ た。受ける利益の明快さがいかに強く影響するか痛感させられた。
 プレゼンの説得力、技術の向上はもちろん必要なことだが、それと同時に知的自由の保障について、図書館の自由について、普段から行政組織の中で理解を得るように努めていなければ、提案が出てきたときに図書館は孤立してしまう。他部署との協議、情報交換の場においてこのことを常に意識する必要があると感じた研修だった。

(あまたに まさひこ:JLA図書館の自由委員会、守山市立図書館)

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Vol.109,No.4(2015.4)

「図書館の自由からみた学校図書館法改正」(山口真也)

 先日、学校司書として働いている教え子が研究室に遊びに来たときに、選書の悩みを話してくれた。教え子の学校では選書の仕事は司書に任されているが、購入する本はリストにして学校長に回覧しなければならない。校長先生も忙しいからしっかりは見てないと思うが、リクエスト本の中には注意を受けそうなものもあって、自己規制しがち…という話だった。学校図書館の選書の権限は誰にあるのだろう。
  学校教育法には「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」(37条4)と記されている。「校務」の中には学校図書館の教育活動も含まれるため、選書の権限は校長が持っているように読み取れる。しかし、伝統的な教育法の解釈では、この条文は校長が一方的に何でも決定できる権限を示しているわけではないともされてきた。例えば、学校教育法は同じ条文の中に「教諭は、児童(生徒)の教育をつかさどる」という項も設けている(37条11)。つかさどる職が2つあるのは矛盾を感じるが、このことは「校長は、児童生徒の教育を掌る教諭の専門的な判断を尊重する必要がある」という解釈を可能にする。実際に子どもと接している教諭の判断を抜きにして、校長の一存で全てが決められるわけではないのである。
 学校図書館法では学校図書館での教育活動を専門的職務と認め、それをつかさどる職が校長以外に存在することも記されている。選書もその職務に含まれるから、当然、専門職の判断が重視されなければならない。しかし、学校図書館の専門的職務をつかさどる職は、4月からの改正法施行(学校司書法制化)を経ても司書教諭のみであり、利用者と日常的に接している学校司書は含まれていない。専門職としての自立性が法的に認められなければ、選書における自己規制はどうしても起こりやすくなるだろう。そうした問題は選書(資料収集)だけでなく、資料提供やプライバシー保護などの場面でも起こりうる。
 今回の法改正は資格制度や雇用のあり方など検討課題が多いとされるが、「図書館の自由」という観点からもその問題点の検証が必要だろう。

(やまぐちしんや:JLA図書館の自由委員会、沖縄国際大学 )

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Vol.109,No.3(2015.3)

「風刺画と図書館」(井上靖代)

 2015年1月パリで起こったシャルリーエブド新聞社襲撃事件は世界に衝撃を与えた。いちはやくアメリカ図書館協会(ALA)や欧州図書館連合協会(EBLIDA)、英国図書館情報専門職協会(CILIP)そして国際図書館連盟(IFLA)が意見表明をおこなっている。宗教が生活に染み込んでいる欧米社会にとって大きな事件であるとともに、図書館にとって表現の自由の保障は大きな意味があるからである。同じような事件は2005年にデンマークの新聞にモハンメドの風刺画が掲載された際にも起こっている。
 多言語社会では言語表現による主張よりも、視覚的イメージで主張するほうが伝わりやすい。いい意味でも悪い意味でも。紛争のある地域から欧米中心の言語とは全く別の言語・文化意識や生活習慣などを抱えた多くの移民が欧米へやってくる。そういった新移民にわかりやすいのが風刺画やマンガなどの画像イメージである。画像イメージを通じて何らかのメッセージを読者は受け取る。それは絵本を見て、そのメッセージを「読み取って」「理解」していくプロセスと同じようなものである。読者がどのように受け止めて、どのような思想を形成していくかはわかりにくい。読者すべてが絵本を見て、意見を明確に論理的には主張しないからである。しかし、風刺画やマンガについては議論対象となることが多い。 
  「良い」絵本はどれか、「悪い」絵本はどれかを図書館員は選択し、図書館資料として所蔵する。だが、すべての図書館資料選択に際して、利用者やほかの図書館員の意見や考えをまったく考慮せず、「悪い」と即断して排除することはリスクが大きい。風刺画やマンガを図書館の資料にするかどうかの選択も同じことではないだろうか。日本は単一民族社会ではない。多様な人々が住む社会である。それをふまえて、それでもなお、知りたい人に知りたい情報を提供するのが図書館員である。襲撃を恐れて自己規制を始めたら図書館員の使命は失われるだろう。図書館員は、誰のために、何のために、仕事をしているのか再度考えてみよう。

(いのうえ やすよ・JLA図書館の自由委員会、獨協大学)

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Vol.109,No.2(2015.2)

「初任者に「図書館の自由」を説明すること」(奥野吉宏)

 来年度に向けて、初任者向けの図書館業務入門書を府の図書館連絡協議会で作成することになり、図書館の自由についての節を私が執筆することとなった。そこで感じたことは、図書館の自由の理念や歴史・実例までを入門書にふさわしい内容と量にまとめることの難しさと、そのためには自分自身まだまだ学ぶべきことが多いということである。
 さらに執筆を難しくしたのが、初任者とひとことにまとめても多様な立場の職員が対象になることである。司書として新規採用された正規職員、嘱託や臨時といった非正規で採用された職員、そして役所の中で図書館に異動してきた職員も含まれ、司書の資格の有無から年齢・役職まで大きく異なっている。
 そのような状況で司書資格を持たない職員にこの入門書を渡した場合、目次にある図書館の自由という項目を見て、なぜ図書館の入門書に自由という言葉が出てくるのかも、図書館の自由が指す本来の意味も、まるで分からないだろう。そのような職員にも理解してもらえるよう、「図書館の自由に関する宣言」というものがあることから説明を始めることとした。
 さて、完成に向けてまとめられつつあるこの入門書は、実務の部分が内容の中心になる予定であり、それを読む初任者の職員も最初にその部分に目が行くと思われる。その中であっても、図書館には図書館の自由があるということを覚えていてほしいと考えている。それは、図書館の自由に基づき積み重ねてきた事例は、図書館を運営する中で問題が発生したときに解決へのヒントを与えてくれるからである。
 問題が発生したときには、図書館の自由の視点からの検討も行うようになってほしい。そしてこの入門書がその一助になればと考えている。

(おくの よしひろ:JLA図書館の自由委員会、京都府立図書館)

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Vol.109,No.1(2015.1)

「図書館と防犯カメラ−図書館にふさわしい運用基準を−」(鈴木章生)

 日常生活において防犯カメラがある光景は、ありふれたものとなっている。商業施設、金融機関、公共交通機関などの人が集まる場所はもとより、集合住宅の入り口、さらには一般家庭でもカメラを設置していることがある。この背景には、記憶媒体の大容量化や低価格化、ネットワーク上でカメラを遠隔操作することが可能になるなどの技術向上があるというが、犯罪の抑止効果への期待から、カメラを設置すること自体が、一定程度社会に受け入れられているのも一つの理由であろう。
 このような状況を踏まえれば、図書館においても、利用者と資料を守るという目的の下、防犯カメラの設置が進んでいる状況があると推測される。しかし、言うまでもなく、カメラによる録画記録は、図書館の利用事実に関わるプライバシー情報を含んでおり、設置の根拠や目的、カメラ設置の利用者への周知、録画記録の取り扱いを含めた運用方法等について慎重な検討が求められる。
 カメラ設置の効果を含めたその是非についてもさらなる議論の余地があろうが、仮に設置するとしたならば、運用基準を定め、それを利用者へ公開するべきである。その基準に関しては、自治体の個人情報保護条例に依拠するものが見受けられるが、これに満足することなく、図書館が独自に厳格な運用基準を定めている事例があることに注目する。すなわち、図書館の自由に関する宣言の趣旨、思想・信条等の機微な情報を扱う図書館の性質を前面に打ち出し、例えば、録画記録の保存期間を他の公共施設のそれよりも短く規定している、あるいは、目的外利用や第三者への提供について、「日本国憲法第35条に基づく令状を確認した場合」との条項を設けている(つまり、任意の照会には応じない)運用基準がある。
 図書館の自由委員会としては、このような運用基準の事例を広く収集・検討して紹介したいと考えています。各図書館からの情報提供をお願いする次第です。

(すずき あきお:JLA図書館の自由委員会、栃木県立図書館)

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第108巻(2014年)

Vol.108,No.12(2014.12)

「ICT時代の「図書館の自由」」(村岡和彦)

 近年開館したある公共図書館から、その館の図書館システムで貸出履歴が返却後も残され簡単に閲覧できることが昨年明らかにされた。返却後消去される貸出記録とは別に、資料IDごとに過去に貸出された利用者IDの一覧が作成・保存されていた。これはある大手ベンダーの特定のパッケージソフトの基本仕様だった。同じシステムを導入した他の自治体の図書館への聞き取りでは、仕様書で明示的に禁止していたにもかかわらずパッケージの修正無く納入されていたり、改善を要求しても「システムが不安定になる」ことを理由に改善対応がされない等の事例があった。「貸出記録はその本が返却された後は残さない」という図書館業界での大前提が、図書館業務管理の土台となるシステムで事実上無視されていた。あくまで特定のパッケージの問題だが、衝撃的な事実である。
 もっともこの事例はベンダーに「図書館の自由」を無視するという明確な意図があってのことではなく、図書館とベンダーとの間の対話の不十分さの結果であるだろう。ただし図書館システムをめぐるベンダーとの対話のノウハウや規準が確立しているわけでもなく、個々の図書館での対応には限界がある。図書館システムをめぐってはこの他にも、システムの運用上生成と保存が不可欠なシステム・ログの中に貸出記録が含まれていることも既に知られている。「貸出記録を残さない」という原則は、図書館がコンピューターを導入した時点で実は破綻していたのだが、この事実と「図書館の自由」の提示する原則との間の論点整理はなされないままだ。
 ICT時代に「図書館の自由」を貫くためには、図書館界全体の課題として、こうした事実を基本においた擦り合わせをICT関係者との真摯な意見交換を通じて行っていくことが必要となる。今後当委員会として必要で可能な取り組みを、館界内外各関係者のご協力を仰ぎつつ進めたい。

(むらおか かずひこ:JLA図書館の自由委員会、大阪市立天王寺図書館)

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Vol.108,No.11(2014.11)

「展示コーナーに掲げられた「図書館の自由に関する宣言」」(三上彰)

 多くの図書館が直面している問題であろうが、私が奉職する図書館も来年で築45年となり、資料の増加と書架の狭隘化には頭を悩ませている(蔵書数は約52万冊で開架を基本としているが、閉架書庫がないため約20万冊は外部倉庫で保管中)。それでも、図書館を利用する学生たちが少しでも図書館に親しみを持ち、また来たいと思えるように、ソフト面の工夫等で試行錯誤している。
 他大学の新図書館等のように展示コーナーを広くとることはできないが、図書館の入口付近の限られたスペースで、学生や利用者が興味を持ってくれそうな展示を行なうように努めている。今年の夏には初めて学生選書ツアーを行ない、参加した学生たちには、選んだ本のうちからぜひ紹介したいと思う本のポップを作成してもらい、本とともに展示した。
 展示コーナーでは、新着図書や職員による企画展示も行なっているが、読書運動プロジェクト(キャンパス内に読書の輪を広げていこうと、学生・教員・図書館・生協の協同で2006年から始まった活動)の学生たちにも、おすすめの本の紹介をしてもらっている。先日は"薄くて濃ゆい本"というテーマで、200ページ以下だが内容の濃い本を展示していた。
 夏休みが終わりに近づいた頃、学生たちが展示コーナーの模様替えにやってきた。今回のテーマは「図書館戦争」で、有川浩著の『図書館戦争』シリーズはもちろん展示されていたが、マインドマップのようなイラストがあり、この言葉からイメージできるもの、関連があるものが描かれていた。「図書館」や「戦争」に関する本や雑誌、ニュースでも大きく取り上げられていた「集団的自衛権」に関する本などが、学生たちの紹介コメントとともに展示されていた。マインドマップの中には、『図書館戦争』の中にも登場する「図書館の自由に関する宣言」も掲げられていた。「図書館戦争」をキーワードに、そこから連想できること、社会で話題になっていること、図書館の根本に関わることまで取り入れた展示を行なった学生たちの想像力に感心するとともに、この展示を見たほかの学生たちが「図書館の自由」に少しでも興味を持ってくれれば良いなぁ、と感じている。

(みかみ あきら:JLA図書館の自由委員会、桜美林大学図書館)

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Vol.108,No.10(2014.10)

「資料回収を求められたら:誤りをどう正すか」(前川敦子)

 英科学誌Natureに掲載されたSTAP細胞論文2件は、著者の申し出により7月に撤回(Retract)された。こうした場合、冊子版・電子版での論文へのアクセスや文献データベース上での取り扱いはどうなっているだろうか。
 Natureの方針では、論文の撤回が行われる場合、冊子版及び電子版の最新号に撤回の事実とその理由を告知する記事が発行される。電子版の元論文に撤回の事実と撤回記事の書誌事項が示され、相互の記事にはリンクが形成される。元論文のPDF各ページにはRetractedとマークが入るが、論文そのものの差替や削除は行わない。撤回告知記事は、元論文の書誌事項を含む形でMEDLINE(PubMed)にも収録される。ここでも元論文の索引記事は削除されず、撤回告知記事と相互にリンクされる。
 すべての学術誌やデータベースがこうした対応をしているわけではないが、元論文には手を加えず保存し、訂正や撤回は別に発行する記事によって行う考え方が、多くの検討を経て国際的に主流となっている。わが国でも医中誌WebやJ-STAGEが同様の方針を採用・推奨している。記録が失われれば、誤りの事実そのものも失われる。著者や出版者には、誤りの記録も引き受ける責任がある。
 図書館には資料回収要請がしばしば送られてくる。中には、奥付の書誌事項は同一のまま、軽微とはいえない変更を加えた資料との交換を求めてくる出版者もあり、出版倫理上不誠実なようにも思われる。そもそも図書館には、資料を後世に伝え利用者に提供する役割、「知る権利」を保障する責任がある。図書館は、発行者の撤回告知の情報を得たなら、著作物への告知記事の貼付(正誤表と同様に)や目録上の補記・注記は業務として行うとしても、著者や出版者が求めたからといって回収に応じる必要はない。

(まえかわ あつこ:JLA図書館の自由委員会、神戸大学附属図書館) 

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Vol.108,No.9(2014.9)

「改正児童ポルノ禁止法  法人は自己の性的好奇心を満たす意思は無い!」(伊沢ユキエ)

 6月18日、児童ポルノ禁止法(平11・5・26法律第52号)が改正された。今回、大いに関心を持っていたのは、児童ポルノの定義の明確化 、漫画等創作物を規制するか、単純所持規制が図書館に及ぶかであった。
 改正の内容を見ると、児童ポルノの定義については第2条3項3号に「殊更に児童の性的な部位が露出され又は強調されているもの」と追加されかなり明確になった。第3条(適用上の注意)には、新たに「学術研究・文化芸術活動、報道等に関する国民の権利及び自由を不当に侵害しないように…略…本来の目的を逸脱して他の目的のために濫用することがあってはならない」と書き込まれた。
 漫画など創作物の規制に関しては、6月4日の衆議院法務委員会で土屋委員(自民)の「漫画が表現の自由とか創作活動を委縮させるといわれ野放しになっているが良いのか」に対し、谷垣法相は「実在の子供の権利を守ることであって…社会的法益を守るものではなく個人的法益を守る…従ってコミックスは罰せられない」と答弁した。
 単純所持の問題については、枝野委員(民主)は法案提出委員と政府参考人に答弁を求め、単純所持を処罰するのではなく「自己の性的好奇心を満たす目的で自己の意思に基づいた所持」だけを処罰する規定であることを確認。その上で図書館、アーカイブス、報道機関、出版社などの所持について質問。答弁者は「…そもそも性的好奇心を満たす目的を法人は持た」ず、「廃棄、削除等の具体的義務を課すものではない」と答えている。
 その後、雑協、書協は定義が依然曖昧、単純所持処罰は表現の自由を委縮させると反対声明を出し評価は厳しい(新文化6/12号、文化通信7/7号等)。賛否両論はあろうが、図書館の所持は資料の保存の観点からも明確に対象からはずれるなど評価できる部分もあるだろう。閲覧についてどう考えるか課題は残る。核心を見失うことのない論議を続け、恣意的に解釈されることの無いよう監視していきたい。

(いざわ ゆきえ:JLA図書館の自由委員会、横浜市磯子図書館)

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Vol.108,No.8(2014.8)

「研修の機会はありますか」(田中敦司)

 毎年4月は職場に新人がやってきます。新人といっても、全くの新規採用の場合と他の職場から異動の場合があります。ただ、図書館で働くのが初めてという意味では、どちらも新人といっていいでしょう。
 どこの職場でも研修があります。名古屋市の図書館では、中央図書館だけでなく、すべての図書館の新人を対象に、毎年、新任職員研修が行われます。さまざまなカリキュラムがありますが、その中に「図書館の自由」という科目があります。前年度の自由委員会委員長が講師になるのが通例です。内容は、「図書館の自由に関する宣言」の紹介を始め、利用者の秘密を守ることの重要性、過去の事例とその解決の仕方など盛りだくさんです。実際の事例を紹介するだけでなく、それについてどのように対処したらよいかを、受講者に質問して答えさせることもあります。
 この研修の対象者には、区役所などの課長職から分館長に異動した方や、学校長を退職して図書館奉仕調査員(嘱託員)になった方も含まれます。こうした方々にとっては、図書館の自由という考え方が、とても新鮮に映ることがあるようです。逆に言えば、この研修が図書館の自由のPRの場になっているとも言えます。また、窓口業務等の委託を行っている館については、受託業者に業務説明をする中で、「図書館の自由と職員の倫理」という項目を盛り込んでいます。
 こうした研修の開催状況が『図書館の自由に関する全国公立図書館調査2011年』(日本図書館協会2013)でわかります。これによれば、研修への職員派遣を含めても、行っていると答えた図書館が16.7%、すなわち8割以上の図書館では行われていないのです。とても残念だと感じています。
 図書館で働くということは、図書館の原則を知ることから始まります。その最初の段階で「図書館の自由」について知ることは、とても大切だと考えます。日本図書館協会図書館の自由委員会でも、講師派遣をお引き受けしています。「図書館の自由」に関する研修が、多くの図書館で新人に向けて実施されることを期待します。

(たなかあつし:JLA図書館の自由委員会、名古屋市瑞穂図書館)

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Vol.108,No.7(2014.7)

「『アンネの日記』破損事件から考える」(松井正英)

 今年の2月に東京近辺の公立図書館で、『アンネの日記』や関連図書のページが大量に破り取られていた事件は、まだ記憶に新しい。破られたのが『アンネの日記』だけにナチスによる焚書を髣髴とさせたが、警視庁の発表によれば、容疑者にあまり思想的な動機は認められないとのことだった。
 ここでは、この事件を受けた図書館の対応について、二つのことを考えたい。
 一つは、所蔵している関連図書を守るために、複数の図書館で書庫やカウンター内に移すなど閉架措置をとったことである。もちろん、閲覧の自由と資料保護との間で葛藤し、議論を重ねた上での苦渋の選択ではあっただろう。しかし他方で、職員の見回りを強化したり、カウンター前に特集コーナーを設けたりして対応した図書館もあると聞く。職員に声をかけて閉架から取り出してもらうことに、プレッシャーを感じる利用者がいるのも事実である。話題になっているときこそ、提供の自由の意義は大きい。閉架はやむをえない措置であったか、それを決定するまでのプロセスは十分だったかを、いま一度検証する必要があるだろう。
 もう一つは、図書館の監視カメラに、容疑者と思われる人物が映っていたという報道があったことである。いまや巷に監視カメラが溢れ、犯罪捜査に役立ったという報道も日常的で、人々の抵抗感がかなり薄れている。しかし、閲覧スペースのカメラは利用者のプライバシーに大きくかかわってくる。カメラは本当に必要なのか、設置するならどこか、記録した映像をどのように管理するか、捜査機関への対応はどうするか、などについて十分に議論した上で、ルールを成文化しておくことが必要なのはいうまでもない。
 図書館の自由を脅かすのは外からばかりでないことをあらためて肝に銘じ、利用者の立場に立って日頃の業務を見つめ直したい。

(まつい まさひで:JLA図書館の自由委員会、長野県茅野高等学校図書館)

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Vol.108,No.6(2014.6)

「私たちは、市民に支えられている−「図書館の自由」は「だれのもの」」(西河内靖泰)

 ある日、私の職場に関西地方のある市民の方から電話がかかってきた。地元の図書館にリクエストした本を何度も断られたのだが、その理由にとても納得できなかった。リクエストした本を頭から否定されたように感じ、自分が何か間違っているのかと思い始め、これではここにいても落ち着かない、他の市に引っ越そうと思ったという。そう決意されたころ、たまたま図書館で「図書館の自由に関する宣言」の存在を知り、拙著を読んで私のところに相談されてきたのだった。話を聞くと、私にもリクエストされた本を断った理由は納得できないものだったから、この方がもたれた疑問や不満は真っ当なもので、その図書館の対応は問題があるように思うと答えていた。
 相談を受けて、その図書館に他の委員とともにヒヤリング調査に出かけ、相談の内容通りの事実であることを確認した。これではまったくかみ合わないし、市民の不信・不満は出てきて当然だろう。ただ、この図書館の名誉のために付け加えておくと、調査での私たちの話から自分たちの問題点を理解して反省され、その後市民の方に謝罪し、私を講師に「図書館の自由」についての図書館職員研修を実施している。今後のこの図書館のサービスに期待したい。
 さて、市民の方からは「自分が感じていた疑問や不安が『自由宣言』を知って理解できた」「読みたい本を否定されることは、基本的人権をないがしろにされることだから、こんなにつらかったんだ」「『自由宣言』に力づけられた」といっていただいた。また「自分は間違っていなかったんだ」と引っ越すことを考え直したそうだ。
 日図協が1954年5月に「自由宣言」を採択してから今年で60年となる。多くの図書館で「自由宣言」を普及・啓発するためのポスターが貼ってある。この方も図書館を利用する中で「自由宣言」の存在を知り、私のところに電話をくれたのだ。そのことがうれしかった。ほんの少し前まで「自由宣言」の存在を知らなかったという普通の市民の方から「『自由宣言』で力づけられた」といってもらえたことに、「自由宣言」の意味を改めてかみしめている。「図書館の自由」という原則は、まぎれもなく「市民のため」のものであることを。

(にしごうち やすひろ・JLA図書館の自由委員会、滋賀県多賀町立図書館)

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Vol.108,No.5(2014.5)

「図書館の法律顧問−「調査嘱託」の事例から」(山家篤夫)

 昨年末、ある県立図書館から、「高裁から3年前の拘置所在監者からの新聞記事提供記録の照会を受けた.民事訴訟法186条に基づく調査嘱託で、刑訴法197条2項の捜査関係事項照会への対応と同じでよいと考えるがどうか」と相談があった。ここで調査嘱託とは、民事裁判の当事者が、事実認定の証拠資料を得るために、裁判所が公私の団体に対して調査・報告を求めるよう嘱託する制度。裁判所は文書で調査・報告を求める。裁判所は事前に調査の必要性を吟味するとされている。捜査関係事項照会と同様、報告を拒否しても罰則や制裁はない。
 一昨年、(株)ソフトバンクが顧客情報に関する調査嘱託への報告を拒否したところ、調査申請者が損害賠償を求めて提訴した事件で、東京高裁は賠償請求は退けたものの、正当な理由がなく報告を拒否した場合は調査申請者への損害賠償責任が生じうるとした(『判例時報』2168号65p〜)。
 自由委員会では、図書館が特定図書の寄贈事実に関する調査嘱託を受けた事例に接したことはあるが、今回の調査内容は特定の人の読書事実である。本人承諾のない第三者開示は行うべきではない。相談者はこのことをよく承知されているようだったが、報告拒否が訴訟に展開することがないとはいえず、念のため本庁の法務担当と相談の上対応するよう勧めた。さて、相談者・図書館の意図は法務担当に通じただろうか。
 ALAの「知的自由マニュアル」はこのような場合「当該図書館の法律顧問に相談しなくてはならない」(『図書館の原則』改訂3版280p)としている。日本で法律顧問をもっている公立図書館はないだろうから、本庁の法務担当に自由宣言−この場合はその第3「図書館は利用者の秘密を守る」を日頃から知ってもらっておくことが大切だ。

(やんべ あつお:JLA図書館の自由委員会)

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Vol.108,No.4(2014.4)

「「はだしのゲン」閲覧制限措置問題に思う」(鈴木啓子)

 中沢啓治著『はだしのゲン』が、学校図書館で閲覧制限になったことを聞いた時は驚いた。新聞報道を見ていくと、以下のことのようである。
市民が誤った歴史認識があるとする『はだしのゲン』を学校図書館から撤去するように松江市教育委員会(以下、市教委)に要請したのがはじまりで、市議会にも陳情したが不採択となった。だが、2012年12月に市教委は、過激な描写が子どもにふさわしくないとして『はだしのゲン』を市立小中学校に閉架するように要請し、学校がそれに従った。市教委は、「閲覧や貸し出しの全面禁止でなければ、図書館の自由を侵さない」と判断し、閲覧制限を要請したそうだ。2013年8月にこの問題が公になり、市教委は、手続き上の不備を理由に要請を撤回し、学校独自の判断にゆだねた。 
 本校では、9月に「はだしのゲン」閲覧制限措置問題の新聞記事とともに、『はだしのゲン』とその関係書や「図書館の自由」の本を展示した。学校図書館の資料に関する問題が起こったことを知って、実際にその資料を見ることで生徒たちに考えて判断してほしい、また、この問題は読書の自由の保障と関わることを伝えたいと企画した。
 この問題が起きたことで危惧するのは、資料収集の自主規制である。日本図書館協会図書館の自由委員会は、2013年10月21日事情聴取(ニューズレター「図書館の自由」第82号に掲載)を行ったが、市教委は、今回の問題をきっかけに各学校で選書基準をつくることと保護者や地域の意見を聞くことを始めているそうだ。図書館は、資料提供のサービスを行う機関であることを念頭に、利用者にとっての選書基準をつくってもらいたい。
 知る権利を保障する図書館の理念をもって、子どもたちの知的好奇心に応えるのが学校図書館の役割である。様々な資料がある中で、子どもたちは、自ら考え、育っていくのではないだろうか。

(すずき けいこ:JLA図書館の自由委員会、兵庫県立西宮今津高等学校図書館)

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Vol.108,No.3(2014.3)

「学校図書館が所蔵する『はだしのゲン』をめぐって−東京都内の状況−」(佐藤眞一)

 松江市教育委員会が、市内の小中学校に対して学校図書館の所蔵する漫画『はだしのゲン』の閲覧制限措置を求めたことは昨年8月に報道された。これに端を発して、東京都内でも、学校図書館からの撤去を求める請願・陳情が昨年9月から東京都と5区(港、練馬、足立、中野、大田)1市(西東京)の教育委員会に提出されている。(2月12日付JLAメールマガジン第690号で既報)
 このうち練馬区教委では、自由閲覧継続を求める陳情、撤去を求める陳情がそれぞれに対抗して計7件提出された。陳情は一括審議され、全委員が各自の意見を述べ、委員長が区教委としてのまとめを提案、全陳情が不採択となった。経緯が会議録として区HPに掲載されているが、
 ・図書の選定は、授業の実情や子供たちの発達段階に応じて学校の裁量で行っている。これからもそうあるべき。
 ・(選定ツールとして)全国SLAが作成している選定基準は順当であり、これからも各学校はこれを参考にしてほしい。
 ・特定の図書について批判したり、推薦したりする陳情を教育委員会が採択することは、各学校の選書に対する公平性や公正性をゆがめる。
という、たいへん説得力のある理由が述べられている。
 一方、都教委は公立学校での自由閲覧維持を求める請願と撤去を求める請願計12件を審議し、いずれの請願にも応じられないとする回答をまとめている。回答には練馬区と同様「校長は図書館資料の選定事務について権限と責任を有している」と明記し、公立図書館での選定についても「館長の権限と責任において資料の収集と提供を行っており、収集した資料は原則公開」と言及している。
 練馬区の対応は、他の自治体に参考となる事例であり、都の対応も今後の都内自治体の判断に影響すると思われる。

(さとう しんいち:JLA図書館の自由委員会、東京都立多摩図書館)

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Vol.108,No.2(2014.2)

「『週刊朝日』2012年10月26日号掲載記事の閲覧制限から1年」(喜多由美子)

 『週刊朝日』2012年10月26日号が橋下徹大阪市長の出自に関する記事を掲載した。八尾市教育委員会はこの記事に問題があるとして、10月23日から市立図書館での閲覧制限(該当部分を袋とじにする)を決めた。
 これまで図書館では“問題がある”とされた資料の取り扱いについては時間をかけて議論するのが慣わしだった。ところが今回は十分時間をかけたとはいえなかった。資料の提供に関する明確な指針、制限する場合の手続きに関する文書やマニュアルもない中で、対応を決めていかなければならなかった。
 貸出制限が報道されると、その対応に追われた。カウンターに出るのが怖くなった私は、できるだけ利用者と目をあわせないようになっていた。「下ばっかり向いてんと、ワシらの方ちゃんと見ててや」と利用者に言われたときには、厳しい言葉の中に図書館に対する深い愛情を感じて涙がでた。そんなとき、同僚の言った言葉が忘れられない。「私ら、こんなに愛されてたんや。本だけ借りれてそれで満足やったら、だれも文句を言いに来はりませんよ。この人らの期待裏切ったらアカン」この言葉でそれまで重苦しかった職場の空気がガラリと変わった。それまで何でも他人任せだったのに、小さなことでも情報を伝えてくれる職員や、図書館の自由の問題で分らないことがあれば私に質問してくる人も増えた。館内では休憩時間などでも今回の対応の問題点や今後について活発に議論が始まった。
 これまでの対応を反省し、これまでおこってきた自由の事例ついて学習してきた。また、資料提供方針や制限をする場合の手続きの明文化についても議論を深めている。あれから1年が経ってしまった。外からは全く変わりないように見えるかもしれないが、私たちは着実に変わろうとしている。

 (きた ゆみこ:JLA図書館の自由委員会、八尾市立山本図書館)

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Vol.108,No.1(2014.1)  休載


第107巻(2013年)

Vol.107,No.12(2013.12)

「「特定秘密保護法案」と図書館」(井上靖代)

 出版界などマスコミはいっせいに「特定秘密保護法案」に反対する動きを見せている。担当大臣が西山事件(「沖縄返還密約事件」)を例にあげ必要性を述べたのは、マスコミの神経を逆なでするようなものである。ウィキリークスやスノーデン事件に脅かされたからなのだろうか。公務員には守秘義務があるにも関わらず、さらに上乗せする形での法律制定の動きには首をかしげざるをえない。では図書館との関わりはどうか。
 図書館は人々の知る権利を保障する役割をはたす使命がある。しかし、その知りたいという情報が「特定秘密」とされ、秘匿され続けるとすれば密室政治の出来上がりとなる。国会図書館に『合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権実務資料』の閲覧制限要請をおこなった実例もある。この「特定秘密」に過去の行政や外交情報等が含まれるとすれば、図書館や文書館などアーカイブ機能や役割をもつ機関にも影響は及ぶ。永年指定ではなく、時限指定とし、情報公開を前提としなければ、秘密は秘密として闇に葬られてしまう。国政レベルだけではなく地方行政レベルにまで波及する可能性がなくもない。
 『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ 東京創元社刊)を映画化した作品がある。そこで修道院図書館の秘密を守るべく司書マラキーアは「だめだ!」と叫び、図書館の本へのアクセスを拒否してしまう。まじめすぎる図書館司書は決められたとおりに秘密を守り続けようとするのかもしれない。が、秘密はいつか暴かれる。図書館員の役目は廃棄することなく、「特定秘密」とされた資料を堅持し、いつかは人々の眼前にさらけ出すことをひたすら努力し続けることなのだろう。

(いのうえ やすよ:JLA図書館の自由委員会、獨協大学)

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Vol.107,No.11(2013.11)

「杞憂と杞憂と悲観−「はだしのゲン」閲覧制限に関して−」(河田 隆)

 「はだしのゲン」閲覧制限のニュースを聞いた時、まず思ったのは「他に波及しないか」という事だ。これをきっかけに、全国の議会等で追求を受けて「ゲン」を閲覧制限にする図書館が続出するのではないか‥‥。幸いにも私の予想は杞憂に終わり、マスコミ等世論の反応はおおむね良識的で、報道されてから10日ぐらいで閲覧制限の撤回となった。やれやれ一安心と思ったのだが、果たして、本当にそうか。
 新聞によると、今回の閲覧制限のニュースを受けて、松江市教育委員会には様々な意見が寄せられたそうだ。閉架措置に反対する意見が多数を占める一方、賛成意見も3割あったと言う。閲覧制限を良しとする考えが、この社会には厳としてある。それは、いろいろな機会に、図書館に対する圧力となって現れるに違いない。
 今回のケースは、マスコミに大きく取り上げられて世間の注目を集めたので、しばらくは表立った動きはないだろう。しかし、もっと後で、もっと目立たない形で、閲覧制限の要求が出てくる事は考えられる。
 もっと怖いのは図書館の自己規制だ。いつの間にか「ゲン」や平和関連の本が書架から消えたり、ひどい場合は廃棄になったり。そこまで露骨なことをしなくても(それだと、さすがに大問題になるだろうから‥‥)、新規購入を控える館は現れるかもしれない。今回の「ゲン」であれ、あるいは反対の立場の本であれ、問題になりそうな本をあらかじめ購入しないで置けば、追求を受けても大丈夫というわけである。
 うっかり、皮肉な書き方をしてしまった。どうも自由委員会なんてところに居ると、いろいろ望ましくない事例まで見せられるせいか、ものの見方が悲観的になって仕方がない。もっとおおらかに、日本の図書館の未来を信じたいものである(おっと、また皮肉が‥‥)。

(かわた たかし:JLA図書館の自由委員会、松原市民図書館)

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Vol.107,No.10(2013.10)

「図書館にはまず人を」(平形ひろみ)

 縁あって、滋賀県愛荘町の図書館に勤め始めて1年半が過ぎた。13年目、19年目を迎えるこの町の2つの図書館は町民から愛され、まさしく「地域に根ざした図書館活動」が行われている。高齢者の利用も多く、1960年代にはやったテレビの脚本家の作品を全国の図書館の蔵書から探し出して提供したり、質問者が覚えているわずかなストーリーの断片から子どもの頃に読んだ懐かしの絵本探しを手伝ったり、公共図書館のみならず大学図書館でも所蔵していない日系移民研究のための最近の洋書のリクエストを受けたりと、職員は日々奮闘している。
 滋賀県には、近隣の東近江市の図書館をはじめとして、地域になじみ、使い込まれている図書館がいくつもある。こうした図書館は、一朝一夕にできるものではない。 専門職として採用された司書が中心となって、年月をかけて町民の様々な要求に応えるための資料を蓄積し、 知識や経験を積み重ね、地域の人々に信頼されるべく長年努力してきた結果である。
 滋賀県に限らず、こうした図書館は各地にある。例えば多賀城市。宮城県にあるその図書館は2つの分室と移動図書館1台で市内の全域サービスを実現させている。東日本大震災の時にも、自然と人が図書館に集まってきて、結果としてしばらく避難所として機能した。これも住民からの日頃からの信頼があってこその事であろう。
 図書館とは、老若男女、あらゆる年齢層の人々の為に存在する。地域の誰もが何か知りたい事があったとき、行き詰まったとき、心のよりどころとして機能する。図書館の自由はそこにこそ存在する。「図書館の自由に関する宣言」の主文冒頭には、「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由を国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。」とある。この使命を果たすためにも、そのことを絶えず考え行動する専門家の存在が不可欠である。「図書館にはまず人を!」それがなくては、何も始まらない。

(ひらかた ひろみ:JLA図書館の自由委員会、愛荘町立愛知川図書館/秦荘図書館)

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Vol.107,No.9(2013.09)

「気になるビッグデータのゆくえ」(鈴木章生)

 公共交通網を提供する某企業が、ICカードの履歴情報を市場調査用データとして販売していたことが明らかとなり、利用者から問い合わせやクレームが相次ぐ事態となったことは記憶に新しい。提供されたデータの内容は、乗降駅、利用日時、運賃、生年月、性別などであり、氏名や連絡先は含まれず、個人を特定するものではないという。しかし、利用者からの反応を受け、要望のあった利用者のデータについて社外提供分から除外する対応を取った。
 ビッグデータのビジネス利用への関心が、急速に高まっている。ビッグデータとは、国や自治体、企業等が集めた大量のデジタルデータを指すが、その中でも個人に関する情報(パーソナルデータ)は利用価値が高いものとして注目されている。今年6月14日に閣議決定された「世界最先端IT国家創造宣言」には、パーソナルデータの利用を促進するための環境整備等を図ることが明記されている。
 今後は、プライバシー保護とのバランスを図りながら、パーソナルデータの利活用促進に向けた議論がさらに加速するものと思われる。しかし、上の事例のとおり、たとえ個人が特定されないとしても、本人が知らないままに、自身に関する情報が利用されることへの不安や抵抗感は大きい事実がある。ビッグデータの活用が社会に新たな発展をもたらす可能性を認めつつも、その前提として、情報を提供することとなる個人の側に立った十分な議論に基づく社会的な合意形成が求められる。
 それと同時に、個人に関するデータの蓄積を抽象的な情報のかたまりとしてひとくくりに扱うことなく、データ一つ一つの性質を踏まえたルールづくりが必要である。図書館は「利用者の秘密を守る」という大原則に立ち、読書事実や利用事実の保護に細心の注意を払ってきた。思想・信条に関する情報などの機微な情報に関わるパーソナルデータについては、特に手厚い保護を図り、安易な利用提供の道が開かれることがないよう強く願う。

(すずき あきお:JLA図書館の自由委員会、栃木県立図書館)

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Vol.107,No.8(2013.08)

「「Tポイント」だけではなく「資料の提供」「無料原則」が問題」(熊野清子) 

 2012年5月4日、代官山蔦屋書店での記者会見で明らかにされた武雄市の新図書館構想について、日本図書館協会は5月28日に解明すべき点を明らかにした。構想の中でもとりわけ、雑誌販売や「Tカード」「Tポイント」の利用を指定管理者の付属事業とすることは、図書館の自由の原則、利用者の秘密を守ることに反すると危惧された。図書館関係者だけでなくIT技術者からの指摘もあり、市の説明は二転三転した。
 そして2013年4月、改装された新図書館はツタヤののぼりをはためかせて開館、入館者、自治体や議会の視察も多く、まちに人が来てくれることはいいという市民もいるという。
 しかし、店舗部分を通らないと図書館の書架にはたどりつけないレイアウト、冷水器が撤去されて館内販売の飲料を買うしかない、雑誌のタイトルが激減し、雑誌は店舗で立ち読みするしかない、などの問題も明らかになってきた。雑誌のバックナンバーはどうやって提供するのだろう。子どもの本も高書架に展示され、子ども自身が好きに手に取って読めるようにはなっていない。
 「資料の提供」こそが図書館の肝心かなめである。そのためにさまざまな工夫を重ねてきたのが図書館の歴史であり、図書館の自由の歴史だ。それなのに、お金を持たないと図書館に行けないように市民が感じるのでは、これまでの図書館の努力が水の泡だ。
 地元では武雄市図書館歴史資料館を学習する市民の会が、私たちの美しい図書館・歴史資料館を守りたいと活動を続け、図書館友の会全国連絡会は、7月7日に問題点を指摘する声明を出した。自由委員会では、「Tカード」運用の実際、行動記録が収集されることの問題点について今後とも注意を喚起し続けるとともに、市民が本当の図書館サービスを受けられるように応援していきたい。

(くまの きよこ:JLA図書館の自由委員会、兵庫県立図書館)

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Vol.107,No.7(2013.07)

「吉本隆明著『老いの超え方』修正本から考える」(三上 彰) 

 2011年に実施した図書館の自由に関するアンケートでもその取り扱いや対応についてたずねた、吉本隆明著『老いの超え方』(A5サイズの単行本は2006年発行、文庫版は2009年発行)について、今年の3月に出版社から図書館に電話があり、ほどなくして説明の書面とともに文庫版の修正本が郵送されてきた。この本は、2010年1月に「差別表現があり、当該部分を削除する」旨のお知らせが出版社から出されるなど、不適切な表現(差別的表現)を含むとのことで、廃棄してしまったり、廃棄はしなくとも閉架書庫に入れて閲覧不可能にしてしまう、といった対応をとる図書館が出てきて、図書館(特に公共図書館)におけるその後の取り扱いや対応が議論されたものである。
 今回の説明では、各図書館での所蔵数に合わせて郵送(寄贈)したこと(全国の図書館のOPACをくまなく調べたのであろうか?)、また、「弊社からのお願いとしましては、今後の閲覧、貸し出し等の際には、お送りした修正本で対応していただければ幸いです。今回の対応はあくまでも弊社からの寄贈ですので、現在お持ちの本を送り返していただきたいといったお願いはありません。発行者としては、差別表現が載った出版物は廃棄していただくのが望ましいことではありますが、お電話でもお伝えしておりますように、お持ちの本の扱いはあくまでも貴館のご判断によります。」といったことが説明され、文庫版については増刷の際に修正していることも記されていた。
 ここで、公共図書館や大学図書館の横断検索のOPAC等をあらためて調べてみると、2006年発行の単行本と2009年発行の文庫版を両方とも所蔵していることを公にしている図書館は多数見られた。しかし、2009年発行の文庫版について、今回送られてきた修正本に差し替えられているのか、もしくは、修正された増刷版なのかといったことは、OPACの情報だけではわからない。目録的な視点からすると、増刷した際に内容が修正されていたら、別の書誌を作成したり、内容に修正があったことが注記等に記されるはずではないか、という素朴な疑問が生まれた。それぞれの図書館ではどのような対応をされているのであろうか。
 また、このような本の取り扱い・対応に関しては、多様な要望・要求をもつ多くの市民と常日ごろ接している公共図書館と、主なサービス対象・奉仕対象が在学生や在籍する教職員に限られている大学図書館では、温度差があるようにも感じている。地域の住民等も利用できるように一般市民に開放する大学図書館も増えてきているが、利用者の人数比ではその占める割合はまだ少数である。公共図書館で直面するようなリクエストに関係する図書館の自由の問題も、大学図書館ではそれぞれの図書館で定めている収書方針にそぐわないという理由(例えば、マンガ本は原則として購入しない、学部学科の構成と関連性の低いと思われる資料は購入しない、といった理由)で、リクエストをお断りすることもできてしまうのである。大学のあり方も変化し、生き残り競争や経営・運営に重点が置かれるようになり、「大学の自治」といった言葉もあまりきかれなくなってきたところがあるが、大学図書館こそ、図書館の自由についてもっと敏感であることを願ってやまない。

(みかみ あきら:JLA図書館の自由委員会,桜美林大学図書館)

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Vol.107,No.6(2013.06)

「行動ターゲティング広告にたいする選考:米国の調査より」(高鍬裕樹)

 「ビッグ・データ」の活用が喧伝される現在、行動ターゲティング広告はさまざまな企業・団体が活用している。米国においては、2012年の合衆国大統領選挙の際にも、それぞれの政治的グループが、支持者を集めるためや投票を呼びかけるために、何らかのかたちで行動ターゲティングの手法を採用した。それはたとえば、あるウェブサイトにアクセスした人の情報を取得し、その人にたいして特定の政治的グループの候補者への投票を呼びかけるものであった。
 これらの「政治的行動ターゲティング広告」をどのように感じるかについて、トゥロゥ(Joseph Turow)らが調査を行っている )。結果の一部をごく簡略に述べると、こういった「関心に応じた政治的広告」を求めないと答えた回答者が86%に達し、64%は「自分が支持している候補者が、自分のオンラインでの活動についての情報を購入し、自分にとって魅力的であろうと思われる政治的メッセージを送ってくれば、その候補者に投票する可能性は低くなる」と答えた。
 政治的メッセージに限らず、行動ターゲティング広告に関して行われた複数の調査で、行動ターゲティング広告にたいする人びとの厳しい評価が明らかになっている。これらの調査を参照するかぎり、行動ターゲティング広告は、その実現のされ方を人びとが把握すれば、支持を得られないもののようである。
 自分の行動を自分の知らないところで把握・活用されることを、気持ち悪いと感じる人は少なくはなかろう。そしてその気持ち悪さのために、自分にとって必要な行動に踏み切れなくなるおそれは否定できない。個人の情報を保存し活用することにたいしては十分慎重に検討し、個人が行動を萎縮させないよう配慮を払う必要がある。

(たかくわ ひろき:JLA図書館の自由委員会,大阪教育大学)

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Vol.107,No.5(2013.05)

「少年法61条」(伊沢ユキエ)

 週刊新潮(2013/3/14号)は、吉祥寺で一人暮らしを始めたばかりの若い女性から金品を盗み殺害した少年二人の顔写真と実名を公表して記事にした。少年法61条では少年の成長や更生を保護する目的から実名や写真で本人が推知される報道を禁止している。しかし週刊新潮は「事件の重大性、凶悪性から未成年でも実名顔写真の報道が認められた判決もある・・」と2000年にでた大阪高裁の判決をひいて表現の自由が少年法61条に優先するという考えをあきらかにしている。
 当初、一部の図書館や書店では対応が分かれたという記事(中国新聞/3月13日)、また、少年の地元の日野市立図書館で当該号の館外貸出やコピーが制限されているらしい(Webからの蔵書検索)が、今回は図書館現場に大きな混乱は見られていない。
 教育機関である図書館は、法に違反する出版物をなぜ提供するのだろうか。あらためて考えてみると少年法61条は報道に関する規制であり、提供を制限するものではない。そこを押さえ、図書館法に基づき職務として資料を収集提供する姿勢をぶれずに持って、きちんと提供していくことで市民からの支持が得られると考える。
 例えば表現の自由を守るために新聞やマスコミにも倫理綱領があり、より高い医療を提供するために医師や看護者に倫理綱領がある。いずれも広くその役割や責務を果たすためにある。それらはいずれも法律ではないが職業としての構えである。そして図書館も同様に「図書館の自由に関する宣言」や倫理綱領を持つ。
 図書館も時代と共に経験を積み、1997年神戸少年殺人事件で写真週刊誌フォーカスが実名報道した頃に比べて進歩している。マスコミも図書館は提供するのかしないのかと煽ることもなかった。最近見た「いつか日のあたる場所で」(乃南アサ原作)というドラマの中の、更生した人に世間の目が厳しい一場面を思い出す。そういう背景も踏まえ、それぞれの館が、それぞれの立場で下した判断であると感じた。

(いざわ ゆきえ:JLA図書館の自由委員会,横浜市磯子図書館) 

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Vol.107,No.4(2013.04)

「「慎重」な対応を「鈍い」と言い換える印象操作にご注意ください」(南 亮一)

 2月6日の朝日新聞朝刊に、「(記者有論)AKBと男児の写真 放置で被害拡げるな」という、本山秀樹記者による解説記事が掲載されていた。女性アイドルグループAKB48のメンバーの写真集の広告に、このメンバーの胸を男児の手で隠した写真が掲載され、その写真が児童ポルノ禁止法違反の恐れがあるという批判が出たことを取り上げ、出版社は発売中止を決めたのに、各スポーツ紙や図書館が「放置」しているのはおかしい、判断を当局に依存して自ら判断しないのは責任放棄だという内容である。果たして図書館の対応はそのように断罪されるものなのだろうか。
 この問題の事実経過を知るためには、実際にその写真を確認する必要がある。出版社が発売中止を決めたのであるから、この写真を確認するためには、この写真が掲載されたスポーツ紙の記事を確認するしかない。この写真自体が児童ポルノ禁止法により閲覧提供が禁止されるものなら別であるが、そうでなければ、このスポーツ紙を所蔵している図書館が閲覧提供を禁止する理由はない。
 この記者は、図書館がこの写真を見せ続けることにつき、「鈍い」として、その対応を批判しているが、児童ポルノであるかどうか分からない状況で、自主的に児童ポルノと決めつけて情報提供を遮断する方がむしろ問題ではないか。この記者は「被害の拡大を止められずにいる」というが、この写真を見せることが「被害」かどうかの確証がないまま、この写真へのアクセスを遮断する方が、よほど「被害」なのではないのか。
 確かに、見せないことが「善」という記者の立場からは、図書館の対応は「鈍い」と見えるかもしれない。しかし、見せることが「善」という立場からは、図書館の対応は「慎重」というように見えるのではないか。マスコミの言葉の使い方による印象操作の手法がよくわかる事例といえる。印象操作に惑わされることのないようにしたいものである。

(みなみ りょういち:JLA図書館の自由委員会、国立国会図書館関西館)

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Vol.107,No.3(2013.03) 休載


Vol.107,No.2(2013.02)  

「外からみた「図書館の自由」」(前川敦子)

 2012年度の図書館大会(島根)第7分科会は「図書館利用者のプライバシーを考える」をテーマに開催した。コンピュータ・セキュリティ専門家である前田勝之氏から、情報セキュリティの観点から武雄市の新図書館構想に関する問題点を報告いただいた。個人の様々な行動履歴を「共通番号」による追跡によって収集・蓄積し、思想や嗜好を分析することが可能となる今日において、図書館記録を含めた情報のライフサイクル管理、特にデータ保存費用が安価になったことから疎かになりがちな「廃棄」のステップの重要性など興味深いお話をうかがうことができた。
 主にウェブ上の発言を通して知る範囲でだが、昨年からの武雄市図書館問題について前田氏を始めとするIT関係者や情報法学関係者が多く発言されているが、その中には、「自由宣言」にふれたものが見られる。「自由宣言」が図書館外に「発見」された、という表現も目にした。
 「自由宣言」は、知る権利を守る上で図書館が果たす役割について、図書館から国民・市民への約束、一種の行動宣言だが、こうした自律的規範を機能させてきたことや「利用者の秘密を守る」として図書館記録の秘密性保護に以前から価値を置いていることを、図書館関係以外の分野の方が述べておられることは誇らしくも面はゆくも感じる。また一方、法規性を持たないため無視され得る弱さや、関係諸団体との連携や共同の意識の弱さなさ、図書館関係者のみに閉じた内向きさを指摘する声には反省させられる感じるものがある。
 「自由宣言」の末文「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」に続く副文には、「われわれは、図書館の自由を守ることで共通の立場に立つ団体・機関・人びとと提携して、図書館の自由を守りぬく責任をもつ。」とある。たとえば図書館利用者のプライバシーを考える際に、より広いプライバシー保護法制やネットワーク社会での技術的な課題を考えることなしになく、図書館だけを守ることはできない。より広く、共通の立場に立つ人や団体との連携や共同し、知識を学ぶことを意識する必要があると思う。

(まえかわ あつこ:JLA図書館の自由委員会、神戸大学附属図書館)

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Vol.107,No.1(2013.01)

「プライバシーの大切さが意識できる図書館を」(松井正英)

 「図書館の自由に関する全国公立図書館調査2011年」(結果の概要は『図書館雑誌』2012年11月号に掲載)によると、「保護者から、子どもが借りている資料を教えてほしいと言われた場合、どのように対応していますか?」という質問に対して、約13%の図書館が「(年齢によらず)教える」と回答している。「年齢による」とした回答のうち、小学校高学年でも教えるとしたところを合わせると、全体の3分の1を超える。今回の調査は学校図書館を対象にしていないが、学校図書館では利用者のプライバシーに対する意識はもっと低いと予想される。子どもたちは図書館という場で、必ずしも自分のプライバシーを大切にしてもらう経験ができているとは言いがたい。
 社会の状況を見ても、最近ではスマートフォンのアプリによって個人情報が不正に取得されていたということがあった。しかし、私の勤務校でスマートフォンを使っている生徒に、これらに対する問題意識はあまり感じられない。Tカードで買い物をする人のほとんどは、その先で自分の情報がどのように利用されるかを意識していないだろう。
 加速する情報化社会に対応するために、プライバシー教育の必要性はますます高まっている。自分が情報を提供していると意識するところから始まって、その情報がどのように管理され、利用されるか、漏洩等の危険性はどうか、漏洩したら自分にどのような影響があるか、について理解する力と確認する習慣が必要である。
 図書館が利用者の秘密を守ることは、利用者がプライバシーの大切さを意識できる場という面からも重要になってくるのではないか。その意味でも、利用者から預かる情報の管理や利用のあり方について丁寧に説明することが、これからはますます必要になるだろう。

(まつい まさひで:JLA図書館の自由委員会、長野県下諏訪向陽高等学校図書館 )

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